14話 私にできること
バルドたちが探索に出て、三日が経った夜。
リュミエールは静かな部屋で、ひとりの時間を過ごしていた。
そのとき——隣のカイの家から、扉が乱暴に開く音が響いた。
「帰ってきたんだ!」
胸が高鳴り、慌てて外に出ると、泥にまみれ、袖の破れた上着を羽織ったカイが立っていた。
「……ただいま」
掠れた声でそう言ったきり、カイはその場にしゃがみ込む。
すぐ後ろからバルドが現れ、無言でカイの体を支えた。
「……襲われた。盗賊だ。数も多かった。石を奪われた」
「えっ……」
低く落ち着いた声だったが、バルドの言葉は確かにリュミエールの胸を突き刺した。
息が詰まりそうになる。
カイの袖口には、赤黒い染みがじんわりと広がっていた。
「……隠してると思われた。あいつら、また来る」
その一言で、空気が凍りついた。
「わしは明日の朝いちばんで国に報告へ行ってくる。
今日は休め。
リュミエール、心配かけたが、カイの体に大きな問題はない。腕は…折れたようだが。
また明日話そう」
「……わかったわ。
カイ、師匠、お水、置いておくね」
リュミエールは水をそっと手渡すと、心を落ち着かせる魔力を静かに注ぎ込み、自宅へ戻った。
心臓がばくばくして、どうにかなりそうだった。
いったい、何があったんだろう——。
「明日、元気な二人に会えますように」
そう願いながら、リュミエールは眠れぬまま朝を迎えた。
朝日が顔を出し、その光がミオルカの街全体をやわらかく照らし始めた頃、リュミエールはカイの家を訪ねた。
コンコン――。
「師匠、おはようございます。
カイはどうですか?」
扉の向こうから返ってきたのは、落ち着いたバルドの声だった。
「おお、リュミエールか。今ちょうど国への報告を終えて戻ってきたところだ。
カイなら、今顔を洗ってるよ。みんなでお茶でも飲みながら話をしようか」
席につき、温かい湯気の立つ湯のみを手にした頃、バルドがゆっくりと語り出した。
探索は順調だった。国にとってもいい成果となるはずだった。
……その時までは。
夜の静けさを破るように、突然襲撃があったという。
腕の立つ仲間ばかりのバルドのチームだったが、不意打ちだったため対応しきれず、バルドは判断を下した。
「……石を渡すしかないと考えた。下手をすれば命を落とす」
だが盗賊たちは、魔石をまだ隠していると疑い、
全て差し出してもなお「また来る」と言い残して去っていった。
「差し出さぬなら、この国の中から探し出すまでだ」と。
その去り際——カイが飛びかかったのだという。
思いがけない行動だった。けれど、気持ちは痛いほどわかった。
「……あいつら、卑怯なことしやがって! 一発ぐらい殴ってやろうと思ったんだ!」
カイが入ってきて、少し照れたように笑う。
「ま、逆に殴られちゃったけどね……」
と、その手にしていた布袋を取り出し、テーブルの上にごとりと置いた。
「でも、あいつら……その時に魔石を一つ落としたんだよ!だから、持って帰ってきた!」
小さな石が、木のテーブルの上で微かに転がった。
リュミエールは、それを見つめた。
その石からかすかに感じる、懐かしいような気配。
(これ……まさか——)
リュミエールの視線が、カイが置いた魔石に吸い寄せられた。
思わず、息を呑む。
「……これ……」
小さく呟いて、そっと手を伸ばす。
指先が触れた瞬間、かすかに魔力が脈打った。
(まちがいない……この魔力の流れ、構造……私が作ったものだ)
胸の奥がざわつく。喉の奥が詰まったように苦しくて、言葉が出ない。
(でも、どうして……)
そんなものが、なぜここにあるのか。
どうやって、人間たちの手に渡ったのか。
疑問が次々に湧いてきて、頭の中がぐるぐるする。
「リュミエール? どした?」
カイの声に、はっとして顔を上げる。
笑おうとしたけれど、顔が引きつってしまった。
——これ、わたしのだ。
息が止まりそうになる。
この世界で、誰も知らない地層の掃除していた日々。
魔力が濃すぎて住みにくい世界を変えるため、ぎゅっと握ってしまったときにできてしまった“かたまり”。
私、あのかたりまりをどうしたんだっけーーーー
「……どうした、リュミエール?」
カイの声にも、すぐには返せなかった。
「……これ、わたし、知ってる。作ったことが、あるの。」
驚くバルドとカイに向き直りながら、リュミエールは言葉を選ぶ。
「わたし、1人で旅をしてたとき……魔力が濃すぎる地層を掃除してたの。
そのとき、ぎゅって魔力をまとめちゃって……それが固まってできたのが、これ」
そうーーーそうだーーーそのときに出来たかたまりをわたしはーーーーーーー。
「捨てて、た。」
このかたまりが、魔石で――
今の人間の生活のために使われていて……
それを巡って争いが起きている……?
「カイの家族も……?」
リュミエールの思考は、もう止まらなかった。
ずっとどこか他人事だった“魔石”。
まさか、それが自分の――
カイに視線を向ける。
まだ痛々しい姿のまま、椅子に座っているカイ。
「この怪我も……わたし……わたしのせい……?」
震える声とともに、リュミエールの肩が小さくふるえていた。
その肩に、バルドがそっと手を添える。
「ストップ。そこまでだ、リュミエール」
穏やかで、それでも力強い声だった。
「その魔石は、お前が“作った”んだな?
いや……“できてしまった”のかもしれない。
でもな、それをどう使い、どう争ったかは――俺たち人間の問題だ」
バルドはまっすぐにリュミエールを見る。
「カイの両親のことは、確かに……残念だった。
だがカイの怪我は、自分で決めて動いたからだ。
リュミエール、お前は何も悪くない。わかるか?」
バルドの言葉に、リュミエールの肩の震えは少しずつおさまっていった。
けれど胸の奥には、まだくすぶるものがあった。
魔石――自分の手から生まれ、いま人間たちがそれを巡って争っている。
その現実が、ただ“自分は悪くない”という言葉だけで、消えるものではなかった。
「……でも」
リュミエールはぽつりと呟く。
目線はテーブルの上の魔石に向けられたまま。
「また来るって、言ってたんでしょう……?
今ある分を全部持っていかれたら、この街の人たち、どうやって冬を越すの?」
バルドも、カイも、答えられなかった。
静かな沈黙の中で、リュミエールは立ち上がる。
「……だったら、わたしがまた“用意”すればいい。森へ行って」
「リュミエール……?」
「わたしにできることがあるなら、やりたいの。
誰かを傷つけるためじゃなくて、誰かを守るために」
その瞳には、さっきまでの迷いはなかった。
ゆっくりと、でも確かな意志で、リュミエールは微笑んだ。
「……わかった。行こう、リュミエール。あの森へ」
「カイ、ダメだよ。怪我してるじゃない。私ひとりで行くよ」
「それはダメだ!」
勢いよく立ち上がったカイだったが、すぐに顔をしかめて膝をつく。
「……っ、いて……」
どう見ても無理だ。だが、今の状況でリュミエールをひとりで行かせるなんて——。
「ねえカイ、私が誰だか忘れたの? とーっても頼りになるエルフなんだから!」
リュミエールは無理にでも明るい声を出し、今できる精一杯の笑顔を向けた。
「……」
「とにかくカイは、もう一度休め」
バルドが静かに言い、支えるようにしてカイを寝床へと戻していった。
「リュミエール、お前も少し落ち着いて、状況を整理しよう」
***
「師匠……カイは?」
「また眠ったよ。やっぱり傷が深いし、ひどく疲れてる。しばらくは起きないだろうな」
「……なら、今がいいわ」
リュミエールはそっとつぶやいた。
「きっと戻ったら、カイにすごく怒られる。でも、私にしかできないことなの」
「本当に大丈夫なのか?」
「うん。自分自身に、魔力を込める。だから、きっと平気」
そう言って、少しだけ微笑む。
リュミエールは静かに扉を開け、外へ出た。
まだ西の空には赤みが残っている。
街は静かで、穏やかな風がリュミエールの髪をなでた。
この街の未来を守るために。
カイとの思い出が詰まった、あの森へと——。