第7話 天使たちとの祝勝会
龍王の咆哮に天地が軋みを上げた。
降りしきる漆黒の雨の中。静寂が支配していた戦場に、再び絶望が訪れる。
「…………なんだよあれ」
「…………あんなの勝てるわけねぇ」
歴戦の戦士たちの口から次々と諦念が漏れ出す。
それを引き起こした元凶である存在――――『魔王』。
上空でとぐろを巻くその巨大な体躯から発せられる圧は、見る者の戦意を容易く打ち砕き、鈍く輝く眼光からはもはや意思は感じられない。
おそらく今のあいつに残っているのは、殺戮と暴虐という魔物としての根源的な欲求だけなのだろう。
「――――……最終形態ってやつか」
俺は、人型から龍の姿に変化した魔王を前にもう一度気を引き締める。
この世界に来てから六日と少し。短い期間ではあるが、それなりに多くの魔物たちと戦ってきた。
けれど、はっきりと言える。
そのどの相手よりも魔王は間違いなく強い。それも段違いに…………。
「ははっ……! 震えが止まらないな…………!」
そんな絶体強者を前に、相棒――『悪魔の鞭』を持つ手にも自然と力が入ってしまう。
本来ならばこんな化け物は、ただの高校生が対峙していい相手ではない。
今この戦場にいるような異世界の屈強な戦士たちであっても、思わず諦めて逃げ出したくなるような。そもそも人がどうにかできる領域をすでに超越している。
でも先ほどから続く俺のこの震えは、そういった怯えからくるものではなかった。
いざ目の前にゴールテープが見えてくると、頭の中にチラついて仕方がないからだ。
――【幼馴染契約】。その最速攻略の制限時間まではあとおよそ半日。
あいつを仕留めるための時間としては十分すぎた。
ついに叶うんだ。俺の悲願――決して叶うはずのなかったあの思いが…………。
そうだ。この震えは武者震い。いや、歓喜の――――
「――――さあ、目標を完遂しようか」
俺はいつものように軽やかに……けれど力強くリズムを刻んでいく。
――ヒュヒュン、ヒュヒュン、ヒュヒュン。
その音色がもう一度武器を手に取る勇気を、戦士たちに与えると信じて。
勇者率いる人類と魔王の死闘。
降りしきる雨が止んだ時、戦いは終わりを告げる。
勝つのは魔王の暴虐の意思か、それとも勇者の願いの力なのか。
戦いは佳境を迎えていた――――。
◇ ◇ ◇
「へぇ~あの時はそんなこと考えてたんだ~」
「けど、さすがに最終形態には焦ったでしょ?」
「それはもちろん。でも、俺にはセラちゃん……大天使の加護が付いてましたから」
「ひゅ~~熱い思い! さすがは勇者様!」
「一途だねぇ~! 妬けるねぇ~!」
現在、俺は多くの天使様たちがいる大宴会場にいた。
会場内はすでに大盛り上がりで、アップテンポの謎な音楽とともにあちこちから陽気な笑い声が響き渡っている。
どうやらここは天界にある娯楽施設のようで、魔王討伐を成し遂げた勇者を祝うため、この祝勝会には天界中の人々が駆けつけてくれたらしい。
「ほら! 勇者様も遠慮せずに飲みな!」
「そうだよ~! この祝勝会の主役は君なんだからね~!」
「あざっす。でも、俺未成年なんで~」
「いやいや、これにアルコールは入ってないから」
「天界で今流行ってる炭酸ジュースだから大丈夫だよ~!」
「なら遠慮なく――――」
そう言って手渡されたジョッキを受け取り、俺はグイッと喉に流し込む。
「――なんだこれ!? うまっ! 美味すぎる!」
「でしょ~でしょ~」
「深呼吸してみ。爽快感ハンパないから」
俺は天使様たちに促されるまま、試しに深呼吸をしてみる。
すると、何とも言えない感覚が身体中に広がっていく。
なんだこれ……。ただ呼吸をするだけでも気分が上がってくる。こんな体験は初めてだ……。
「あの~これなんかヤバイ気が…………」
「それにしても、最後の勇者様と魔王の一騎打ちは燃えたよ~」
「ほんとにね~。おとぎ話の主人公みたいで勇者様カッコよかった~」
「……あざっす。あの時はただ必死で……そういえばセラちゃんの姿を見かけないんですけど」
俺は異世界から帰ってきた時から気になっていたことを聞いてみる。
最速攻略の制限時間内に魔王を倒して、王都での勝利の宴を楽しんだ後、気が付いたらここに飛ばされていた。
そしてそのあとも二次会とばかりにここで騒いでいる。でも、その間に一度もセラちゃんの姿は見ていない。
てっきり彼女が出迎えてくれると思っていたから、そのことがずっと心に引っかかっていた。
そんな俺の疑問に両隣の天使様たちは目を合わせるとニヤリと笑い、何やら周りに合図を送る。
すると、会場内にいた天使様たちの一部が創造魔法で楽器を取り出し、壮大な音楽を奏で始めた。
「――ってかこれ、うちの高校の校歌じゃん」
最初は壮大すぎて気が付かなかったけど、よくよく聴いてみると流れていたのは俺の通う高校の校歌だ。
そして、音楽のクライマックスに合わせるように宴会場の照明が暗転し、中央にあるステージにスポットライトが降り注ぐ。
その光の中から現れたのは…………
「…………――セラちゃん!?」
「うぅ、恥ずかしい……それにこのスカート短すぎるでしょ……」
俺の目の前には今、本物の天使様が降臨していた。
見慣れた学生服に身を包んだその天使様――セラちゃんは、少し恥ずかしげにスカートを手で押さえている。
もちろん。この会場には他にも多くの天使様たちがいる。
でも、失礼ながら彼女を前にすると全てが偽物に思えてしまう。それほどまでに今の彼女は天使過ぎた。
「…………セラちゃんその制服……」
「あ、朝霧くん! この制服似合ってないでしょ? みんながふざけて着せてきてね……」
「いや、最高に似合ってる。俺が見てきた中で君が間違いなく一番――史上最高だよ」
「はいはい……またそうやって冗談言って」
セラちゃんにはそう言って流されてしまったが、俺の言葉に嘘偽りはなかった。
まさか自分の高校の制服を着た彼女の姿を拝めるとは…………。魔王を倒したんだという達成感と実感がようやく込み上げてくる。
「セラちゃん。俺、魔王をなんとか倒せたよ」
「くうぅ……ほんとよもう! あなたが倒した魔王の横で勝利の二重とびをしていた時、私がどんな思いでそれを見ていたか……!」
「またまた~そんなこと言いつつも、最後はセラも勇者様のこと応援してたじゃん」
「そうだよね~。無事に倒したときは少しうれしそうにも見えたし~」
ジトっとした目でにらみを利かせていた彼女だったが、先ほどまで俺と会話をしていた二人の天使様たちにニヤニヤと笑いながらツッコミを入れられる。
「なっ!? 何言ってるのよ二人とも! 絶対にそんなことないから! 朝霧くんも信じちゃダメよ!」
「…………確かに最後は少しカッコ良く見えなくもなかったけど、ね」
「――――へっ!? ど、どうして私の思考を――」
「いや~実は俺も『読心の魔法』を向こうで覚えたんだよね」
そう、この魔法は俺が異世界で習得した唯一の魔法だ。
魔王攻略をしている合間に現地の魔術師に教えてもらったもので、魔法としての完成度は低いため、一日の間に一度しか使用することはできない。
だから発動のタイミングは見極めないといけないが、今回はなかなか良いタイミングで使うことができたようだ。
そんな風に俺が内心で自画自賛していると、驚愕に目を見開いてフリーズしていたセラちゃんは、しかし次第に言葉の意味を理解したのか顔を真っ赤に染め上げていく。
よほど予想外だったのか、それとも恥ずかしさからなのか。目の前の天使様は今まで見せたことのない表情をしていた。
「――今のは違うから! ナシ!! 勝手に心を見るのはダメ!」
「はは、わかったよ。もう魔法は使わないからさ」
「約束だからね! そこの二人も笑うの禁止!」
俺がそう言ってもなお、頬を膨らませて納得していない様子のセラちゃんは、彼女と仲が良さそうな天使様たちにもギロリとにらみを利かせていた。
「まあまあ、私たちも少しの間は会えなくなるんだからさ」
「そうだよ~。セラちゃんのことは天界から見てるからね~」
「ま、まあ。私たち悠久の時を生きる天使にとって、人の一生なんて一瞬だからね」
「それに幼馴染になっても、私と朝霧くんの仲が良くなるとは限らないから」そう言ってセラちゃんは、腕を組みながら挑発的な笑みを浮かべる。
実は彼女の言う通りで、俺たちの【幼馴染契約】には強制的に互いの好感度を上げるような効果は一切付いていない。
さらにここでの出来事や、セラちゃんも自身が天使である記憶を一時的に消失することになっていた。
つまり、この契約によって成立するのは本当にただの幼馴染という関係だけで、俺たちは互いのことを何も知らない状態から再スタートするわけだ。
でも、俺には確かな自信――いや、確信があった。だから彼女には不敵な笑みを返す。
「問題ないさ。俺はセラちゃんみたいな幼馴染がいたら絶対に好きになって、仲良くなろうとするから」
「――な、なな何を恥ずかしいことを真顔で言って…………!! 朝霧くん!?」
俺はなんとかそこまで言い切ったところで、急速に現れたけだるさと眠気によってその場に崩れ落ちる。
何か頭の中がふわふわしてとにかくだるいし、眠い……。
原因にはすぐに見当がついた。おそらくあの時に飲んだ炭酸ジュースのせいだ。
あれは異様に美味かったし、どうやら人には過ぎた代物だったらしい。
最後くらいカッコよく決めて、セラちゃんの制服姿をもっと拝んでいたかったがどうやらそうもいかないようだ…………。
そうしておぼろげな意識の中で俺が最後に見たのは、慌ててこちらに駆け寄ってくる天使様の姿だった。




