54、紅い空に泣く夜想曲
日常の終わりを紅く染まった空に響く奇怪な遠吠えが告げる。赤黒い雲から降り注ぐ血のような雨が壊れた地上を濡らす。
瓦礫の山を点々と残した一つの街跡に、遠くから鉛吐く咆哮が木霊した。
その内音は止み、力無く動いた瓦礫片の下から少女が顔を出す。生にしがみ付くよう、泥に爪立て這いもがく。そして瓦礫の下から傷だらけの肢体を引っ張り出した。
今日の遊ぶ約束も、楽しみにしていた誕生日のケーキも、友達の用意したプレゼントも瓦礫の下。開拓者に憧れて手作りした羅針盤の玩具も割れてしまった。
茫然自失とした顔で見上げた空は静かに血の雨を降らしていた。
いつの間にか目の前にいた不思議な格好の大男が仮面の下で少女を見下ろす。
差し出されたその手を───
タマさんはお風呂場の竹林の休憩所で佇んでいた。脱衣はせずそのままの格好で、一杯のお酒の入った徳利を指先で揺らしている。ボクが近付いても何処か心ここに在らずって風に反応せず、隣に座ってやっと尻尾がボクの腰に巻き付いてきた。
「さっきは迷惑掛けたわね。アタシはああいう権力と金で生きてきた連中が嫌いなのよ。」
ぽつりと短く言葉を漏らすタマさんに、ボクは黙って寄り添った。ふわりと展開された天使の羽がタマさんの肩を包む。暫くの間、ボク達は言葉無く湯気立つ温泉を眺めながらジッとしていた。
「今から10年前。異界化事件の事知ってる?」
「はい。授業で習いました。」
サカシタ社・マツモト社・リューゲル社の3社合同で経営していたダンジョンが暴走。周辺の都市を巻き込んで大規模な収容違反、捕食事故を巻き起こした大事件だ。元々ダンジョンが安定運営圏内を超過していて、国からダンジョンの破棄を命じられていた。だけど3社合同運営のお陰か利権関係が非常に複雑で破棄計画は進まず。そうこうしている間に臨界点を超えてしまった。
結果都市に住まう人々の殆どが亡くなる凄惨な事件となる。3社とも都市運営委員会と内閣大臣の任を兼任するような超巨大企業だったものの、サカシタ・マツモト社は国からの厳しい責任追求の末倒産。リューゲル社も政界を退く事になった。そう言えばこの事件からだっけ。ダンジョン破壊テロリストの活動が活発になったのは。
「アタシは当事者よ。」
ピクリと反応したボクはタマさんを思わず見上げる。
「ノクターンに入ったキッカケでもあるわね。利権がどうだの、金がなんだの、権力に任せて暴れて好き放題してた上級国民連中のせいで皆死んだわ。アタシはね。正直そんな連中が大事に抱えるダンジョンを壊して鼻を明かしてやりたいって思ってるの。」
「別に同じ思いをするヒトを増やしたく無いなんて。そんな正義感に駆られて動いてる訳じゃ無いわ。汚い醜い利権で汚れたダンジョンをバーン、って壊してさ。そりゃダンジョンで飯を喰ってた連中は大変よ?上級国民だけじゃ無く、関係者は皆不幸になるわね。でもさ。」
「ざまあみろ。」
すっごい意地悪な顔でボクを覗き込む。
「アタシだって開拓者としてダンジョン漁ったりしといて何だけどさ。そう思わずにはいられないわね。不謹慎で最低だと思わない?」
自嘲気味に笑うタマさんが見ていられなくて。タマさんの肩を抱く羽でぐいぐいとボクへ引き寄せる。そのままタマさんに背中から抱きついて、癒しの力を直接浴びせるよう意識した。
「タマさんはダンジョンが嫌いなんですね。」
「そうよ。あんなの、無くなっちゃえばいい。地球って場所にニホンコクがあった時はダンジョンが無くても発展出来てたらしいじゃない。怪物を生み出し荒野を生み出す害悪は消えればいい。金と権力でダンジョンを肥え太らせる奴らも皆死ねばいい。」
タマさんの心の奥底はいつもひんやりと冷たかった。それがいつにも増してキンと冷えている。声に憎しみが滲み、ドス黒い憎悪を吐き出していた。ダンジョンはヒトの欲しがる撒き餌を散々撒いてきた。さまざまな鉱石に石油すらも産出する。挙げ句の果てに新技術の匂いを放つ原理の不明な魅惑のアイテムまで。国家はダンジョンを危険視しつつも既に依存していて、どうにもならないかも知れない状況になっている。
ボクはまだノクターンについてよく知らないけど、その活動が社会の微妙なバランスに一役買っているといいな。暴走しそうなダンジョンを、しがらみのない第三者として力づくで破壊するんだもん。必要悪というか、そういうものだと思う。
「ダンジョンが無くなって一杯傷付くヒトがいると思います。けど、同じくらい助かったヒトもいると思うんです。ダンジョンが無ければ怪物も現れないし、安心して暮らせるんです。タマシティも長い間付近にダンジョンが無くて、怪物が殆ど現れなかったから孤児院で健やかにいられました。」
「タマさん。タマシティの危険なダンジョンを壊す為に来てくれたんですよね。ありがとう、です。」
きゅうっと抱き付く腕に力が入る。勝手な話かもだけどタマシティからダンジョンが無くなればあの孤児院もずっと穏やかでいられるかも。お金の事とかよく分からない。でも怪物の怖さはよく知っていた。
ボクの羽がしゅるりと伸びてタマさんをふんわりと包み込む。少し顔を赤くしながらもタマさんは大人しく抱かれていた。
「いいわよお礼なんて。ここが選ばれたのもアタシの一存じゃないんだし。」
「勝手に言ってるだけです。ありがとうございます、です。えへへ。」
「さっきから可愛い事ばっかり。慰めてるつもり?」
「癒しているつもりです。」
ボクにはそれくらいしか出来ないからね。小さな手じゃタマさんのおててしか包めなかったけど、天使の羽がある今ならちゃんと癒してあげられる。波だった心が落ち着いてきたのか、タマさんも身を任せてちょっとずつ脱力していった。
竹林のお風呂場に風が吹く。気付けばタマさんの手がボクの服の中に突っ込まれていた。
「タマさん?」
「どうせなら一風呂浴びましょうよ。ほら、脱いでそこに畳みなさい。」
「あ、あの?!リビングに皆を待たせてますから!後でです!」
ピャーッ!とジタバタして腕の中から抜け出たボクはそのまま走って逃げたのだった。
機巧卿こと、シブサワ・モモコさんはメリーさん達に囲まれてソファーの上で大人しくしていた。ブランさんが出したであろうお茶が湯気を立てているけど、口を付けた気配は無い。
ショートヘアの桃色の髪の少女はボクと同い年ってくらい小さい。頭に乗せたカチューシャからは、ARホログラフィック製のウサミミが生えていてピクピクと震えている。どうやら心境の影響を受けて動くらしく、ボクを見つけるなり垂れたウサミミがシャンとした。
優雅なお嬢様って感じじゃなくて、何処か活発的な雰囲気のあるヒトだった。今は鳴りをひそめているけど普段はもっと笑顔が多くて好奇心旺盛なヒトなのかな?そんな印象を受けた。
現ニホンコクに於いて、苗字を許されているのは一部の上流階級の家系だけ。庶民は皆マイIDという数字で管理され、行政絡みの重要な書類では名前の代わりに数字と生体情報を入力する事になっている。戸籍関係とかそう言う書類ね。
苗字が付いているヒトなんて初めて見た。でも、見た目も表情も同じ人間って感じがしていた。
モモコさんはしきりにボクに目線を送り隣に来るよう指先ソファーを突く。やっぱり近くにいた方が落ち着くかな?色々事情を聞かなきゃだし、出来る事をしよう。
「さて、機嫌を損ねた雌猫のお世話も済みました。ラフィ様、お疲れ様で──」
自然な動作でタマさんの尻尾がモモコさんのお茶のカップを掬い上げ、顔からお茶を被ったブランさんが無言の裏拳を受けて転倒してしまった。
「ブランさん、タマさんの事をそう言う呼び方しないで下さい。」
ボクもジト目で抗議するも、ブランさんはしれっとした顔で。
「隙あらばラフィ様にセクハラする、常時発情した匂いを漂わせっぱなしのお方には自重して頂きたいだけですので。」
ちょっとだけタマさんから一歩離れる。タマさんも少し気まずそうに視線を逸らしていた。
「だってラフィとはそういう仲だし。」
「変な仲じゃありません。」
気恥ずかしさに熱くなった頬を冷ますべく、努めてタマさんを無視してモモコさんの隣にお尻を置いたのだった。
ー79.12異界化事件ー(ニホンwikiより抜粋)
彩波79年、12月24日。深夜0時丁度。サカシタ社・マツモト社・リューゲル社の3社合同運営されていた大型ダンジョンが大規模収容違反を発生させた。ダンジョンを中心に半径50km県内が急速に異界化。紅い雲、血のような雨、激しい地鳴り、そして大量発生した怪物の群れが確認されている。
異界化とは魔王に成熟したダンジョンコアが、周辺の空間をダンジョン内のように干渉出来るよう起こす空間異常であり、それに飲み込まれたシナガワシティ及び周辺の10を超す治外街が地図から消えた。
大規模なジエイタイによる鎮圧が行われ、魔王の破壊に成功したものの死者・行方不明者数は30万人を超す事態となった。
これによってダンジョン排斥主義が台頭し、過激なテロ組織による破壊活動が活発化。その後全国的に発生した武装企業と排斥主義組織による紛争の火種となった。
ただ、現状ダンジョン由来の資源無しの国家運営は現実的では無くその点を擁護する声は年々増えていっている。




