017話
緑の霧が晴れた瞬間、牙を剥いたマンイータープラントの群れが雪崩を打って俺たちに殺到した。
もはや逃げ場はない。俺と萌恵さんは、迫りくる死を前にただ顔を青くするしかなかった。
しかし、その牙が俺たちに届くことはなかった。
「――!!」
凛として、それでいて氷のように冷たい声が響く。
次の瞬間ユキを中心に銀色の閃光が爆発した。
一本、二本ではない。百、いや千はあろうかという無数の剣閃が、まるで嵐のように吹き荒れ、殺到したマンイータープラント達を音もなく微塵に切り裂いていったのだ。
それはあまりにも美しく、そしてあまりにも圧倒的な蹂躙だった。
数秒後、俺たちの周囲には切り刻まれた植物の残骸だけが散らばっていた。
「ぐっ……! ……腹が……」
「ユキ!」
だが、その絶技の代償は大きかった。凄まじい生命力を一瞬で放出した反動か、ユキの体から急激に力が抜け、その場に崩れ落ちそうになる。俺は慌てて彼女の体を抱きとめた。
「こ、こちらへ! 早く!」
九死に一生を得た萌恵さんが恐怖に引きつりながらも、すぐ近くに見える建物を指差した。
俺はユキを小脇に抱えると、萌恵さんと共に最後の力を振り絞って走り出した。
ユキの体は、その華奢な見た目を考慮しても驚くほど軽い。まるで、中身が空っぽであるかのように。
背後からは切り裂かれてもなお再生し、後続が次々と現れるマンイータープラントの群れが迫ってくる。俺たちは必死に走り、建物の分厚い金属製の扉に飛び込むと、全体重をかけてそれを閉じた。
ガンッ!と鈍い音を立てて蔦が扉にぶつかる音がしたが、それも一度きり。やがて外は不気味な静けさに包まれた。
「こ……ここは……?」
「はぁ、はぁ……。ここが、私たちが放棄した……研究所です……」
息も絶え絶えな萌恵さんの言葉通り、そこは間違いなく研究施設だった。白い壁に囲まれた無機質な廊下。床には、先日の襲撃の際の揺れで転がったのであろう、オフィス用品や書類が散らばっている。しかし、壁や設備そのものに、戦闘による損傷は見られなかった。
「彼らは、この施設自体には攻撃を仕掛けてこなかったようですね……」
「と、とりあえずは安全ってことですか……? それなら、早くユキに何か食べさせないと……!」
俺はぐったりとしているユキの顔を覗き込む。その顔は青白く、呼吸も浅い。一刻も早く、栄養を補給させなければ。
「それなら、キッチンスペースに非常用のレーションが残っているはずです。一旦は、それで……」
俺たちは萌恵さんの案内で、研究所の内部を探索し始めた。幸い、非常用電源は生きているようで、廊下には最低限の明かりが灯っている。
道中、萌恵さんが、未だ信じられないといった様子で口を開いた。
「ユキさん……本当に、凄い方だったんですね…あの剣技は一体……」
「え? あ、あぁ……なんでも『剣聖』って呼ばれてたみたいで…… 俺も詳しいことは何も……彼女、それ以外の記憶はないみたいなんです 」
「記憶喪失……? それに、あの急激な消耗……もしかして、何かの呪いでしょうか? 」
呪い、という言葉が、俺の胸に重く突き刺さった。
そういえば、と思い当たる節はいくつもあった。
異常なまでの食欲。
どれだけ食べても満たされないかのような底なしの飢餓感。
そして今この腕に抱いている、羽のように軽い体。
普通の人間ならありえない軽さだ。
ユキのこの異様な軽さは彼女の体を蝕むという呪いのせいなのだろうか?
この時の俺はまだ、彼女を苛む【餓渇の呪い】という呪いの名も、その詳細も知らなかった 。
ただ萌恵さんの言葉をきっかけに、漠然とした……しかし拭い去ることのできない疑念が、俺の心の中に芽生え始めていたのだった。