78、法は殺しを許さない‥けど、免責する法が倫理を歪める
ドームの外に造られてそのまま放棄された廃墟街。その中央にはこの一画を支配していたクロザキ組の屋敷があった。今もうかつての栄華の無いただの砂に塗れた空虚な城。夜の帳が下りた廃墟街に大きな影を落とす。
積もった埃に大勢の足跡が中へと続いていく。決戦の日。
アングルスを仕切るのはアゴーニか、胡蝶之夢か、クロザキ組か。ボクはタマさんに連れられ、屋敷の奥へと向かっていた───
「アタシは胡蝶之夢が第二の故郷みたいなモンだしさ。ウチが街の支配者に手を掛けるかどうかって正念場で戦わない選択肢なんてないのよ。でもラフィに参加義務は無いわ。マフィア同士の殺し合いなんかに参加したくないでしょ?」
決戦の前日、タマさんに選択肢を与えられていた。
「そもそもラフィはタマ生命に1発かます為にこの街に潜伏してるんでしょ?マフィアの抗争なんて依頼でも受けない限り無関係なのよ。資金稼ぎなら他の依頼でもいいじゃない。」
参加しない理由を並べ立ててほんの少しボクと距離を置くタマさん。
「ボクはタマさんと一緒に開拓者をやっていくと決めたんです。タマさんが戦うのなら、ボクも一緒です。‥相棒ですから。」
薄壁一枚にしかならない不参加の理由は、ボクとタマさんのほんの少し離れた距離を隔てるものにはならなかった。ピクリと耳を揺らすタマさんは急に顔を赤くしてそっぽを向く。
「そ、好きにすれば?都市住まいのニホン人は殺人とかめっちゃ嫌がるもんなのよ?今回は相応に死人が出るわ。いつもみたいに脳みそ残ってるからセーフなんて考えないでよ。」
一瞬R.A.F.I.S.Sを起動したボクは直ぐに平静を保つ。ボクは何かの兵器だからかな?孤児院に居た頃は、こんな戦いの話を聞いただけで逃げちゃうのに。R.A.F.I.S.Sを繰り返し使う内に血を見る事に忌避感が無くなっていた。
少しだけ怖いけどこれもボクの力の一部なんだ。開拓者としてやっていくのなら、暴力を前に怯えるんじゃなくて突き進めるようにならないと。
「ま、アンタだけは絶対に守るから安心しなさい。」
タマさんの尻尾が背中を叩く。
「ラフィ様は当機がお守りしますので自分の身の心配をしやがって下さいませ。ご逝去されるとラフィ様のメンタルにヒビが入ります故。」
お掃除モップを片手にダンスを踊るブランさんが口を挟む。
「何やってんの?」
「落ち込むラフィ様を元気付けようと。ああ、芸術分野に疎いタマには分からないでしょうね。」
無言でドロップキックを放つタマさんの足裏と壁にブランさんは挟まれた。
───廃墟の奥、大広間へ向かう緊張感のせいか余計な事まで思い出しちゃった。ボクの前をタマさんが、後ろをブランさんが付き添うよう歩いている。
「まぁ、心配すんな少年。あたしが付いてるって。胡蝶之夢のお嬢達の実力を見せてやろうじゃないか。」
「あははっ!大丈夫だって。こんな修羅場何度もあったし?」
クニークルスさん、シロさんハクさんもやる気満々で。アモルさんはこの場に居ないけど、どうもミケさんの護衛って事で影に潜んでいるらしい。イシダさん、コバヤシさんと一緒に一足先に行っていた。イトウさん、ルナさんは遊撃って事でこの場には居ない。他にもウィッチワークス旅団にお願いしたら、貸一つで力を貸してくれるって事になった。今この街に居るのはセルペンスさんとルーフスさんだけだけど、とっても心強い。
L.Cが街を出ても組織の大部分はそのままクロザキ組の傘下として街に残っていた。あくまでチャガマさんやヒメコさんが居なくなっただけ。クロザキ組に従わない幹部の一派も居るけど間違いなくこの戦いに参加して仕掛けてくる。
アングルス天下分け目の大戦。ここで戦わなかった勢力は、この戦いの勝者となった組織に自然と吸収され解体されてしまうだろう。
街に残った元L.Cの構成員の数はとても多い。こっちも強者は沢山居るけど向こうも強いヒトが揃ってるだろうし‥それに大組織同士の戦いとなれば何が起こるか分からない。
「はぁ‥ラフィさんがこんな戦いに参加するなんて。」
護衛として来てくれたロゼさんは溜め息混じり。
「ま、面白そうな戦いになりそうッスね。ラフィ助もこんな血生臭い戦いに出るなんて、成長ぶりに感激ッス。」
ヘラヘラ笑うメリーさんをタマさんが尻尾で小突く。ロゼさんの肘打ちもセットで貰い、アイタタと戯けていた。
「背広組は出しゃばるんじゃないよ?これはメンツをかけた戦いなんだ。そもそも介入する理由もラフィの護衛ってだけなんだろ?」
振り向かず語りかけるクニークルスさんにロゼさんは肩をすくめる。
「勢力同士の抗争で、開拓者が一方に依頼を受けて参加し殺人行為をしたとしても原則‥組合的には認めたくありませんがグレーとなっています。勿論依頼の絡まない私的な理由での殺人は御法度です。声を大きくして言えませんけど、組合を通さない未踏地での依頼にはこういう紛争系も多いんですよね。」
「あはは、傭兵旅団なんてものがある時点でそんなもんスよ。そもそもニホン人だけッスよ?殺しただのなんだのに敏感なのは。未踏地に出張する度に亜人連中の殺しへの日常感に驚かされるッス。」
秩序ある社会の為にはですね、先輩。
はいはい、お口チャックするッスよ〜?
殺人。開拓者試験で勉強した所だ。別に開拓者は殺人許可証なるものを持っている訳じゃない。ニホンコクの法が適用されない治外街の紛争に関与する場合、現地の法に従う事になっている。
今回は現地の中央政府‥マフィアのボスであるアゴーニと、同じく影響力の強い胡蝶之夢が参加する全員に対して一時的な法の免責を認めたから殺人さえも許されてしまう状況になっていた。
開拓者は軍に所属する訳でもない傭兵集団。その振る舞いに対する法の拘束は厳しくも、緩くも時代によって大きく変わっている。一昔前は開拓者の発砲一つにすら厳しい制限を設け、多くの開拓者が羅針盤を手放し開拓者崩れとなってしまった過去があった。当然治安は悪化。当時ランク50前後の開拓者も複数人治外街に逃げ、大きなテロ組織を作ったとかなんとか。
今でも平和を謳う活動家が開拓者を非難して法規制を強めるよう声を上げてるけど、結局法規制の強化は事態のアングラ化を招きより問題を深刻化させる。難しい話だった。
武装した敵の襲撃からの自衛、企業戦争法、開拓者規制法の範囲内での武力衝突を前提とした依頼を受けた際、そして今回のような治外街での紛争依頼で法に対する免責を認められた際。
そういった場合には“偶発的な殺人”に対して免責となっていた。
殺さず無力化するのが理想だけど、敵も強力な銃で武装している以上殺さなければ殺される状況になってしまう。ボクは癒して治すのが好きなのに。でも、タマさん達が危険な戦いに行くのならボクも行かなきゃ。開拓者として孤児院を飛び出した以上、後悔だけはしたくないから。
「正当防衛的なケースは兎も角、治外街の紛争依頼に関してはかなり胡散臭いですし。やり過ぎが原因で問題になったり、免責の拡大解釈で無茶苦茶する開拓者も居ます。治外街の紛争依頼を受ける事自体違法にすれば。」
「で、実入りのいい紛争依頼を受けたい開拓者が羅針盤を手放して“崩れ”になるんスか。規制したってやる奴はやるんスよ。だったら程々管理できる範囲で手綱を緩めて付き合ってくしかないッス。」
意見の合わない二人を無視してタマさんは大広間のドアを開け放った。
「よぉ。」
胡蝶之夢の主人、ミケさんと対面して大きな卓に腰掛けるのはアゴーニのボス、アグニさん。アグニさんの後ろには何人もの精鋭達が控えていた。その中にはガガーランさんの姿もある。
ボク達はそのまま進んでミケさんの後ろに控える。
ルナさんからの報告で戦争はもう決定事項になってるけど、あくまでこの場に集う理由はL.C解散した今街の運営体制をどうするかの会談。このままL.Cが統治していたシマを胡蝶之夢が替わるのか、それともアゴーニが仕切るのか。
狙うはアングルス統一!といきたいところだけど実際は要らない領域も多い。この廃墟街、蜘蛛の巣街にすら居場所のない貧民の住まうスラム街、つまりは税収の見込めない土地。完全に放棄して空白にしちゃうとそこを拠点に新たな勢力が生まれるかもしれないし、タマシティの企業が付け込んでくるかも。そういった場所をどう配分するか、逆に魅力的な蜘蛛の巣街をどちらが受け持つか。
話し合う事も多いし、時には多少の暴力的な衝突もあるかも‥って話なんだけど。流石にこれからクロザキ組と戦うのに揉めないよね?!
「ほら、こっち来い。」
急にアグニさんがちょいちょいとボクを指で招く。水着のような格好でスタイルを強調したお姉さんも、その後ろから胸元を腕で寄せてボクにウインクを送る。くるりと巻きついたタマさんの尻尾がボクの視界を塞ぎ、ミケさんの手が頭をポンポンと撫でてきた。
「ラフィはこっちの。いつもお嬢達が癒されて助かってます。」
水着のお姉さんのせいで変な気分になったボクは、むずむずしながらタマさんの後ろに逃げる。そんな様子をニヤニヤ顔で眺めたアグニさんは両肘を突いて切り出した。
「単刀直入に言う。蜘蛛の巣街はアゴーニ、それ以外全てのエリアは胡蝶之夢ってのはどうだ?」
「あんまり管理エリア増やされてもウチらじゃ持て余しますねぇ。そういうノウハウを沢山詰んだアゴーニにお任せするから、蜘蛛の巣街だけで我慢します。」
実際組織の規模はアゴーニの方が大きく、それだけ人員も居てエリア管理のノウハウもある。主張としては胡蝶之夢の方が無難だと思うけど。蜘蛛の巣以外全部となれば実際数字上の利益は大きいはず。
会談は紛糾って感じもなく、決定事項を見解の違いが無いか細かく確認し合うような話し合いが続いていた。そもそも戦争前提の会談な以上ここでの話し合いは、互いの幹部クラスの人物を交えて確認し合いましょうねってくらいのもので。事前にミケさんとアグニさんで大体の内容の交渉は終わっていたのだ。
タマさんの話だと、ここで戦力的に舐められると交渉のちゃぶ台をひっくり返されそのまま武力衝突もあり得るって聞いた。だけど今の所問題なく進んでいる。
「ラフィが相当脅威に感じてるのね。あのアグニが大人しく席に着いて話し合いに応じるなんて。借りてきた猫みたい。」
嘲笑まじりの小声を漏らすタマさん。認められたのかな?評価されるのは素直に嬉しいけど、雪合戦でのアグニさんとの戦いはこの為にボクを試したのかもしれない。
「虎薙6本で武装したアンタの数の暴力戦法はかなりの近接殺しよ。頼りにしてるから。」
背中を尻尾で叩かれ、ちょっとムフッと得意げにしていた。
スムーズな話し合い故内容はどんどん細かくなっていき、右耳から左耳へ声を流せばぼぅっとしてしまう。って、ガガーランさん音ゲーやってるし。共有モードにしてなくても指の動きでバレバレだから!
早くも飽き気味に姿勢を崩したのはアゴーニの方。組織力が上だから余裕なのかな?振り返ればクニークルスさんが他のお嬢達と酒気を垂れ流していた。
「あ、あの?!」
「別にあたしらが関わるような内容じゃ無いし?兵隊としてここにいる以上、勤務時間まではオフでいいだろ。ほら、少年も一杯。」
「飲みません。緊張感が‥」
言いかけるボクに、年月をシワに刻んだ細腕がお煎餅を差し出す。アゴーニの方に居たお婆ちゃんは、毛量豊かな白髪を和風に纏め上げ紅色の着物を着こなしていた。
「まぁ、まぁ。ほれ、食べていき。小難しい話し合いなんて任せとけばええんよ。お茶もあるよ。」
「ありがとうございます‥」
大人しく受け取るボクは、いつの間に用意されていた座布団並ぶ寛ぎ空間に腰を下ろしたのだった。
「あっ!私も煎餅っ!」
パパッと飛び付くさっきの水着姿のお姉さん。寒く無いのかな?
「む〜?その視線は何。言っとくけどこれスポーツウェアだからね!」
「ええと。露出が多すぎます。目のやり場に困るというか。」
目線が下を向くボクにお婆ちゃんも同調し、指先で振った扇子がお姉さんの虎柄の頭を叩いた。
「まったく、最近の若い者は。もうちょっと慎みを持ちなさい。みっともない。」
だって動きやすいし!男達に注目されるの気持ちいいし!
普段からだらしない女は婚期を逃すよ!
合わない二人の意見。と、お姉さんが急にボクを後ろから抱いてくる。
「あ〜、癒される〜。トメ婆もカッカしてないで落ち着けばいいのに。」
「ハッ、若造を躾けるのも老人の役目でね。特にガブミィはそそっかしい。」
トメお婆ちゃんとガブミィお姉さんか。くっ付いてるとガブミィさんの体温が高くて眠くなっちゃう。それに恥ずかしいし‥
「んふふ。というか無防備過ぎない?仲間でもないマフィアのお姉さんに体を預けちゃうなんて。食べられちゃうよ〜?」
ガブミィさんの舌がチロっと耳を!ぴゃあっ?!
ブランさんのチョップがガブミィさんの頭を打ち、呆れ顔のロゼさんが隙を突いてボクを引き離した。びっくりしたって風なガブミィさんはヘラヘラしていて。でもこれから一緒に戦うんだし、アゴーニの精鋭達も少しくらい癒さないと。
「単刀直入に聞くけど、ラフィをあてがうんなら誰よ?」
「トメ婆。」
「トメ婆じゃない?」
「アゴーニの最高戦力だぞ?」
タマさんの質問に口々に出た名は、まさかのトメお婆ちゃん。驚いて見やればケラケラと欠けた歯を覗かせる。
「ひっひっ!まぁワシもまだまだ若い者には負けんぞ。ほれ、婆を癒しておくれ。」
ふわりと天使の羽が展開すれば、薄ら光る純白のふわふわに話し合いを忘れて皆が見惚れてしまう。タマさんがわしゃわしゃにしたそうに指をワキワキさせてるけど、今は無視!
惚けるトメさんに寄り添うと、片翼でそっと肩を包んで癒しの波動を集中させた。
口から半ば無意識に漏れる声は、冬の寒い日に温泉に肩まで浸かった時のよう。疲労が抜け、ガタついた体は生気を取り戻し、肌に艶が出る。湧き出る元気が体調を整え、絶好調へと肉体を軽くする。トメさんは短時間で爆睡。イビキもなく羽に頭を預けて眠ってしまう。だけどその内に秘められたバイタルの情報に内心驚かされていた。
そんな姿をさも羨ましそうにガガーランさんが見つめる。
「あたしも前に包んで貰ったけど、昏倒した後凄い活力漲って。子供体力って言うの?あんなに体が軽くなったのなんて子供時代以来だよ。」
どこか自慢げにミケさんが語り、思わずガガーランさんは目線でボクに訴える。
「ええと。片翼空いてます。」
天使の羽がパタパタと揺れ、羽先で手招きした。ガガーランさんがアグニさんの後ろに控えるのを放棄したのは数秒後の事だった。
ー企業戦争法ー
異界地へやって来たニホンコク、動乱の中内閣が空中分解し国は中央政府を失った。国土に跋扈し始めた無数の怪物、巣食うダンジョン、襲撃を仕掛けて来る異界地の武装勢力。金がケツを拭く紙にもならない時代の到来を危惧した大企業達は、中央政府無き今独立武装勢力となったジエイタイを金で抱き込んで大都市に新たな秩序を創り上げた。
武装企業の誕生である。こうして国内に急増した武装企業同士の利権を掛けた衝突は珍しく無く、再び世は動乱となった。そういった動きを規制する為、国内有数の大企業達が集って出来た新内閣がこの法を制定した。
結果民主主義は無法の混乱の中に消え、銃と金がモノを言う資本主義社会が形成されていった。
民意を叫ぶ活動家は都市から追放され怪物のエサに、企業に都合の良い金で回る社会は表現の自由の一部を制限したのだった。
ー開拓者規制法ー
開拓者の始まりは怪物や盗賊から身を守る自警団だった。時代の流れと共に全国的に組織化され、軍属でも無い素人が銃を手に傭兵業に励むようになる。当然治安は悪化。法で締めつめ事態が更に悪化、緩めれば腐敗を招き絶妙なバランスに至るまでこの法は何度も改正を重ねていっていた。
“今は”開拓者の世間的なイメージはアスリートに近く、この法のお陰で倫理と正論を盾に攻撃的に突っ掛かる数多のネット弁慶達から開拓者達は守られていた。