断罪された悪役令嬢、実は最強の錬金術師でした
第一章:断罪の舞台は華麗に、そして劇的に
王立学園の卒業パーティーは、まさに絵に描いたような華やかさだった。大広間の天井からは、無数のクリスタルが煌めくシャンデリアが吊るされ、その光が壁に飾られた紋章や、貴族たちのきらびやかなドレス、端正なタキシードに反射して、目映いばかりの輝きを放っていた。甘やかな花の香りと、高価な香水の匂いが混じり合い、どこからともなく流れてくる優雅な音楽が、この場の空気を一層高貴なものにしている。誰もが笑顔で談笑し、グラスを傾け、この夜を心ゆくまで楽しんでいる…ように見えた。
公爵令嬢セシリア・アージェントは、そんな祝祭の渦中にありながら、どこか場違いな存在だった。深い青色のドレスは、広間の豪華さに負けないほど凝った装飾が施されているはずなのに、周囲の目はまるで彼女が透明であるかのように素通りしていく。いや、素通りではない。むしろ、冷ややかな視線や、ヒソヒソと交わされる囁きが、絶え間なく彼女に突き刺さっていた。「あの悪役令嬢が」「また誰かをいじめるんじゃないか」「高慢ちきな女だ」――。そんな噂話が、まるで毒を含んだ空気のように彼女を取り巻いていることを、セシリアは知っていた。それでも、彼女は表情一つ変えず、ただ静かに、シャンパンの泡が弾けるグラスを見つめていた。内心では、「また始まったか」と呆れ返っていたが。
セシリアは知っていたのだ。この場が、自分を陥れるための舞台装置であることを。そして、今夜、全てが終わることも。前世の記憶を持つ彼女にとって、この世界は、かつてプレイした『乙女ゲーム』そのものだった。そして、自分は、主人公をいじめ抜く悪役令嬢――ゲームのシナリオ通り、最後の夜に断罪される運命にある存在だった。
「皆様!本日は、我が王国の未来を担う若者たちの旅立ちを祝う、素晴らしい夜です!」
朗々とした声が広間に響き渡り、人々の視線が一斉に集まった。第一王子、エドワード殿下の登場だ。彼は、国民に愛される理想的な王子。金色の髪は光を放ち、青い瞳は誠実さを湛えている。…ゲームの中では、だが。セシリアは知っていた。彼の目は、困惑と、ほんの少しの傲慢さを隠し持っていることを。そして、その隣に立つのは、このゲームの「真のヒロイン」であるリリィ・エヴァンズ。平民の出ながら、その純真さと可憐さで、多くの人々の心を掴んだ令嬢だ。今夜のリリィは、まるで花びらのように柔らかな白いドレスを身につけ、少し不安げにエドワードの腕にしがみついている。その姿は、いかにも可憐な「被害者」を演じているようだった。セシリアは内心で舌打ちした。彼女の演技は、プロの役者をも凌駕するレベルだ。
「しかし、この喜びの日に、敢えて、看過できない罪を皆様に問わねばなりません」
エドワードの声が、広間の空気を一変させた。ざわめきが起こり、視線がセシリアへと集中する。エドワードは、ゆっくりとセシリアの方を向いた。その瞳には、憐憫とも、糾弾ともつかない複雑な感情が入り混じっている。
「公爵令嬢セシリア・アージェント!貴女には、幾多の罪があります!」
罪状が次々と告げられた。
「貴女は、婚約者である私を侮辱し、私の名誉を傷つけた!」
「貴女は、リリィ嬢を階段から突き落とし、その怪我を嘲笑った!」
「貴女は、毒薬を用いてリリィ嬢を病に陥れようとした!」
「貴女は、秘密裏に王家転覆を企て、不穏な魔術実験を行っていた!」
次々と突きつけられる捏造された罪状に、広間は息を呑んだ。証言者として、セシリアを普段から嫌っていた貴族たちが、まるで練習でもしたかのように淀みなく、芝居がかった口調で証言していく。彼らは、リリィの背後にいる錬金術師ギルドの幹部に買収されていることを、セシリアは知っていた。
毒薬?私がそんな粗雑なものを使うとでも?リリィが病に陥ったのは、ただの風邪だ。しかも、魔術実験?不穏な魔術ではない。それは、この世界の常識を覆す、真の錬金術の探求だ。
セシリアは、内心で冷ややかな笑みを浮かべた。告発の内容は、あまりにもお粗末だった。錬金術師としての視点から見れば、提示された「証拠品」も、どこかの薬屋で安く手に入るような粗悪なポーションや、簡単に作れる偽造の書類に過ぎない。この程度の粗悪な証拠品で自分を陥れようとするとは、よほどこちらの錬金術を軽んじているのだろう。そして、リリィの「悲痛な」泣き声は、まるで劇場で見る悲劇のヒロインのようだった。
だが、セシリアは反論しなかった。いや、反論する気もなかった。なぜなら、これは彼女にとって、自由への扉を開くための、最高の舞台だったのだから。
エドワードは、感情的に声を荒げた。
「このような悪行の数々、断じて許されるものではない!よって、公爵令嬢セシリア・アージェントとの婚約を破棄する!そして、貴女には、この王国からの国外追放を命じる!」
雷鳴のような歓声が、広間に響き渡った。民衆は喝采し、貴族たちは陰で高慢な笑みを浮かべている。リリィは、その場で崩れ落ちるように泣き始めた。だが、その涙の合間に、セシリアの姿を盗み見て、僅かに口角を上げるのを、セシリアは見逃さなかった。
「ざまぁみろ!」
「悪役令嬢め!」
そんな罵声が、リリアの耳に届く。だが、それはもはや、彼女の心には響かない。
セシリアは、心の中で過去を振り返っていた。前世の記憶が蘇ってから、彼女はこのゲームの世界に自分が存在することを知った。そして、自分は、主人公によって断罪され、追放される運命の「悪役令嬢」だった。最初は絶望した。だが、同時に、彼女は前世の知識と、この世界で得た錬金術の才能を組み合わせることで、この運命を逆転させる術を見出したのだ。
公爵令嬢として育てられた彼女は、幼い頃から王家の錬金術研究室に出入りすることを許されていた。しかし、その実態は、彼女の強大な魔力と錬金術の才能を「王家のための道具」として利用し、監視するためのものだった。彼女の真の力は、常に抑制され、実験の成果は全て王家の管理下に置かれた。
しかし、セシリアは密かに、独自の錬金術研究を進めていた。前世の科学知識を応用し、この世界の錬金術の常識を遥かに超える理論を構築したのだ。誰にも気づかれぬよう、ひっそりと、しかし確実に、彼女の力は進化していった。
そして、この「断罪」の時が来ることを、彼女は予見していた。これは、彼女を王家の束縛から解放し、真の錬金術師として自由に生きるための、絶好の機会なのだと。
護衛の騎士たちが、セシリアの腕を取ろうと近づいてくる。だが、彼女は彼らに触れさせなかった。ドレスの裾を翻し、ゆっくりと、しかし堂々と広間の出口へと歩き出す。誰もが、彼女が泣き崩れるか、醜く喚き散らすか、あるいは絶望に打ちひしがれる姿を期待していた。
しかし、セシリアは広間の中心で立ち止まった。そして、ゆっくりと振り返った。
その視線が、エドワード王子と、その隣で演技をしているリリィを、そして、歓声を上げている広間の全ての人々を、まるで上から見下ろすかのように捉えた。
そして、その口元に、ゆっくりと笑みが浮かんだ。
それは、悲しみや絶望の笑みではなかった。
歓喜に打ち震えるような、狂気にも似た愉悦の笑み。
「ようやく、自由になれるわ」
そう言いたげな、不敵な笑みだった。
その瞬間、広間を埋め尽くしていた歓声が、ピタリと止まった。
全ての音が消え、時間さえも止まったかのように、広間は絶対的な静寂に包まれた。
リリィの顔から、一瞬、演技の仮面が剥がれ落ち、純粋な恐怖の表情が浮かんだ。エドワードの顔にも、困惑と、ほんの少しの畏怖の色が浮かぶ。
セシリアは、その静寂の中で、もう一度、深く、しかし冷徹に笑った。
「お望み通り、追放されましょう。ただし…後悔しても、もう遅いけれど」
その言葉は、誰にも聞こえなかったかもしれない。しかし、その場にいた誰もが、彼女の瞳の奥に宿る、底知れない力を感じ取った。
彼女は、背を向け、大広間を後にした。
その足取りは、まるで新たな世界への扉を開くかのように、軽やかだった。
---
第二章:追放先は辺境の荒野、されど錬金術師の楽園
粗末な馬車に揺られること、数週間。王都の舗装された道から離れ、馬車はひたすら荒れた道を走り続けた。砂埃が舞い上がり、リリアの高級ドレスはすっかりくたびれ、髪も乱れた。旅の間、護衛の兵士たちは、彼女を監視し、時には陰で「あの悪役令嬢め」「これでようやく解放される」と嘲笑した。だが、セシリアは彼らを相手にしなかった。彼らの言葉など、耳を素通りする風と同じだ。彼女の頭の中は、錬金術の新たな理論構築で忙しかったのだ。
王都周辺の豊かな森や肥沃な畑は、日を追うごとに姿を変えていった。やがて窓の外に広がるのは、乾いた大地と、所々に岩山が点在する荒涼とした景色だ。空気は乾燥し、太陽の光は容赦なく照りつける。途中で立ち寄る宿は、どれも薄汚れていて、食事も簡素なものだった。かつては豪華な食事と柔らかなベッドが当たり前だった公爵令嬢にとっては、想像を絶する環境だろう。しかし、セシリアは全く動じなかった。むしろ、外界の制約から解放され、心は軽くなっていた。早く錬金術に没頭したい。その一心だった。
そして、ある日。馬車は、荒野の真ん中に立つ、たった一軒の朽ちかけた小屋の前で止まった。
「…ここが、貴女の新たな住処だ」
護衛の隊長が、冷たく告げた。隊員たちは、セシリアが惨めな顔をするのを期待したかのように、ニヤニヤと笑っている。
だが、セシリアは笑った。
「ふふ…素晴らしい。理想的だわ」
彼女の言葉に、隊長は怪訝な顔をした。ボロボロの小屋は、見るからに今にも崩れ落ちそうだ。しかし、セシリアの目には、この小屋が、誰にも邪魔されない最高の研究室として映っていたのだ。
護衛が去り、セシリアは一人、小屋の前に立った。風が吹き荒れ、砂が舞い上がる。窓は割れ、壁にはひびが入り、扉は蝶番が外れかけている。しかし、セシリアは胸を躍らせた。
「さあ、始めましょうか、私だけの楽園作りを!」
彼女はまず、小屋の修理に取り掛かった。朽ちた木材は、錬金術で生成した強化剤で瞬く間に硬化し、ひび割れた壁は、素材合成の錬金術で完璧に修復された。割れた窓には、錬金術で作り出した透明で頑丈な膜を張り巡らせる。そして、極めつけは「無限水源の井戸」だ。地脈の魔力を汲み上げ、それを錬金術で清らかな水に変える。小屋の片隅には、自動で火を熾し、温度を一定に保つ暖炉まで設置した。ほんの数時間で、ボロボロだった小屋は、快適で、そして錬金術の秘密が詰まった理想の隠れ家へと変貌したのだ。護衛の兵士たちが見たら、きっと腰を抜かしていただろう。
小屋が整うと、セシリアは荒野へと繰り出した。この不毛な土地でも、彼女の目には、ありふれた石ころも、乾燥した雑草も、全てが錬金術の素材として輝いて見えた。王都では、王家の監視下でしか錬金術の研究が許されず、使える素材も限られていた。だが、ここでは違う。自由に、思う存分、素材を探し、実験できる。
彼女はまず、辺境の生活を快適にするためのポーションを作り始めた。
「まずは基本の回復ポーションから…と。まあ、市販の粗悪品とは比べ物にならない代物になるけれど」
彼女が生成した回復ポーションは、従来のものの数倍の効果を持っていた。切り傷一つ残さず治癒し、発熱も一瞬で完治させる。材料は、その辺に生えている雑草と、少しの魔力だけ。これまでの常識では考えられないことだった。
さらには、疲労回復ポーション、身体能力向上ポーション、五感を鋭敏にするポーションなど、次々と生み出されていく。中には、少し失敗して、飲んだら全身が虹色に光り出すポーションや、一日中笑いが止まらなくなるポーションなどもできたが、それも研究の過程だ。
「ふふ、これはこれで面白いわね。いつか、リリィに飲ませてあげたいものだわ」
セシリアは、そう呟いて不敵に笑った。
ポーション以外にも、彼女は様々な魔法具を創造した。
「自動採取装置」は、地脈の魔力を吸収し、特定の錬金素材を自動で生成する優れものだ。これで、いちいち素材を探し回る手間が省ける。
「気候操作装置」は、限られた範囲だが、乾燥した大地に雨を降らせ、小さな畑を潤すことを可能にした。
「防衛装置」は、小屋に近づく侵入者を自動で感知し、撃退する。ただし、物理的な攻撃ではなく、特定の周波数の音波で眠らせたり、強烈な異臭を放つガスを噴出したりするような、セシリアらしい錬金術的な方法で。
「これで、邪魔は入らないでしょう」
彼女は、前世の現代知識も惜しみなく活用した。衛生管理、効率的な保存食の作り方、簡単な機械の構造。それらを錬金術と融合させることで、辺境での生活は劇的に向上した。簡易的なろ過装置で水を常に清潔に保ち、収穫した野菜や肉は、錬金術で作った乾燥機で効率的に保存する。
「貴族としての知識も無駄にはならないわね。あの人たちが腐敗していった理由も、よく分かるもの」
社交界で培った洞察力や、王国の政治情勢に関する知識は、今後の彼女の計画に役立つだろう。
セシリアにとって、錬金術は単なる技術ではなかった。それは自己表現であり、彼女自身の生きがいそのものだった。王家の監視下で能力を抑制されていた頃の鬱屈は、今や完全に晴れ渡っていた。誰にも監視されず、誰にも邪魔されず、思う存分実験できる。失敗を恐れず、様々な素材を試し、新たな発見に喜びを覚える。
「ああ、なんて素晴らしい世界なの!こんな自由を、なぜあの者たちは私から奪おうとしたのかしら」
彼女は心から生き生きとしていた。その表情は、王都で「悪役令嬢」と呼ばれていた頃の冷淡な仮面とは全く違う、純粋な探求心に満ちたものだった。
荒廃していた辺境の地が、彼女の錬金術によって少しずつ変化していく。小屋の周りには、緑が芽吹き、小さな草花が咲き始めた。かつては土埃が舞い上がっていた場所には、錬金術で改良した土壌の畑が広がり、生命力あふれる野菜が育っている。
セシリアは、この辺境の地に愛着を抱き始めていた。こここそが、自分のあるべき場所なのだと。錬金術の力が、世界を救うためでも、誰かを傷つけるためでもなく、ただ自分の生活を豊かにし、純粋な好奇心を満たすために使える喜び。
彼女は、満ち足りた笑顔で、錬金術の釜を覗き込んだ。新たな素材が、輝く光を放ちながら、変質していく。
これからの毎日が、何よりも楽しみだった。
---
第三章:辺境からの反撃、静かに、そして確実に
辺境の荒野で、セシリアが錬金術の楽園を築き上げていく一方で、遠く離れた王国では、静かに、しかし確実に破滅の足音が忍び寄っていた。そして、セシリアの錬金術の成果が、皮肉にも、その破滅を加速させることになる。
最初のきっかけは、些細なことだった。辺境の小さな村に住む、貧しい猟師がいた。彼の妻は原因不明の病に伏せ、子供は高熱に苦しんでいた。薬師も聖職者も匙を投げ、猟師は絶望していた。ある日、彼は獲物を求めて森の奥深くへと分け入ったが、そこで道に迷ってしまう。疲れ果て、倒れかけた時、彼は偶然、セシリアの小屋から漏れる光を見つけた。警戒しながら近づくと、セシリアが錬成中のポーションを小屋の外に捨てていた。それは、セシリアにとっては失敗作…飲んだら体が虹色に光る、程度のポーションだったのだが。猟師は藁にもすがる思いでそれを持ち帰り、藁にもすがる思いで家族に飲ませた。結果、妻と子供の病は完治し、彼らはしばらく虹色に輝く体になったが、すぐに元に戻った。猟師は、この「奇跡の薬」を「森の精霊の恵み」として、村で密かに噂を広めた。
噂は、やがて好奇心旺盛な行商人の耳に入った。彼は、王都では手に入らない珍しい品を求めて辺境を旅していた。猟師の話を半信半疑で聞きながらも、一縷の望みをかけてセシリアの小屋に辿り着いた。行商人が小屋の結界に触れた瞬間、足元から強烈な硫黄臭のガスが噴き出し、彼はその場で倒れ込んだ。セシリアは、防衛装置が作動したことに気づき、外に出ると、気絶した行商人が倒れている。
「あら、また装置が誤作動したかしら。まあ、いいわ」
セシリアは、行商人から金を巻き上げる…いや、生活費と引き換えに、いくつかのポーションを譲った。それは、一般的な回復ポーションや解毒ポーションだったが、その効果は市販品の比ではなかった。行商人は、半信半疑でそれを王都へ持ち帰り、病で苦しむ知人に分け与えた。すると、その知人は瞬く間に回復し、その品が持つ圧倒的な効果に人々は驚嘆した。王都の貴族たちは、その「奇跡の品」の出所を巡って騒然となり始めた。
一方、セシリアを追放した王国では、問題が山積し、その衰退は目を覆うばかりだった。
まず、魔物の増加だ。以前は王城の錬金術師たちが作り出した結界や、特定の薬を用いて魔物の活動を抑制していた。だが、セシリアの追放後、王立錬金術研究室は機能不全に陥り、残された錬金術師たちはセシリアの高度な技術を再現できなかったのだ。結果、森や山から強力な魔物が出現し始め、領地を荒らした。騎士団は対処に追われ、その損害は日を追うごとに増大していった。
次に、謎の疫病の蔓延だ。王都で原因不明の奇病が流行し、多くの死者が出た。聖職者たちは連日祈りを捧げ、神殿の聖水は枯渇寸前になったが、病は広がる一方だった。かつてはセシリアが、秘かに作り上げたポーションで治療に協力していたが、今はその手助けもない。
さらに、無計画な開発や魔物の影響で、重要な鉱物や薬草などの資源が枯渇し始めた。それに伴い、食料価格は高騰。飢えと貧困が、民衆を苦しめていた。
王室は、機能不全に陥っていた。王子エドワードは、連日の会議で苛立ちを募らせるばかりで、有効な対策を全く打ち出せない。彼を支える「真のヒロイン」リリィも、本来は癒しの力を持つとされるが、その力はセシリアの魔力には遠く及ばず、疫病の蔓延を止めることはできなかった。会議室では、責任のなすりつけ合いが横行し、貴族たちは自らの保身に走るばかりだった。
「一体どうすればいいんだ!セシリアがいた頃は、こんなことにはならなかった!」
エドワードは、苛立ちから、かつての婚約者の名を口にすることが増えていた。
民衆の間では、不満が爆発寸前になっていた。日々の生活が苦しくなるにつれて、かつて「悪役令嬢」と罵ったセシリアを懐かしむ声さえ出始めていた。「あの公爵令嬢は、確かに高慢だったが、少なくとも王都がこんな惨状になることはなかった」「彼女がいた頃は、病もすぐに治ったし、食べ物も安かった」――。そんな声が、水面下で広がり始めていた。
王子エドワードは、王国の窮状を目の当たりにし、ようやくセシリアの存在の大きさに気づき始めた。彼女が管理していた王家の錬金術研究室は、今や埃をかぶっており、誰もその高度な知識と技術を理解できない。彼は密かに、セシリアの追放後の情報を集め始めた。辺境で「奇跡の錬金術師」の噂が広まっていることを知り、それがセシリアなのではないかと疑い始めた。
「まさか…あの女が、こんなことを…」
エドワードは、過去の自分の愚かな行いを後悔し、セシリアを追放したことが最大の誤りであったと悟る。しかし、プライドと、彼女への複雑な感情が邪魔をして、素直に助けを求められない。焦燥感に駆られ、彼は日夜、セシリアの力を求めるようになっていった。
「真のヒロイン」リリィと、その背後にいる黒幕、錬金術師ギルドの幹部も、セシリアの錬金術の噂を聞きつけ、焦り始めていた。彼らの錬金術は、セシリアが編み出した理論には到底及ばず、彼女の存在は脅威でしかなかった。
「あの女が、なぜ生きている…!しかも、あんな力を!」
黒幕は、セシリアを陥れるために用意した粗悪な錬金術の成果が、今や自分たちの首を絞めていることに気づき、顔色を悪くした。彼らはセシリアの存在を完全に消し去ろうと画策するが、辺境の奥深くにあるセシリアの小屋に近づくことすらできなかった。セシリアの錬金術による防御は、彼らの想像を遥かに超えていたのだ。
セシリアは、外界の混乱を、冷静に、時に皮肉を込めて観察していた。彼女は、自動採取装置から生成される上質な素材を手に取り、ポーションを錬成しながら、遠くで起こる異変を感じ取っていた。
「王都は、随分と騒がしくなっているようね。愚かなことだわ」
彼女のモノローグには、かつての恨み辛みは含まれていない。ただ、全てが彼女の予想通りに進んでいることに、静かな満足感があった。
王国が自滅していく様は、彼女にとって最高の「ざまぁ」だった。
彼女は、自らの手で築き上げたこの楽園から、静かに、そして確実に、辺境からの反撃を開始していたのだ。
---
第四章:真の力と新たな未来
王国は、もはや風前の灯火だった。魔王が完全に復活し、その配下の魔物軍団が首都を完全に包囲。防衛線は崩壊寸前で、城壁にまで魔物の咆哮が響き渡る。都市部では疫病が全土に広がり、食料は尽き、民衆は飢えと絶望に苛まれていた。かつての輝きは見る影もなく、王国全体が死の淵にあった。
絶望的な状況の中、王子エドワードは、最後の望みをかけて辺境のセシリアのもとへ向かっていた。彼の隣には、憔悴しきったリリィと、顔面蒼白の錬金術師ギルドの幹部が控えている。もはや彼らには、かつての傲慢さもプライドもなかった。埃と泥にまみれ、疲れ果てた姿は、道端の浮浪者と変わらない。
数週間の旅の末、彼らはついにセシリアの小屋に辿り着いた。小屋の周囲は、以前とは見違えるような楽園と化していた。豊かな緑に囲まれ、清らかな水が流れ、見たこともないような美しい花々が咲き乱れている。空気は澄み渡り、人々の賑やかな声が聞こえてくる。そこは、王国の惨状とは全く異なる、生命力に満ちた別世界だった。
辺境の住民たちは、セシリアの錬金術によって病から解放され、豊かさを享受していた。かつての荒野は、今や希望を求めて集まる人々で賑わう「楽園」へと変貌していたのだ。
「セシリア!セシリア様!」
エドワードは、小屋の前に跪き、叫んだ。その声には、かつての高慢さはなく、ただ必死の懇願が込められていた。
小屋の扉が静かに開き、セシリアが姿を現した。彼女は、王都にいた頃と変わらぬ、しかし以前よりも自信に満ちた、気品ある姿だった。その瞳は、冷徹でありながらも、全てを見通すような深い輝きを宿している。
「…何の御用でしょうか、元婚約者殿」
セシリアの声は、どこまでも静かだった。その静けさが、エドワードたちの心を凍らせる。
「セシリア…どうか、我々を、王国を救っていただきたい!魔王が…魔王が復活したのだ!貴女の力が必要なのだ!」
エドワードは、土下座をして懇願した。リリィも、涙を流しながら「お願いします、セシリア様…!」と命乞いをする。その横で、錬金術師ギルドの幹部は、顔面蒼白で震えていた。
セシリアは、冷徹に、しかし堂々と彼らを見下ろした。
「貴方方は、私を『異物』と断じた。私の魔力を恐れ、王家を転覆させようとした罪を捏造し、私を追放した。ならば、なぜ今、その『異物』に助けを求めるのですか?」
その言葉に、エドワードは顔を伏せるしかなかった。
「貴方方は、私の錬金術を『不穏な魔術』と罵り、その技術を王家の管理下に置こうとした。私の錬金術は、貴方方の傲慢と愚かさによって、失われたはずでは?」
セシリアの言葉は、まるで鋭い刃のように彼らの心を突き刺す。錬金術師ギルドの幹部は、顔を青ざめさせ、何も言えずに震えるばかりだった。
そして、リリィに向き直る。
「リリィ殿。貴女は、私が貴女を陥れようとしたと涙ながらに訴えましたね。その虚偽の証言が、どれほどの被害をもたらしたか、今こそ実感していることでしょう」
リリィは、顔から血の気が引き、その場に崩れ落ちた。
セシリアは、ゆっくりと歩みを進め、辺境の地の全景が見渡せる丘に立った。
「王都は、もう終わりです。貴方方自身の愚かさが招いた結果です」
彼女の言葉は、王国への最後の審判だった。
「しかし、私には、この地で築き上げた未来があります。病に苦しむ者なく、飢える者なく、そして誰にも恐れられずに、人々が穏やかに暮らせる世界が」
セシリアは、辺境の地に集まる人々を指し示した。彼らは皆、セシリアの錬金術の恩恵を受け、感謝の念を抱き、彼女を慕っていた。
「私の錬金術は、貴方方のためではなく、この地を信じ、私を求めて集う人々のために存在するのです」
エドワードたちは、己の過ちとセシリアの真の力、そして彼女の揺るぎない意志に絶望した。彼らがかつてセシリアにしたように、今度は彼らが裁かれ、失墜する番だった。王国は崩壊し、王子たちはその中で、自らの愚かさの報いを受けることになった。彼らの結末は、セシリアが直接手を下すのではなく、彼らのこれまでの行いがもたらした自業自得の結果として描かれた。
王国が完全に滅び去る中、セシリアの辺境の地は、新たな独立国家として確立された。彼女は、もはや「悪役令嬢」ではない。その圧倒的な知識と力、そして、この地を愛する慈悲深さで、人々から「賢者セシリア」、あるいは「女王」として慕われる存在となった。彼女のカリスマ性は、王国の虚飾とは異なり、真の実力に基づいていた。
セシリアは、誰の指図も受けず、純粋に錬金術の探求に没頭する自由を手に入れた。新たな素材を発見し、未知の錬金術理論を確立し、さらに発展させていく。彼女は、王国の地位や名声など、何一つ欲しがらなかった。ただ、錬金術と共に生きることが彼女にとっての幸福だった。
「この世界の錬金術は、まだまだ発展途上だわ。私には、もっとできることがある」
彼女は、そう呟いて、新たな錬金術の可能性を追い求める。
セシリアは、王国の崩壊を傍観し、自らの手で理想の世界を築き上げた真の支配者として、新たな時代を切り開いていく。彼女の錬金術が、ただの技術ではなく、新しい世界の基盤となり、そこに集う人々に希望を与える。
かつての「悪役令嬢」は、今や真の賢者として、静かに、しかし確かな歩みで、自らの選んだ道を往く。そして、その道の先には、無限の可能性が広がっていた。