12話 2人の時間前編
リュミエールがミオルカに来て、数日が経った頃。
この日はカイの仕事が休みで、街を案内してくれることになっていた。
それまでの間、リュミエールは図書館に通い、イリスと他愛もない話をするのが日課になっていた。
いくつか本も読んでみたが、エルフに関する文献は見当たらなかった。
ただ、ミオルカの歴史を記した本には、興味深いことが書かれていた。
ミオルカという街は、大きな川にぐるりと囲まれた土地にあり、その川の中には“魔石”と呼ばれる不思議な石が数多く沈んでいる。
この魔石を基盤に生活することで、街は大きく繁栄したのだという。
魔石とは、いったい何なのか。
本によれば、それは地下深くに眠っていたり、ときには壁のような形で現れたりと、さまざまな場所で見つかる神秘的な石らしい。
それを使えば、火や水、電気までも引き出せる。
ただし、魔石は一つひとつに限りがあり、力を使い果たすと、砕けて粉になり、跡形もなく消えてしまう。
まるで魔法のような石だ。
その魔石を初めて見つけたのは、一人の青年――
イゼリオ=アルディナ。
彼はその発見を機に王となり、以後アルディナ家は代々、街を守り、繁栄へと導いてきた。
「魔石がどんなふうにできたのかわからないから、減る一方なのよね……」
リュミエールは、ここ数日でわかったことを思い返しながら、身支度を整えていた。
コンコン――
「できた? まさか二度寝なんて……してないよな……」
カイが少し不安げな声で、ドアの向こうから呼びかけてくる。
リュミエールはドアを開けながら、
「楽しみにしてたんだから、寝るわけないじゃない」
と微笑んだ。
ミオルカの朝は早い。中央通りにはすでに人が行き交い、店先からはパンの香ばしい匂いや果物の甘い香りが漂っていた。
「ここのパンが一番おいしい!クロワッサンがおすすめ。もう、口が勝手に向かってる」
「勝手に動いてるのは足でしょう」
リュミエールがあきれたように言うと、カイは「同じだよ!」と得意げに言い返した。
「いらっしゃいまーーー……おっ、カイじゃねえか!? 戻ってたのか!?
カイが飛び出したってバルドさんから聞いた時はびっくりしたぞ!
で、げんこつは何発?」
「ただいま戻りましたー! げんこつは……未遂で終わりました!」
「おお、よかったなあ。バルドさんのは洒落にならんからな」
店主が目を細めたその時、ふとリュミエールに気づいて口をつぐむ。
「……ま、がんばれよ」とだけ言って、パンを袋に詰めた。
カイが何も言わずに袋を受け取ると、リュミエールがくすっと笑った。
「よかったね。未遂で」
「いや、未遂でも内心はヒヤヒヤだったんだって……」
と、カイは頭を押さえながら言った。
それから2人は市場を歩きながら飲み物を買ったり、雑貨を眺めたり。
が、どこへ行ってもカイは声をかけられる。
「お、カイ!戻ってたのか!」
「お前は今度こそ、しっかりしろよ!」
「おーいカイ、がんばれよー!」
「……なんなんだこの“がんばれラッシュ”……」
カイがぼやくと、リュミエールは楽しそうに笑った。
「人気者じゃない。愛されてる証拠ね」
「いやもう、愛されすぎて息苦しいわ」
「贅沢な悩みね」
やがて、カイがふと思い出したように手を叩く。
「なあリュミエール、ちょっと休憩しよう。
あの船で移動するとこ、いいとこあるんだ。でっかい木があってさ!」
「でっかい木? 木を見るために船乗るの?」
「乗る価値あるから!百聞は一見にしかず!……まあ俺が百回説明するより早い!」
こうして2人は小さな船に乗り、ゆっくりと水路を進んでいった。
風が心地よく、リュミエールは気持ちよさそうに目を細めた。
「わあ……ほんとに大きい木。街にもこんなのがあるなんて」
「だろ? 俺のお気に入りスポットなんだ。
ほら、ちょっとだけだけど、リュミエールがいた森の木に似てる気しない?」
「……うん。ちょっと、だけど。なんだか懐かしい」
リュミエールが木を見上げながら小さく笑ったその横で、カイは言葉に詰まった。
(……これ、うっかりすると“帰りたくなっちゃう”やつじゃね?)
その時、リュミエールが唐突に言い出す。
「ねぇ、カイ」
「ん?」
「私、決めたの。この街で暮らす!」
「……今決めた!?」
「だって! 楽しいし、人もいいし……それにね、なんか落ち着くのよ。
だから仕事見つけて、家も借りて……しっかり生活したいの!」
「えっ、家借りて!? うちにいればよくない!?」
「その気持ちはすごく嬉しいけど……さすがに居候続けるのは気が引けるのよ。
あ、でも近くには住みたいな」
そう言って、風に髪をなびかせながらちらりとカイを見るリュミエール。
カイはその視線をまともに食らって、口をパクパクさせるしかなかった。
「……それ、ずるくない?」
遠くで、鐘の音が鳴った。
「あ!ねえ、カイ、次はーーー」
リュミエールが勢いよく立ち上がった瞬間、タイミングを見計らったように風がぶわっと吹き抜けた。
帽子がふわりと宙を舞い、そのまま船の床にポトリと落ちる。
「うわっ、飛んだ!」
カイが思わず手を伸ばしかけたが、次の瞬間――
「……あれ? リュミエール、耳って……そんなだったっけ?」
リュミエールは帽子を素早く拾い、慌ててかぶり直すと、何事もなかったかのようににっこり。
「ん? なんか言った?」
「いや……いや、なんでもない。たぶん俺の目の錯覚だな。うん」
(けど、なんか……さっき、ちょっとだけ耳が……)
カイがモヤモヤを飲み込んでいるうちに、リュミエールは身を乗り出してきた。
「それよりさ!次はどこ行くの? まだまだ行きたいとこあるんだけど!」
「え、なんか今日すごい元気じゃない? あののんびりエルフ、どこ行った?」
「おいてきた!」
即答するリュミエールに、カイは噴き出しそうになった。
「……すげーな、街に染まるの早すぎだろ」
「ふふん、やっぱり私は“柔軟なエルフ”なのよ!」
カイは笑いながら、リュミエールの帽子がちゃんと耳を隠しているかをちらりと確認した。
さっき見えたあの耳――気のせい、だよな?
……たぶん。