002話
あまりに現実離れした光景に、俺はしばらく声も出なかった。
ユキと名乗った少女は、巨大な蛇の死体を一瞥すると、その奥で青白く光るキノコを指差した。
「あれが、お前の探していたものか?」
「あ、ああ……『月光茸』だ……」
我に返った俺は、慌てて駆け寄り、依頼の品を慎重に採取する。ユキはと言えば、その間もずっと俺のそばに佇み、文字通り「護衛」のように周囲を警戒していた。いや、警戒する敵はもういないんだけど。
結局、ボス討伐の件は「正体不明の探索者の助けがあった」ということでギルドに報告し、俺は無事に依頼を完了させた。依頼主であるアリアさんは、娘さんのためにと涙ながらに俺に感謝してくれた。人の役に立てたという事実に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
だが、どうにも釈然としないものが、俺の心には大きなシミのように残っていた。
その原因は、言うまでもなく――。
「……」
ギルドからの帰り道。俺の数歩後ろを、当たり前のような顔をしてついてくる銀髪の少女、ユキの存在だ。
そして、俺のアパート『すめらぎ荘』の玄関を開ける頃には、その予感は確信に変わっていた。俺が部屋に上がるのと同時に、彼女もごく自然な動作で上がり込み、部屋の真ん中にちょこんと座り込んだのだ。
「……あの、ユキさん?」
「腹が、すいた」
簡潔な要求。一切の遠慮がない。
なんでぇ…? と心の中で叫びつつも、虚ろな目で腹を押さえる少女を前にすると、俺の「NO」という選択肢は霧散してしまう。これも俺の悪い癖だった。
「はぁ……わかった、わかったから。何か作るから待ってて」
キッチンに立ち、冷蔵庫の中身を確認する。幸い、昨日仕入れた『ロックバードの卵』と『森恵トマト』が残っている。俺は再びスキルを発動させた。
【ロックバードの卵】
・岩のような硬い殻を持つ鳥の卵。
・非常に濃厚な黄身は、生命力の源となる良質な脂質とアミノ酸を豊富に含む。
【森恵トマト】
・ダンジョンの森で採れるトマト。強い抗酸化作用を持つ。
・卵と合わせて加熱することで、互いの栄養素の吸収を助け、疲労回復効果を高める。
よし。これなら、今の彼女にぴったりのものが作れる。
手早くフライパンを熱して油をひき、溶いた卵を流し込む。ジューッという心地よい音と共に、ふわりと立ち上る香ばしい匂い。半熟になったところでざく切りにしたトマトを加え、塩コショウでシンプルに味を調える。あり合わせの食材で作った、即席のトマト卵炒めだ。
炊き立てのご飯と一緒にテーブルに置くと、ユキの蒼い瞳が、キラリと輝いた気がした。
「……いただきます」
小さな声で呟くと、ユキはレンゲを手に取り、夢中で料理を口に運び始める。その食べっぷりは、さっきまでの神秘的な『剣聖』の姿とは程遠い、ただの腹ペコな少女のものだった。
「うまい。体が芯から満たされるようだ。やはりお前の飯は最高だ」
空になった皿を置き、満足げに息をつくユキ。
料理人として、最高の褒め言葉だ。素直に嬉しい。嬉しい、のだが。
「それは嬉しいけど……君、これからどうするつもりなんだ?」
俺は一番聞きたかった、そして聞きたくなかった質問を口にした。
するとユキは、きょとんとした顔で俺を見つめ、こともなげに言い放った。
「ここに住む」
「えぇ……」
「何、働きはする。穀潰しにはならん」
腕を組み、ふん、と胸を張るユキ。いや、そういうことじゃない。そういう問題じゃないんだ。
「そういう問題じゃなくて! 家族はいないの?! 家はどこなんだ!?」
「……分からん。だが問題はない」
「問題しかないよ?! とりあえず警察行こ?! な?」
俺が必死に説得しようとすると、ユキはむぅ、と少しだけ口を尖らせ、拗ねた子供のような顔つきになった。そして、俺から視線を逸らすように、空になった自分のお椀をすっと差し出した。
「……仕方ないな。その前に、おかわりだ」