005話
ギルドを出た後、俺は深い深いため息をついた。
「はぁ……本気で武器を買うつもりなのか?」
「ああ。あの女の言う通りだった。丸腰では、いざという時にマコトを守れない」
「いや、守るとかじゃなくて、そもそも危険な場所に行かないのが一番なんだけど……」
俺の常識的な意見は、隣を歩く銀髪の少女にはまったく響いていないようだった。ユキは「武器」という新しいおもちゃを見つけた子供のように、どこか楽しげですらある。その蒼い瞳は、すでに前だけを見据えていた。
こうなったら、もう彼女を止めることはできないだろう。それは、この数日間の奇妙な同居生活で俺が学んだことの一つだった。腹が減った時と、何かを決めた時のユキは、絶対にテコでも動かない。
結局、俺は観念して、なじみの武器屋へとユキを案内することにした。ギルドから伸びる大通りは、今日も多くの探索者たちでごった返している。武具屋、道具屋、素材の買取所、そして探索者向けの安酒場。活気と、汗と、鉄と、そして微かな血の匂いが混じり合ったこの街の空気が、俺は嫌いではなかった。
そんな喧騒を抜けた先、少し外れた職人街の一角に、その店はあった。
【頑鉄工房】
煤けた木の看板に、力強い筆致でそう書かれている。派手な装飾など一切ない、無骨で実直な店構え。ここが、俺が時々、調理用のナイフや鍋の修理を頼んでいる店だ。中から聞こえてくる、カン、カン、というリズミカルな槌の音と、もうもうと立ち上る熱気が、この店が本物の仕事場であることを示している。
「ごめんくださーい」
俺が声をかけながら引き戸を開けると、むわりとした熱気と共に、気さくな声が飛んできた。
「おう、いらっしゃ……お、誠ちゃんじゃねえか。今日は女連れかい? 珍しい事もあるもんだ!」
店の奥、真っ赤に焼けた鉄が置かれた金床の前で、大槌を片手に豪快に笑う巨漢の男。この店の主、源さんだ。見事な口髭を蓄え、腕の筋肉は丸太のように太い。いかにもな頑固職人といった風貌だが、話してみると気さくで面倒見の良いおっちゃんだ。
「かかか! やるじゃねえか誠ちゃん! こんな別嬪さんをどこで捕まえてきたんだ!」
「ははは……どうも。ええと、こちらはユキさん。ちょっと武器を見たいそうで」
俺は苦笑いを浮かべながら、源さんにユキを紹介する。ユキはぺこり、と小さく頭を下げた。その無表情さに、源さんは少し面食らったようだったが、すぐにいつもの笑顔に戻る。
「なるほど、武器探しね。いいぜ、好きなだけ見ていきな! ダンジョン素材を使った最新のヤツから、お値打ちの中古品まで、何でも揃ってるぜ!」
そう言って、源さんは壁に掛けられた多種多様な武器を親指で示してみせた。剣、槍、斧、鈍器。そのどれもが、モンスターの硬い鱗や甲殻を叩き割るために作られた、禍々しくも美しい凶器だ。その中には、一本で数十万、数百万ゴールドはするであろう、魔力を帯びた一級品も混じっている。俺はごくりと喉を鳴らし、横にいるユキにそっと囁いた。
「あの、ユキさん……あんまり高いのはやめてね……? 俺の懐、そんなに暖かくないから……」
「問題ない」
ユキは短くそう答えると、俺の心配などどこ吹く風とばかりに、ずかずかと店内へと歩みを進めていった。
……不安だなぁ。彼女の金銭感覚、絶対に普通じゃない気がする。
ユキは、店内に並べられた高価な魔力武器には目もくれなかった。ランスロットの聖剣だとか、エクスカリバーのレプリカだとか、そういう派手なヤツには一切興味を示さない。彼女が向かったのは、店の隅にある、どちらかといえば地味な刀が数本立てかけられている一角だった。
そこから一本の刀を手に取ると、ユキの雰囲気が変わった。
それまでの、どこか世間知らずな少女の面影が消え、厳しい鑑定家のような顔つきになる。抜き身の刀身を、光にすかして丹念に眺める。刃こぼれや歪みがないか、ミリ単位の狂いも見逃すまいとするかのように。重心を確かめるように軽く振り、刀身を指で軽く弾くと、キィン、と澄んだ金属音が鳴った。その音に、彼女は耳を澄ませる。
その視線は真っ直ぐで、刀の鋒にも負けないほど鋭い。
俺はゴクリと唾をのんだ。普段の腹ペコな姿からは想像もつかない、研ぎ澄まされた横顔。彼女が『剣聖』と名乗ったのは、ただのハッタリではないのかもしれない。
数本の刀を同じように吟味した後、やがて彼女は一本の刀を手に取り、静かに頷いた。それは、ここに並ぶ中でも特に装飾がなく、地味な印象を受ける一振りだった。
「これがいい」
ユキは俺の方を向いて、そう断言した。
「刃が曲がっていないし、粘りがある」
「ほう……」
それまで黙って様子を見ていた源さんが、感心したように唸った。
「嬢ちゃん、なかなか見る目があるじゃねえか。そいつは、ダンジョンが現れる前に、ワシが道楽で打った刀でな」
「親父さんが?」
俺が驚いて聞き返すと、源さんは少し照れたように、そしてどこか寂しそうに目を細めた。
「うむ。今の若い連中はスキルだの魔力だの言うが、ワシらの時代は、鉄を鍛える技術こそが全てだった。そいつはワシの魂を込めた、当時の最高傑作でな。だが、いかんせんダンジョン産の魔鉱石を使った武器と比べられると、純粋な性能は劣っちまう。モンスターの硬い鱗を断つには、ただの鉄じゃ力不足なんでな。おかげで、もう何年も誰も手に取ってくれなんだ」
なるほど……。俺は自分の携帯端末を取り出し、分析動器のアプリを起動して、ユキの持つ刀にかざしてみる。ピピッと電子音が鳴り、画面に情報が表示された。
【名称:無銘の打刀】
【素材:玉鋼】
【ランク:E(一般兵装)】
【特殊効果:なし】
「へぇ……確かに、アナライザーだと普通の鉄製武器だね。付与されてるスキルもないし、これじゃあゴブリンを斬るのが精一杯かも」
「問題ない」
俺の言葉を、ユキはきっぱりと遮った。彼女は愛おしむように、その無銘の刀の刀身を指でなぞる。
「こいつはよく働いてくれるはずだ。持ち主の技量を、素直に映し出す良い鉄だ。と言うわけで買ってくれ、誠」
「え、あ、うん……」
ユキのあまりに確信に満ちた言葉に、俺は思わず頷きかけてしまう。その時、それまで人の良さそうな顔で話を聞いていた源さんの目が、カッと商人のそれに変わった。
「なんだ誠ちゃん、財布役か? よーし、分かった! 嬢ちゃんの目利きに免じて、その刀、特別に1000ゴールドにまけといてやるよ!」
「それでも高いですよ!? 1000ゴールドって、日本円で50万近いじゃないですか!?」
俺の悲鳴が、工房に木霊した。Eランクの武器に1000ゴールド? 足元を見ているにも程がある!
しかし源さんは、一歩も引かなかった。
「何をう!! これはダンジョン素材なんぞに頼らず、ワシの技術と魂だけで打ち上げた傑作だぞ!! 安いぐらいだ!!」
(まあ、売れ残りの在庫処分だし、気持ちぼったくってるのは本当だがな……)という心の声が、なぜか俺には聞こえた気がした。
俺がぐぬぬ、と押し黙っていると、横からユキが援護射撃(?)を入れてくる。
「そうだそうだー」
「ユキさん!?」
君はどっちの味方なんだ!
俺は頭を抱えた。目の前には、仁王立ちで「魂の傑作だ!」と叫ぶ頑固オヤジ。隣には、「そうだそうだー」と無邪気に相槌を打つ、世間知らずの腹ペコ剣聖。完全に四面楚歌だ。
俺の脳裏に、けなげに貯めてきた貯金通帳の残高が浮かび、そして消えていく。
だが……。
ユキがこの刀を見つめる、あの真剣な眼差しを思い出す。あれは、本当にこの刀を必要としている者の目だった。彼女がこれほどまでに望むのなら……。
「……はぁ……」
俺は天を仰ぎ、観念したように財布を取り出した。
「……買います。買わせていただきます……」
その日、俺のなけなしの貯金は、綺麗さっぱりなくなった。代わりに手に入ったのは、アナライザー評価Eランクの、ただの鉄の刀一本。
これから、どうやって生活していけばいいんだ……。俺は、本気で途方に暮れたのだった。