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009話

「よし、腕によりをかけて作りますよ!」


俺の宣言に、『戦斧の乙女ヴァルキリー・アックス』の面々は歓声を上げ、ユキは期待に満ちた蒼い瞳でこくりと頷いた。さっきまでの死闘の緊張が嘘のように、その場は一瞬にして祝勝会場の雰囲気に包まれる。A級ダンジョンの最深部、巨大な竜の死骸の前で、これからフルコースが始まるのだ。正気の沙汰じゃないが、心が躍るのを止められなかった。


俺はまず、携帯用の調理器具一式を手早く広げると、ユキに指示してドレッドワイバーンの各部位を切り分けてもらう。彼女の剣術【天衣無縫】は、戦闘だけでなく解体作業においても神業だった。分厚い鱗も強靭な筋繊維も、まるでバターを切るように滑らかに切り分けられていく。


「まずは前菜から。ドレッドワイバーンの霜降り肉のタタキです」


俺が選んだのは、後ろ脚の付け根にある、特にサシの入った極上の霜降り肉。薄切りにした肉の表面を、近くの溶岩で赤く熱した岩盤の上でさっと炙る。ジュッという音と共に、香ばしい匂いが立ち上った。仕上げに、この灼熱地帯でもたくましく実をつけていた「火山ベリー」を潰した即席ソースをかければ完成だ。


「さあ、どうぞ!」

「生で……大丈夫なのか?」


強弓使いのハナさんが、少し警戒したように呟く。モンスターの生食は、時に毒や寄生虫の危険を伴うからだ。


「問題ないわ、ハナ。この男の料理は、私たちの命を救った。信じなさい」


リーダーである澪さんが、一切の迷いなくタタキを口に運んだ。そして、その緑色の瞳が驚きに見開かれる。



「なっ……! なにこれ、とろける……! 肉の旨味が濃いのに、後味はさっぱりしてる!」

澪さんの絶賛に、他のメンバーも恐る恐る口にする。途端に、あちこちから感嘆の声が上がった。ユキは黙々と、しかし普段の数倍の速さでタタキを口に運び、その表情は微かに恍惚としているようだった。


続いて、先ほどのスタミナスープをより丁寧に濾し、香味野菜で香りをつけた「黄金髄液と溶岩苔のコンソメスープ」。冷えた体を芯から温め、じんわりと活力を蘇らせる一杯に、誰もがほう、と安堵のため息を漏らした。


そして、いよいよメインディッシュ。


「お待たせしました! 本日のメイン、ドレッドワイバーン・ロースの溶岩石焼きです!」


俺が声を張り上げると、ひときわ大きな歓声が上がった。俺が用意したのは、人の胴体ほどもある巨大なロース肉の塊。それを、熱した溶岩プレートの上に、思いっきり叩きつけるように置いた。


ジュウウウウウウッッ!!


凄まじい音と白い煙が、ドーム内に立ち込める。滴り落ちる脂が溶岩に触れ、炎が上がった。まさに地獄の調理風景。だが、そこに満ちる匂いは、紛れもなく天国の香りだった。野性的な肉の匂い、焦げる脂の香ばしさ、そして俺が竜の血をベースに作った特製ソースの甘辛い香り。五感を刺激する暴力的なまでの美食のオーラに、誰もがごくりと喉を鳴らした。


「うおおお! すげえ! まるで祭りだな!」

「早く! 早く食べさせてくれ!」


肉塊が最高の状態に焼きあがったのを見計らい、俺はそれを大きな岩の上に移し、ユキに切り分けさせる。


「さあ、熱いうちにどうぞ!」


その言葉を合図に、屈強な女性戦士たちは、まるで餓えた獣のように肉塊に殺到した。ナイフで分厚く切り分け、そのままかぶりつく。


「んんんーっ! うめええええ!!」

澪さんが、ソースで口の周りを汚すのも構わずに叫んだ。

「硬そうな見た目なのに、ナイフがすっと入るくらい柔らかい! なのに、噛み締めるとしっかりとした歯ごたえと肉汁が溢れてくる!」

「このソースも絶品だ! 甘辛くて、肉の味を何倍にも引き立ててる!」

パーティの盾役ナイトであるラトリーさんも、普段の物静かさが嘘のように興奮している。


口の中をさっぱりさせるためのサラダと、まさかダンジョンで食べられるとは思わなかったであろうデザートのフリッターまで平らげた頃には、あれほどあった竜の肉は綺麗さっぱりなくなっていた。誰もが満腹になった腹をさすり、満足げな表情を浮かべている。まさに、戦勝記念は大盛況のうちに終わった。


俺は最後に、この火山地帯の黒い木の実を焙煎して淹れた「黒曜石コーヒー」を皆に配った。独特の苦みと深い香りが、食後の余韻を静かに演出する。


俺は自分の分のコーヒーを手に、皆の輪から少しだけ離れてその光景を眺めていた。

澪さんたちが、今日の戦いを肴に笑い合っている。普段は無口なラトリーさんですら、饒舌に今日の料理の感想を語っている。その中心には、いつも通り無表情ながらも、どこか満足げな空気を漂わせるユキがいる。


元いた会社では、「利益」や「効率」ばかりが求められた。俺が作りたかったのは、数字で評価される商品じゃない。こうやって、食べた人が心の底から笑ってくれるような、温かい一皿だ。『本当に価値のある食で、人を幸せにしたい』。その想いが、今、この場所で叶っている。それがたまらなく嬉しくて、俺は自然と笑みを浮かべていた。


「……なぜだ?」


ふと、隣から声がした。いつの間にかユキが俺の隣に立ち、じっと俺の顔を見つめていた。


「え?」

「なぜ、お前はそんなに嬉しい顔をしている? お前は、さっきからほとんど食べていないのに」


彼女の純粋な疑問に、俺は少しだけ驚いた。ユキにとって、食事は命を繋ぐための絶対的な行為だ。腹を満たすことが何よりの喜びのはず。他人が食べているのを見て幸せになる、という感覚が理解できないのだろう。


俺は手に持っていた温かいカップを見つめ、それから皆の笑顔をもう一度見渡して、ゆっくりと口を開いた。


「みんなが『美味しい』って笑ってくれるのが、俺にとって一番のご馳走なんだよ。自分が食べるより、誰かが喜んでくれる方が、何倍も嬉しい。俺は、そのために料理をしているんだから」


「……ご馳走……」


ユキは俺の言葉を繰り返すと、俺の顔と、楽しげに談笑する澪さんたちの顔を不思議そうに、そしてどこか眩しそうに、交互に見比べるのだった。

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