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【エッセイ】竹内まりや「駅」-「私だけ(が彼を)愛していた」のか?-

作者:

あたりは暗くなり、「黄昏の駅」には明かりがともり始める。「ラッシュの人波」のなか、「見覚えのある レインコート」にハッと気づく「私」。そのコートは、「私」にとって「彼」のトレードマークであり、もしかしたら、「私」が「彼」にプレゼントしたものかもしれない。人込みの中の懐かしいレインコートに気づく(気づいてしまった)「私」。それはやはり、印象と思い出の深いコートなのだ。モノはその所有者を表し、ある時には所有者そのものとなる。「彼」の象徴であるレインコート。

当然、「私」の「胸」は、人知れず「震え」ることになる。「私」は「彼」を忘れていない。何かのちょっとしたきっかけで、すぐに「彼」を思い出す(思い出してしまう)。「私」は「彼」にまだ心が残っているのだ。「胸」にある心臓は、「彼」本人ではなく、「レインコート」を一目見ただけで高鳴る。直感的に彼を意識し、その瞬間に心臓が強く脈打つ。「私」の「彼」への思いは、いまだに続いている。

「私」は「彼」を見続ける。あの「レインコート」は確かに「見覚え」がある。しかしその着用者は、本当に「彼」なのだろうかと。その「足どり」は以前と同じく「はや」かった。やはり「まぎれもなく」「彼」だと、「私」は確信する。

(二人が交際していた頃、並んで歩くといつも、彼の方が先に行ってしまいがちになった)

一瞬の自分の判断は、やはり間違ってはいなかった。「まぎれもなく」にはその意味が含まれる。この語は強い意味と印象を持つ語だが、「やはり」ではなくこの語を用いることによって、自分の目と判断に狂い・間違いがなかったことを「私」は確信したことを表す。

「私」は「彼」を「昔愛してた」という。しかしこれは、今は愛していないという意味ではない。きっぱりと忘れることができないから、一目見ただけで「彼」だと気づいたのだ。

100%嫌いになって別れることは少ないだろう。多少の心残りを抱いたまま、別れという選択肢を、恋人たちは選ぶ。


「昔愛してた あの人」の「あの人」と言う言い方は、心理的距離を感じさせる一方で、逆に、「あの」という強い指示の意味も持っている。これと「彼」という表現とを比較すると(「彼」と言わなかったのは)、まさに2年前に別れた「あの」人だからだ。2年前の別れの場面を「私」はこれまで何度も繰り返し想起しただろう。強烈な印象が残る別れの場面はこの後述べられる。


「懐かしさの一歩手前で」以降の部分は、「昔愛してた あの人」に気づき、「懐かし」さから思わず駆け寄りたくなったが、その一歩を踏み出す直前に足が止まったことを意味する。身体は彼の方に動きかけた。それはほとんど衝動と言ってもいい心と体の働きだ。しかしその瞬間、同時に「苦い思い出」が「こみあげ」てきた。今、彼に近づいても、話す「言葉がとても見つからない」。何を話せばいいかわからない。彼への衝動を寸前で止めた「苦い思い出」。再会の歓喜を瞬時に押し殺すそれは、よほどの強さと重い意味を持つものだろう。それさえなければ、「元気で暮らしていることを さり気なく 告げ」ることができた。二年という時を経た再会を、単純に喜ぶことができたかもしれない。しかしそれはかなわない。「思い出」は、あまりに「苦い」ものだからだ。「元気だよ」という言葉を「さり気なく」伝えることを厳しく阻む「思い出」とは何なのか。聞き手は、それは何かを考えながら、これ以降をたどることになる。

「私」はもう「彼」に気軽に言葉をかけることはおろか、近づくことすらできないのだ。


「二年の時」は、「彼のまなざしと 私の」「髪」を「変えた」。そうしてふたりには既に、「待つ人」がおり、その「人のもとへ 戻ってゆく」日常・生活がある。このふたりは、二年前に別れた。それからの時間が、ふたり自身と人間関係、環境を変化させた。


「彼」は二年前と同じレインコートを着ている。しかしそのまなざしは変わった。「私」の「髪」も変わった。

この部分の解釈として、物語においては次のような方法を採るのが一般的だ。「彼」は別れた後も同じレインコートを大切に持っており、しかも今でもそれを着用している。恋人と別れたからといって、同じレインコートを着ていてもおかしくはないが、そうではない。「彼」と「私」には確かに変化があった。しかし変わらぬものがあるということをここは表現している。そうでなければ、物語にならない。つまり、「彼」が相変わらずあの時と同じコートを着ているということは、「私」へのある思いが「彼」に残っていることを表す。同様に「私」も、「髪」は変わったが、「彼」への思いは変わらないのだ。「二年の時が 変えたもの」はある。しかし、変わらぬものも確かにある、ということをこの部分は表している。

そうすると、「あなたがいなくても こうして 元気で暮らしている」という言葉は嘘ということになる。嘘を「さり気なく」伝えることは困難だろう。


「待つ人のもとへ 戻ってゆく」「彼」に対し、「私」は、自分に「気づきもせずに」と寂しく批判する。これは、自分の存在に気付いてほしい、でももうあなたは私のことなんかすっかり忘れてしまったのね、という恨み言だ。あの「苦い思い出」ゆえに、自分の方から近づくことは許されていない。だから、「彼」の方から自分に気づいて(あわよくば近づいてきて)ほしい、というかなわぬ願望。「どうして私に気づかないの? 私ばっかり気付いちゃってる。しかも近づけないし」ということ。

「私」の視線は、一瞬も「彼」から離れない。「彼」にはすでに「待つ人」がいることを敏感にかぎつける。(同時に「私」にもいるのだが)。「それぞれ」の新たな生活が厳然として存在することは、この物語において重要だ。


自分から近づくことを、いわば禁止されている「私」は、「一つ隣の車両に乗」る。そうして、「彼」の「うつむく横顔」を「見ていたら 思わず涙」が「あふれてきそう」になる。「私」のこの感情の揺らめきの原因・理由は、続く部分に述べられる。

「うつむく横顔」を見た「私は」、それにより「初めてわかる」。このことは、その「横顔」が、「二年」前のあの日につながっていることを表す。「二年」前のあの時も、「彼」は同じように「うつむ」いていた。あの時と変わらぬ「横顔」。それを見ることで、別れの日の情景がありありと「私」の心に映し出される。


「二年」も経つ「今になって」「初めてわか」ったこと。それは、「あなたの気持ち」と「私だけ 愛してたこと」だった。このことについては、薄々気が付いていたことがより明確になったと解釈することも可能だが、いずれにしてもはっきりと確定してしまったのだ。


 ここはこの物語の最重要部分であり、また、解釈が二つに分かれている部分だ。

①「私だけ(があなたを)愛してた」

②「私だけ(をあなたは)愛してた」

この部分に『が』を補うか『を』を補うかで、この物語のテーマと印象は全く違ったものになる。まず、②について説明する。私は②の解釈を採る。

「二年の時が 変えたものは 彼のまなざし」だったが、変わらぬものもあった。それは、彼の「うつむく横顔」だ。これにより、「私」は一瞬で過去へと引き戻される。

「自分の前で彼はうつむいていた(あの時私は彼をうつむかせてしまった)。その時のことを思い出し、今頃になってやっと気づいたことがある。それは、彼が、自分だけを愛してくれていたということだ。あの時自分は彼の心を疑ってしまった。彼には他に好きな人がいるのではないかと。その疑心はどうしても解けず、私は自分の方から彼に別れを告げてしまった。彼を疑い、彼を振った。しかしそれは間違いであったことに、今更気づいた。あの時彼は、自分に信用してもらえず、とてもつらい思いをしつつうつむいていただろう。愛が相手に伝わらないやるせなさ。自分はこんなに愛しているのに、それが相手に信じてもらえない苦しみ。あの時の自分は、彼の気持ちに全く気づかなかった・気づいてあげられなかった」。

彼の横画を見て、これらを一瞬で悟り、だから「私」は「痛いほど」理解する。あの時の彼の心の痛みを。今やっと自分も深い痛みとして感じることができたという悔恨。

他者の「気持ち」が「痛いほど」「わかる」というのは、深い共感を伴った心情であり表現だ。自分への誠の愛を尽くしてくれた相手を悲しみの淵に沈めた罪。しかもそれは、ありもしない彼の浮気心への猜疑から生じたものだった。

この時「私」は、重い罪の意識と懺悔の気持ちを抱いている。しかもそれはもう取り戻せない。誤解から振った自分が、今更彼の前に出す顔は無い。「私」の懺悔は、永遠に彼女の心の中で繰り返されるしかない。懺悔の発露はかなわない。取り返しがつかないことを、自分はやってしまったからだ。

①のようにただ単に彼に振られただけの方が心は軽いしあきらめもつく。自分の誤解によって相手を疑い傷つけるという罪を自分は犯してしまったことに、2年も経ってやっと気づいたから、「私」の心は「痛い」のだ。しかも、今更それを謝罪しても、仕方がない。


次に、①「私だけ『があなたを』愛してた」について考える。

文法的には、この読み方も可能だ。従って、内容から判断することになる。

もしこの捉え方だとすると、この物語の表情は一変する。

「二年前に私は彼と別れた。それにしても彼って最悪。だって、よくよく考えたら、あの時の恋愛は、私から彼への一方通行だったんだもの。今更それに気づくあたしもどーかと思うけどさ。電車に乗っても近づけないのは、そのせい。だって、振られた相手の前にノコノコ出ていって「元気?」なんて言えないじゃん。ハズいし、うちにもプライドってものがある。ストーカーみたいに彼を目で追ったり、後をついてったりしちゃってるけど、もうどーしよーもないよね。あたしは今でも彼が好きなのにさ、彼ったら、どんどん行っちゃって、もう後ろ姿も見えなくなっちゃった。またいつもの『にちじょー』ってやつにもどっちゃう説ある?」

多少、ギャルが入ったことをお詫び申し上げます。①のパターンは、こうなってしまいます。


二年前の別れを振り返り、あの時の恋愛は、自分からの一方通行だったと気づく辛さはあるだろう。しかしそれは「痛い」まではいかないのではないか。①は、恋の深みも、物語の面白みも全く無い、ただのストーカーの話・恨み言になってしまう。


「黄昏」の帰宅「ラッシュの人波」に、彼の「後ろ姿」は「のまれ」て「消えて」いく。二年ぶりの再会は、まるで夢のようにはかなく終わる。「やけに哀しく」感じた私には、その「後ろ姿」が「心に残る」。一方通行のわずかな再会の時間を終え、夢と消えた彼の姿は、かすかな記憶として痛みとともに私の心に残った。

だから、「改札口を出る頃には」、再会の舞台の背景としての「雨」が「やみかけた」だけでなく、「私」の「彼」との邂逅もはかなく終わりを迎えることを、「私」は確かに承知している。いつまでも「彼」の幻影につきあうことはできない。「ありふれた」日常であっても、「待つ人」のもとへ自分も帰らなければならない。それを「私」は選択している。



補足1

心の抑圧を振り切って「私」がもし彼に向かっていったとしたらどうなるだろう?

結論から言うと、「私」はそうしなくてよかった。また、「彼」も「私」に気づかなくてよかったのだ。もしそうなってしまったら、また新たな物語が始まってしまうからだ。しかもその結末は、決して幸福なものとはなりえない。彼の悲しみを痛いほどに感じ取った「私」の心と行動は、タガが外れ、自分では制限できないだろう。だから誰かが必ず不幸になる。このふたりにはすでに「待つ人」がいる。

だからこの久しぶりの意図せぬ再会は、この終わり方でよかったのだ。懺悔も、恋心も、ふたりとも封印したまま別れて正解だった。



補足2

この物語で「私」は、「二年」前まで付き合っていた男を次のように呼ぶ。順にあげると、「(昔愛してた)あの人」、「あなた(がいなくても)」、「彼 (のまなざし)」、「あなた(の気持ち)」、「後ろ姿」。最後の「後ろ姿」だけが特殊だが、「あなた」という表現は明らかに「私」の「彼」への呼びかけとなっている。実際には言葉として発せられなかった部分に、「あなた」が用いられている。「あなた」が用いられている部分は、本当は相手に伝えたかったが、発言が許されなかった言葉たちだ。



おわりに

昔好きだった人との数年ぶりの思わぬ再会は、人の心を震わせるだろう。そうして相手に心が残っていればいるほど、うまくいかなかった理由を探して苦悩する。やり直せない・無駄なことだとわかっていてもやはりそうしてしまう。

「私」はその時、真実を発見してしまう。彼が本当に愛していたのは、自分ひとりだったのだと。深い悔恨が痛みとともに「私」を包む。そうして彼を見守ることしか許されない「私」はまた日常へと戻っていく。


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― 新着の感想 ―
[一言] 参加よろしいでしょうかーってもう来てるけど、①か②か、当方も②です。 竹内まりやさんが中森明菜さんの依頼で提供した楽曲で、明菜さんはおそらく①の解釈で歌っていますが、彼女にしか作りだせない世…
[一言] 初めまして。 竹内まりやさんの歌が好きで、よく聴いています。 「駅」の解釈は、筆者さまと同じで「私だけ(を)愛してたことも」の一択です。 歌詞の流れから、ずっとそう思って聴いていました。 解…
[一言] 竹内まりやさんの曲は本当にどれも素敵ですよね。 別れた恋人との再会。 未練と、彼の今の幸せを喜ぶ気持ちの葛藤。 「私だけを愛してくれていたこと」に今になって気付く切なさと後悔。 聴くたびに…
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