第8話 幼馴染との日常
「ああー……眠い……」
夏休みを目前に控え、暑さが日に日に増している七月。
俺は重い足を引きずるようにして通学路を進んでいた。
その理由は単純で、今日は寝不足だったからだ。
昨夜はめずらしく寝つきが悪く、ようやく眠れたかと思ったら妙な夢を見て途中で起きてしまう。
そんないつもなら起こりえない……不意打ちのようなコンビネーション技を食らったこともあって、結局そのあとは朝までずるずると眠れなかったのだ。
「……なんとか今日一日を耐え忍ばなければ~っと、――ん?」
とは言え、まだ一限目の授業すら始まっていない。
こんな調子では放課後までは長く厳しい戦いになりそうだ。
そんなことを思いながら身体を軽く伸ばしていると、ふいに誰かが俺の肩を叩いてくる。
それにつられて俺は後ろを振り向いた。
「おはよ! 景斗!」
「――おう、セラか……」
振り向いた先にいたのは、俺と同じ高校の制服を着た幼馴染――天河セラだった。
セラは父親が日本人、母親がアメリカ人のハーフで、俺たちは互いの両親が親しいこともあって本当に小さな頃からの付き合いがある。
しかも、幼稚園から小中高の現在まで同じ学校に通っているというなかなかに珍しい関係だ。
そして今、俺はそんな気心知れた幼馴染に対して挨拶も返さずに困惑の視線を送っていた。いや、正確に言うと返したくても返せないのだ。
なぜなら俺の頬には先ほどからセラの指がめり込んでいて、しかもその状態をキープしたまま微動だにしない。
肩を叩いて頬を指で押す。よくあるいたずらをされているのはわかる。
けどそれならなぜ彼女は眉間にしわを寄せて、何かを念じるような表情をしているのだろうか。
長い付き合いとは言えさすがに意味が分からない。
なので、俺は口をもごもごとさせながら理由を聞いてみる。
「なあ? これは一体何の儀式でいつまで続くんだ?」
「ふふん。元気なさそうだったから、私がエネルギーをチャージしてあげようかと思って」
「はあ……ありがとうございます。……おかげさまですっかり元気になりました…………」
「ちょっと! 何よその消え入るようなか細い声は! 逆に元気なくしてるじゃない!」
「いや、そもそもなんでこれで元気が出る前提なんだよ……」
そう言って俺はセラの指を頬で雑に振り払うと、そのまま歩みを再開させる。
隣を並んで歩く幼馴染は何か言いたげな様子でジトっとした視線を送っているが、それを無視してあくびをかみ殺した。
「寝不足?」
「ああ。昨日は変な夢で起きてそのあとも寝付けなくてさ」
「それは災難ね。ちなみにどんな夢だったの?」
「勇者として異世界に行って、魔王を倒す夢だよ」
「フフッ、何よそれ。景斗が勇者とか絶対似合わないから」
「まあな。でも、縄跳びを使ってかなり無双してたんだけどな」
「いや、そもそもどうやって縄跳びで戦うのよ……」
異世界の王国軍と共に、魔王が率いる魔物たちと戦う。
俺が見たのはそんな感じのまさしく王道でファンタジーな夢だった。
夢だから断片的ではあったし、縄跳びが武器だったりとよくわからないところもある。
でも、妙にリアルだったんだよな~。
まるで自分が実際に体験した思い出を振り返っているような……。
まあ、そのせいで眠気が飛んでしまってその後は一睡もできなかったんだけど。
「……実はさ。私も昨日変な夢見たんだよね……」
「え、マジで?」
「うん、マジ。かなり恥ずかしい内容だった」
「そうかー。セラも異世界でひと暴れしてきたか」
「いや、私のはそんな野蛮なのじゃないから!」
どうやらセラも昨夜は奇妙な夢を見たらしい。それにしても二人そろって同じ日にとは珍しいこともあるもんだ。
「じゃあどんな内容だったんだ?」
「聞いても笑わない?」
「ああ。笑わないよ」
俺がそう言って自信満々に返すと、セラは恥ずかしそうにもじもじとしながら夢の内容を話し出した。
その話を要約すると、セラは前世の夢を見たらしい。
そこでのセラは天使で、今世は訳あってこの世界で人間として生きている。
けれど、本来は数多の世界の平和と秩序を守るため、天界で日々働いていたという感じの内容だった。
「もちろんただの夢なんだけど、すごくリアルな……本当に経験していたことを見ているような感じだったの……って変だよね! これじゃあ景斗の夢のことも笑えないかも」
「……へーなるほどな。そういうことか」
「えっと、今の話のどこに納得する要素があるの?」
俺がそう一人で頷いていると、隣のセラは不思議そうに小首を傾げていた。
でも、長い付き合いである幼馴染の立場からすると色々とわかることもある。
なるほど、なるほど。
天使ね。やはりそういうことですか。
「確かにセラが天使ならぴったりだと思ってさ」
「――っ!?」
「天使って可憐で周りに癒しとか安心感を与える存在だろ? ならそのまんま一緒――」
「――ちょっと!! ナシ! ストップ!」
慌てた様子のセラが話しを遮るようにして静止の言葉をかけてくる。
そして、顔を赤くさせながらギロリと俺を睨みつけた。
「どうしたんだよ急に……」
「それはこっちのセリフよ! 何を真顔で恥ずかしいことをスラスラと……」
「いや、事実を言っただけなんだけど」
「――っ! ま、またそうやって私をからかって……」
「……景斗のバカ」そう呟くとセラは俺から顔を背け、遠目に見えてきた校舎に向けてそそくさと歩いて行った。
「……言い過ぎたか」
俺はまるで競歩のようなスピードで進んでいく幼馴染の背中を見つめながら、一人言葉をこぼす。
嘘偽りのない本音だったのだがまた冗談だと思われたらしい。
それにしても、と俺はもう一度セラの話を思い出す。
「天界で働く天使様か……」
実は俺の見た夢には話していない続きがあった。
それは勇者として魔王を倒した後のこと。
異世界から帰還した俺を出迎えてくれたのも多くの天使たちだったのだ。
しかもその中にはセラにそっくりな――なぜか制服姿の――天使様もいて、彼女は無事に帰ってきた俺を見て安心したような笑顔を浮かべていた。
そこで目は覚めてしまったし、そもそも夢なので詳しいことやセラの夢との関連性もわからない。
けど、俺はそんな彼女の笑顔を見て一つわかったことがある。
それは物語に登場する勇者たちについてだ。
正直、今まで俺には人々のためとか世界のためとかどんな理由があったとしても、命を掛けて魔王と戦う。そんな勇者の気持ちがこれっぽっちも理解できなかった。
でも、もしもあの天使様みたいな――自分の無事を願って帰りを待ってくれる誰かがいて、そしてそんな大切な人のためになら……命だって懸けられるのかもしれない……。
あの笑顔を思い出すと自然とそんなふうに思えた。
案外、物語の勇者たちが戦う理由も人々や世界を救うなんていう大義名分じゃなくて、本当は今の俺と同じような感じなのかもしれない。
それなら少しは共感できるし好感も持てる。
そうやって考えながら進んでいると、いつの間にか校舎までたどり着いていた。
どうやら最初よりも足取りが軽くなっていたらしい。馬鹿にしていたけど、あのエネルギーチャージの儀式はしっかりと効果があったようだ。
「さて、どうするかな……」
そうして俺はこれから始まる睡魔との闘いに向けて気を引き締めつつ――しかしそれ以上に、機嫌を損ねてしまった天使様のことで頭を悩ませるのだった。
完
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