66.5.side1、ラフィの休日
蜘蛛の巣街の片隅にて。薄暗い灯りが小さな屋台を照らす。少ない席の2席を埋める2人の女性は、おでんとお酒をちくちくと摘んでいた。特別美味しい訳ではない。むしろ都市で食べるどの料理よりも“イマイチ”な感想を心の中に感じてしまう。都市の文明のおこぼれで栄えた治外街にしては腕が良いのかもしれない。
ただ、積み重ねた食に対する長い歴史と高度な文明力が簡易なコンビニ弁当すら至高のものにしてしまっていた。
むしろ安いものはあえて味を落とし、値段別に旨味のグラデーションを付ける事に企業努力が割かれていた。
とどのつまり都市住まいのニホンコク人はあまりにも舌が肥えているのである。
「ご飯を奢るって聞きましたけど、おでんだなんてどうしたんです?」
ラフィがパンタシアに帰れば護衛の任も終業。胡蝶之夢に借りた部屋で夜を過ごす。ただ、今日はその前にメリーに夕飯へ誘われた。
「いつもレトルトばっかじゃ偏るッスよ?」
上司の気の利いたお誘いに感謝するよう促す口調へ薔薇の棘が刺さる。
「食品品質基準法により、都市圏のレトルト食品は完全栄養食といっても良い程の栄養バランスに整えられています。偏りませんよ、何も。」
あちゃー、な態度で肩をすくめるメリーはヘラヘラ。対してロゼは気にせずお酒を一杯あおった。
「ロゼは確かに組合警察の中でも精鋭の一人ッス。タマシティじゃ間違いなく上澄み、首都圏でも通用するレベルッスよ。」
「なんですか藪から棒に。」
問題児な上司とは言え褒められて悪い気はしない。こそばゆい気持ちでロゼはメリーを見やった。
「とは言えまだまだ青いッス。偏るんスよ、色々と。武術を磨くだけじゃない、濃い人生経験がヒトを更なる高みに導くんスよ?」
「指示を出す時は主語を具体的にお願いします。」
ジト目の先、メリーはロゼの皿へよく煮えた大根をよそった。
「100点以外に価値は無いッスか?最短最速最高率が正義ッスか?その大根が教えてくれるッスよ。」
主語をはぐらかすのはメリーの悪い癖だった。
ラフィが胡蝶之夢の癒し業務で公休を取る日。ラフィは開拓者として少しでも経験を積む為に、アングルスの街で簡単な依頼を受けて回っていた。
開拓者の本分は深未踏地の開拓、人類の生存圏の拡大、神秘世界の奥に眠る貴重なデータを求めて冒険する事。傭兵として戦ったり、怪物退治に明け暮れたりするのはあくまでその為の資金稼ぎ‥‥という名目だった。
実情的には開拓者の9割近くが、一度も深未踏地に足を踏み入れずに開拓者業を廃業するか引退する。深未踏地を探査する為の装備は超高級品。何億という金額が掛かる装備と確かな知識が無ければ無事で帰ってくるのは難しい。
生半可な光学兵器すら通用しない獰猛な原生生物、そんな原生生物を捕食する為により経験を積んだダンジョンが生み出した怪物。並大抵の腕前では太刀打ちできる存在では無かった。
「ロゼさん!行きますよ!今日も開拓者頑張るんですから。」
ふんすっとやる気を漲らせるラフィはロゼの手を引いて足取り軽く。靡く金髪の毛先がゆらゆら揺れる。
可愛い。
ロゼの口元がによりと笑んだ。
『今からアングルスへ出張して貰う。これは本部長命令だ。件の事件で生き残った開拓者がアングルスに避難している事が判明した。特に、まだ10歳の子供がいる。出来る限りついてやって欲しい。』
正直10歳で開拓者試験を突破したような子供の護衛だなんて嫌だった。子供開拓者に良い子はいない。業界内ではあまりにも有名な話。ギフテッド持ちの神に愛された神童が若くして開拓者デビューする話は偶にある。その大半は性格が原因で揉め事を頻繁に起こし、場合によっては人知れず姿を消していた。
稀有な才能に大人さえもひれ伏し、武器を振り回せばベテラン以上に戦えてしまう。大人に言われるがままに戦えば、生産区で労働する大勢の労働者の年収を容易く稼ぎあげた。増える口座の数字と短期間で積んだ実績が、思春期の子供の人格を軋ませる。反抗期と思春期が暴力性を底上げし、格下と評価した大人に対して高圧的に出るのはよく有る事だった。
頼まれていたのは護衛。生きてさえいれば親しく接する必要は無い。態度次第ではまずは一発拳で頭蓋骨を凹ませて、鼻っ面をへし折ってやろう。ロゼの心は冷たく、しかし同行するメリーにあの手この手でラフィを推された。
『ラフィ助はそんな子じゃないッスよ。ほらほら、ハムハムに動画出回ってるから見るッス。上司命令ッス。』
『ラフィ助の癒しは凄いッスよ?抱きしめれば数日分の疲れが吹っ飛ぶッス。それにめちゃ可愛いんスよ〜。』
『ロゼもちょっとは興味出てきたッスか?』
今なら言える。ラフィは推せる。
他人を好きになる感覚をロゼは知らない。何をやっても人並み以上に出来た秀才なロゼは、良くも悪くも自己完結した人生を送っていた。初めて知った好きの実感が10歳の男の子に向いていた。
ラフィが街中を歩けば、通りの誰もが声を掛け手を振る。笑顔が向き合い、軽快に動くラフィは楽しげだ。不意にくるりと踵を返し、ロゼへにぱっと笑顔を咲かせた。
「可愛い‥‥」
思わず声に漏れる。ちょっと顔を赤くしたラフィはぷいっとそっぽ向き、だけど最後にはにこりとして駆けて行った。ごく自然なしぐさの一つ一つが無性に愛らしく、抱き上げてしまいたくなる気持ちにロゼは揺れる。この所作の癖も癒しのギフテッドによるものなのだろうか。
通った後に残る僅かな残り香にロゼは役得を感じていた。
「すいませーん!今日も来ました!!」
ラフィが向かったのは蜘蛛の巣街の住人を守る自警団の本部。
「お、来たな。今日も宜しく頼むぞ〜。」
「仕事前にこっちで茶でも飲んでけって。こいつ隣街の亜人の所行ってさ。土産持ってきたんだぞ。たかっちまえ。」
「オークの姉ちゃんとヤッたんだってよ!はははっ!」
「うっせぇ!マジで良かったんだぞ!もげるかと思うぐらいの締まりでよ‥‥」
ラフィに聞かせるにはあまりにも下品な話を、ロゼの鋭い視線が強引に終わらせた。本部待機組の自警団は大半の時間を訓練に費やし、交代でパトロールを行っていた。今は始業前のちょっとした歓談タイム。ラフィも混ざってお煎餅を一つ咥える。ロゼにも一つ手渡してきた。
「ラフィが来てからほんと助かってる。住人から色々要望上がって来るけどよ。こっちは便利屋じゃないしな。人手も足んないから緊急性のないもんは対応出来ない。街の開拓者連中は高額の報酬がなきゃ何もしねぇ。ほったらかしにするしかなかったんだ。」
大きな手がお煎餅をもそもそするラフィの頭を撫でた。一人が撫でればついつい他のむくつけき男達も癒しを求めてもふっていく。恥ずかしがるものの、触られる事自体に不快感を感じている様子のないラフィは人懐こく笑った。
(私だったらあんなにベタベタ触られたらどついてしまいますが。ラフィさんって変わってますよね。)
歓談タイムは短く、男達が訓練に向かうとラフィも掲示板の方へ足を向けた。
都市でも重要な書類は紙に印刷して保管する事が多いものの、通常業務で紙を使う事は少ない。組合警察も専用開発された業務用アプリを使用して、電子の世界で事を完結させていた。しかし治外街に於いては未だ紙が主流。掲示板にも住民からの依頼が、専用フォーマットで印刷された紙で張り出されていた。
掲示板の依頼は緊急性のあるもの、その他細々したのは受付の方で取り扱っている。自警行動許可証さえあれば、正式な団員じゃなくても住民が依頼を受けて報酬を得る事は可能だ。が、積極的に参加する住人は少なかった。理由は単純、手間が掛かる割に報酬が安いから。依頼する側も蜘蛛の巣街の住人である以上大した額は用意できない。
いつか誰かがやってくれたらいいな、くらいの感覚で多くの雑事が依頼扱いで投げられていた。
「ロゼさん。」
ラフィの期待の眼差し。ロゼから言い出した事だった。
「掲示板のもの‥‥全部ですね。タマ開拓者組合に依頼内容を送信します。少額の危険性の少ない依頼ですので、雑務依頼扱いで処理します。」
本来組合警察の領分でないものの、ダンガン本部長に許可を取ってロゼが窓口がわりをしていた。
(折角こんなに働いているのに仕事が実績として記録されないのは可哀想ですし。羅針盤に刻まれても、組合を通さなければ公式な実績として扱われないシステムは損ですよね。)
実績と言っても雑務依頼で得られる分などたかが知れている。この活動を数年やればようやくランク2が見えるかな、と言ったところ。普通の開拓者は手を出さず、もっと効率よく実力を見せられる怪物退治に明け暮れるだろう。
(実績はあくまで組合に対する貢献度ですから。ただ、この地道な積み重ねはラフィさんの人柄を証明する材料に成り得ます。損得勘定だけで動かない誠実さ、信用というのは簡単には得られませんし。)
迷い猫再び、スパイダーヘッドのお昼の警備、娘の誕生日プレゼントに人気者のラフィとの交流、近頃蜘蛛の巣街に流れ着いたごろつきの取締り。
全部こなした所で12万円に達するかどうか。しかも支払いは現金。金貨、ニホン貨幣、紙幣ごちゃ混ぜだ。この街では全部価値は等価、しかし都市では換金に掛かる手数料に差が出る。所得税も支払えば実際の取り分はもっと少ない。
ランク1とはいえ開拓者が1日使って稼ぐ金額ではなかった。
(警戒区域内の簡単な見回りでも10万円は下りませんし、怪物との交戦手当が乗れば20〜30万円は安定して稼げます。その積み重ねでも初期投資分を回収しきるのに年単位掛かるなんてザラですが。)
各種税金、保険料、弾薬費、装備のメンテナンス費‥‥30万円も手元に残る分は案外少ない。怪我や装備の更新が挟まれば高くつく。
見回り依頼の10万円を得られるのはあくまで依頼を受ける事の出来た者のみ。怪物退治分は常設依頼だから必ず受けれるものの、遭遇できなければ無収入だ。タマ近郊は怪物が少なく、見回り依頼の椅子取りゲームに溢れた新米開拓者達は何もない荒野を彷徨う事になっていた。
特殊な事情でラフィの弾薬費やメンテナンス費が浮いているとはいえ、この報酬額ではタダ働きもいい所だった。
今日もラフィは元気に自警団本部を飛び出して行く。ロゼは遅れないよう後をついて行った。




