013話
世界樹を目指して平原を歩き始めてから、一時間ほどが経っただろうか。遠目にも巨大だった世界樹は、近づくにつれて、そのスケール感が現実味を失っていく。見上げても、その頂は遥か雲の上。幹の表面には、まるで川が流れるように生命の魔力が脈打ち、空気中に満ちるマナの密度が、明らかに濃くなっていくのを感じる。
未知の食材の宝庫を前に、俺のテンションは上がりっぱなしだった。しかし、そんな俺とは対照的に、隣を歩くユキの表情が、ふいに険しくなった。
「止まれ、マコト」
鋭く、低い声だった。
「何かが来る」
「え?」
俺が思わず足を止めると、その瞬間、俺たちの目の前の地面が、まるで生き物のように盛り上がった。土を突き破って現れたのは、巨大な口を持つ、蔦のような体をした植物型の魔物だった。
ザシュッ!
俺が反応するよりも早く、ユキが腰の刀を抜き放っていた。銀色の閃光が走り、植物の蔦は一瞬にして細切れになって地面に散らばる。その間に、俺は携帯端末を取り出し、分析動器を起動していた 。ピピッと電子音が鳴り、画面に情報が表示される。
【マンイータープラント(変異):Bランク】
・食性植物の突然変異種。
・世界樹の過剰な魔力の影響を受け、異常な繁殖力と凶暴性を獲得している。
・本体は地中にあり、蔦はいくらでも再生する。
「変異……こんな表示、初めて見るぞ?!」
「問題ない。切り伏せる」
俺の驚愕をよそに、ユキは冷静にそう言い放った。
彼女の言葉通り、マンイータープラントは次から次へと、地底から新たな蔦を伸ばして襲いかかってくる。ユキはそれを、まるで邪魔な雑草でも刈るかのように、淡々と、しかし正確無比な剣閃で切り伏せていく。一撃で数本の蔦を同時に切り裂くその剣技は、もはや芸術の域に達していた 。
だが、敵の数は減るどころか、むしろ増えているようにさえ感じられた。四方八方の地面から、無数の蔦が、うねる大蛇のように鎌首をもたげる。
「キリがないな……」
ユキは無表情のまま、ちっ、と小さく舌打ちをした。消耗している様子はないが、このままでは埒が明かない。
そして、無数の蔦を相手にしていたユキの防御網を、ついに一本の蔦がすり抜けた。その目標は、戦闘能力が皆無の俺だった 。
「うぇええええ!?」
巨大な口が、俺めがけて迫ってくる。情けない悲鳴を上げる俺。
まずい、と思ったユキは、すぐに俺を助けようと駆け出そうとする。だが、その瞬間。
「……いかん、腹が…」
ユキの足が、ぴたりと止まった。彼女の体を蝕む【餓渇の呪い】 。戦闘による消耗が、その発作の引き金を引いたのだ。体から急激に生命力が奪われ、猛烈な飢餓感が彼女の体を襲う。その一瞬の隙が、彼女の動きを致命的に鈍らせた。
絶体絶命かと思われた、その時だった。
ヒュンッ!
乾いた風切り音と共に、一本の矢が飛来し、俺に迫っていたマンイータープラントの頭部(巨大な口)を、根本から正確に撃ち抜いた。蔦は断末魔の叫びもなく、力なく地面に崩れ落ちる。
「貴方達! 油断が過ぎますよ!!」
凛とした、厳しい声色が響いた。
見ると、少し離れた岩の上に、一人の人影が立っている。深くフードを被っているため顔は分からないが、手にした大弓と、その佇まいから、熟練のレンジャーであることがうかがえた。
「こっちです! 世界樹に近づきすぎています! それが奴らを活性化させている原因です、早くここから離れて!」
女性レンジャーはそう叫びながら、次々と矢をつがえては放ち、俺たちに群がる蔦を的確に射抜いていく。その援護射撃は、まさに神業だった。
「ユキ! いったん引こう!」
「……腹が、減った……」
「言ってる場合じゃないでしょ?!」
俺は呪いの影響で動きが鈍っているユキの手を引き、女性レンジャーが指し示した方向へと必死に走り出した。
背後では、なおも無数の蔦が蠢き、そしてそれを正確に射抜く矢の音が響いている。
女性の援護を受けながら、死に物狂いで走ること数分。俺たちは、なんとかマンイータープラントの猛攻から逃れ、安全な距離まで撤退することに成功したのだった。