476、舌が酒の味を忘れる
老婆が1人、都内のバーで昼間から酒をあおる。しわくちゃな顔を乗せた、道ゆく男を独り占めにする豊満な女体。異様な姿を前にしてもマスターは気にせず慣れた対応。
「今日は朝から荒れてますね。」
初老のマスターの声が、グラスを眺めるバーニスの肩を小突いた。
「はぁ‥‥子供ってのは難しいもんだ。お前も子供は居るだろう?」
マスターの共有モードのホロウインドウが、無邪気な顔の3人の息子達を映し出す。
「今じゃ彼らも立派な社会人ですが。」
写真を眺めるバーニスの目は、その一枚が撮られた経緯の方を見るようで。酔った頭で想いを馳せて、アルコールと一緒に喉へ流し込む。出そうになった言葉を飲み込んだ。
(ヤッて産んで捨てて逃げて。今更他所の子供を可愛いだなんて言えるかい。顔もロクに覚えてねぇ癖に。)
多産種族の倫理観と、ニホンコクの倫理観の板挟み。孤児院や馴染みの風俗店へ子供を押し付けたのは、自分の子供という概念すらなかったから。子供は共同体のモノ。自分よりも確実に育てられそうな連中に世話を投げただけ。
治外街で生まれ育ち母親の顔も知らずに生きて来たバーニスにとって、性が氾濫する思春期は当たり前のものだった。性は高潔なものじゃない、食ってヤッて寝る。3大欲求の一角を成す、人をヒトたらしめる当然のコミュニケーション。
それが今になって子供を意識するようになってしまった。
「何やってんだか‥‥」
今まで雇い雇われの距離感で、従業員として関わって来たジャックとヤスコと何故か喧嘩が絶えない。プライベートに踏み込まず、子供部屋を覗きもせずに生きて来たツケが回って来たようだ。
「デリカシーって難しいもんだね。」
「私も最初は戸惑ったものです。それでも幸い男の子ばかりでしたので、自身の子供の頃を思い浮かべれば適切な距離感を知れましたが。」
部屋でゴソゴソ、妙な気配がする時は廊下にも踏み入らずにリビングで過ごす。そんな時間のルーチンを知れば、気を利かせて掃除機でも掛けてやった。
「年頃のガキんちょは暇さえあればイチモツを弄り倒すもんだろ?邪魔するのが無粋だって事ぐらい分かってら。」
小さく笑い合い、グラスの中で氷が揺れた。酒の水面へ氷山が沈んで行く。バーのドアが開いた先、意外そうな顔のクニークルスが立っていた。
入るか少し逡巡、しかし背を向けず1席空けてカウンターへ並ぶ。
「マスター、いつものを。」
「ヤマノテの開拓者さんだというのに、すっかり馴染みですね。」
「生憎、母親と味覚が似通ったみたいでね。ここの酒のチョイスがドンピシャなのさ。」
褒められて悪い気はしない。趣味でやってるバーだが、こうして酒の趣味が合う客と語り合えるのは楽しいひと時となった。EXPO期間中はバーの癖に昼間から営業してしまう。酒の趣味の合う客人と1人でも知り合いたいから。
「マスターは忙しいのは好みかい?」
「趣味でやってる店ですよ。」
「ここの酒を気に入りそうな同僚は多くてね。だが紹介してしまえばこの静かな雰囲気が台無しだ。」
マスターは何も言わずに片眉をピクリと上げて応えた。この静かな雰囲気の為に、わざわざ郊外区へ店を構えたのだ。
黙って話を聞いていたバーニスが、クニークルスの方へ向き直る。
「‥‥悪かったよ。色々と。」
クニークルスの兎耳が揺れた。表情に出さずとも動揺は分かりやすい。
「気持ち悪いな。昼間から飲み過ぎじゃないかい?」
「こっちも色々あったんさ。この歳になって育児に悩むなんて思わなかったよ。」
バーニスのしおれた雰囲気を感じ取れば、流石のクニークルスも気になって聴く姿勢。語られるジャックにヤスコ、そしてクロエ達との微妙な距離感。枯れた母性本能がボヤを起こして振り回される。遅咲きすぎる母の道は袋小路に迷い込んで、見上げた空は曇天で晴れ間が見えない。
「自覚はあったけどねぇ。やっぱり母ってのは向いていないんさ。ただ、向き合うって決めた以上アイツらが成人するか、バーニス運輸を離れるまでは見てやりたいだろ?」
クニークルスは苦笑した。飲んだ酒の味が分からなくなってしまう。
「それを産み捨てた実の娘に相談するかい?」
「悪かったって。ただ開拓者として大成したんだろ?」
バーニスはよっこらと腕を伸ばし‥‥驚くクニークルスの頭を軽く撫でた。
「良くやったよ、お前は。厳しい環境で生き延びて、一人前になれたんだ。」
アルコールはどんな味がしただろうか?忘れてしまった。
「今更母の面をする気はねぇ。でもな、褒めてやるぐらい良いだろ?」
「何なんだ急に。」
「大勢が生産区で働いて、月給手取り30万もいかない世の中だ。月幾ら稼ぎ上げているんだ?誰もが関わりたがる大スターのラフィと良い仲だって話じゃないか。開拓者試験の教官も務めたんだろ?」
今度はぐしぐしと無遠慮に撫でる。髪が乱れるから止めろ‥‥何故か言えなかった。
「今までの全部を凄えって賞賛するよ。頑張ったんだろ?良くやった。」
急に子供扱いされ、なんとも言えない気分でそっぽを向く。バーニスを母と意識する機会があるなど思いもしなかった。
「バーニス母ちゃんとでも呼んで欲しいのかい?」
「ハッ、言うじゃないか。ヒッヒ、そう呼ばれる資格は無いよ。」
互いに多くを語らず、ただ酒の味を思い出すようにグラスに口を付けた。不慣れなやり取りだったが、気恥ずかしい以上の不快感は無い。
母とは。子とは。
意識し合ってやっと朧げながらに理解し合えた気がした。ただ‥‥今は酒が美味い。
「どうせ飲む以外の予定は無いんだろ?」
クニークルスの気紛れの誘いに、バーニスは暫く悩んだ後に重たい腰を上げる。
「はいはい、飲んだくれてちゃ勿体無いのは分かるね。折角のお祭りだ、ちょいと見て回ろうじゃないかい。」
「言っとくが夜の部になるまで会場内じゃ酒は買えないからな?」
「分かってるよ、まったく。」
席を離れる2人をマスターは見送った。今日もまたヒトの人生のハイライトを見る事が出来た。人間観察は面白い。バーを昼間から開けた甲斐もあったと小さく笑んだ。
「はいはーい!!遅ればせながら、私参上!いや〜、この前は散々な目に遭ったね。」
EXPOを配信する配信者の中の1人、アイビーは録画モードのスマイルカメラの前で笑顔を振り撒く。やや呆れた顔で見やるゾロとニコラを気にせず、久しぶりの動画撮影に口がつるつると回る。
(これでアイビーも前科者かいな。)
(うう、絶対コメント欄荒らされちゃいますよ。)
(配信者業も潮時やな。前科者じゃそうそうやって行けへんで。真面目に開拓者と向き合う時が来たって事かいな。)
ランブルファイトの一件で、組合警察と交戦し捕まってしまった。ビル爆破テロが未然に防がれたキッカケを作った功績で、ある程度酌量があったものの‥‥短期の懲役刑と高額の賠償金がセットになった。
羅針盤剥奪にならなかったのは、ラフィの擁護があったお陰か。元々組合警察と開拓者の仲は悪く、あの時は動転していたんだし仕方ないよねで済まされた。それっぽく言うのなら、不本意な突発的武力衝突とでも言うべきか。
事前に組合警察を襲撃する算段があって計画したのならともかく、不幸な行き違いがあった。幸い死者もなくラフィの的確な医療行為によって後遺症も残らずキンジは復帰出来た。
口座の数字は大分少なくなったものの、それでもアイビーは前向きに生きる。元底辺配信者から、中堅程度まで一躍登り上がった経験が気を大きくさせていた。
「そこっ!聞こえてるから。まぁ反省はしているよ?でも背広組の連中を好いてる奴なんて居ないしさ。」
カメラがEXPOの混雑を映し出し、しかしそんな光景は2日目にしてもう大勢の配信者のリスナーが見飽きた光景。大御所配信者は皆EXPOに夢中だった。
二番煎じで終わっては再生数が100もいかないかもしれない。だけどリラックス。なんだか今日は良い事が起きる気がする、とアイビーはステッキをくるくる回す。
「おーっ!この人混み!それに熱気!今回のEXPOの盛り上がりは凄い!」
ゾロは首を振る。ほぼ同じ台詞を一体何人の大御所配信者がゲート前で言っているのか。
「やって来ました!EXPO!学生さん達の祭典へ、一歩お姉さんが踏み込んじゃいますよ!何が待ってるのか、早速見てみましょう!」
ニコラが後半部分の台詞のリテイクを要求した。アイビーがガクッと思わず項垂れる。
現代社会のコンテンツ消化速度を舐めてはいけない。2日目にしてもう全ての出し物の情報が完全に出回っていた。その上で実際に触りたくて大勢が詰めかけるが‥‥動画勢も知識だけは既にEXPO博士なのだ。
何が待ってるのかなんて知ってんだよ。その下りはもう良いんで。これだから前科者配信者は。ラフィのコネ以外褒める所のない底辺。
コメント欄へ投げつけられる泥模様を、ニコラは空見していた。ハムハムの公式アカウントは鍵垢にするぐらい荒れていた。
「大勢が集まるEXPOは正にカオス空間!どんなハプニングに出逢えるか、早速飛び込んでみよう!」
オープニングとしては悪くない。ゾロとニコラはやっと納得した顔をした。
アイビーは無策なのか‥‥その余裕は何処から来ているのか。
会場を見回る3人は、大勢が集まる一角を発見していた。
ボクはEXPO会場を美羽の一族の皆と一緒に歩いていた。今日はEXPO見学、明日は都市内自由行動。お祭り騒ぎな街中を案内するんだ。
有料路を通っても、美羽の皆は大勢の目を引く。都市のヒトには非常に珍しい昆虫系の亜人さんだから。それに誰もの肌は美しい絹白で、魔法で複雑な模様が描かれた羽は芸術品のよう。
今日の見学のお話は事前にEXPO公式アカウントからも発信していた。見学するブースは美羽の皆が最優先だから、ご理解とご協力をお願いしますって。
皆声を出さずに、羽ばたきと魔法文字で会話する。そういう様子も周囲のヒト達にはとっても不思議な光景に見えていた。
側から見たら大勢で連れ立っているのに、ボク達は全員無言で見回ってるからね。声を発さずに、でも羽を忙しく動かす。大量に飛ばされた魔法文字は宙へ溶けて消えた。
R.A.F.I.S.Sで繋がったボク達の口数はとっても多い。
『凄いヒトが沢山居る!』
『これが祭りか?!』
『特別なお祭り!』
『皆さん、離れずに着いて来て下さい。EXPOは技術発表会なんです。ボク達の文明の揺籠で生まれ育った、学ぶ者達のアイデアを楽しむ場所です。』
ガイドさんなボクが足を向けた先、チョウリさんのブースへ向かった。大勢で賑わう中に、ボク達の為のスペースがもう確保されている。
「チョウリさん!来ましたよっ!」
「ラフィくん!皆様もよく来て下さいました!私達で作った新技術をご堪能下さい!」
チョウリさんはちょっと緊張気味に、羽ばたきで応えるスゥさんへ出来るだけ噛み砕いた説明を。ボクが通訳として間に入って、R.A.F.I.S.Sで共有されていく。
『水を撒けば花が咲くのか‥‥?』
「見ていて下さい!えい!」
アマツク水の入った噴霧器がブァッ!と霧を撒き、その先に花畑がふんわりと現れる。一斉にスゥさん達が羽ばたいて、驚いたチョウリさんがあわあわ。
「ラフィくん?!」
「大丈夫です。この羽ばたきは拍手の意味を持ちます。皆面白い技術だって褒めてくれているんです。」
スゥさんは魔法の専門家としてマギアーツを読み解こうとするけど、マギアーツは漢字によって構成されたものだから。結局文字の意味が分からずに首を傾げちゃう。
『原理は不明だが、凄い技術だ。あの花は本物か?』
「触ってみて下さい。」
伸ばされた白い手は宙を掴み、驚愕再び。
『透明だと?どう見ても存在するのに存在しない非有の花。不可思議だ。』
皆の羽ばたきと魔法文字の乱舞に、チョウリさんは反応出来ずボクを見つめる。笑顔で返せばちょっとだけホッとした。
不意に伸びた手がボクのほっぺをぷにっ。スゥさん?
『ラフィはそこにある。安心したぞ。』
もぅ。これはARって言う技術です。
「ヤマノテシティでも見ましたが、ビルの谷間を飛んでいた大きなクジラさんとかも同じARですよ。」
『そうだったのか。そういう生き物が飼われているのだと思った。』
チョウリさんは次々とマギアーツを披露する。
これは花咲のマギアーツの派生系、手を叩けば特定の音に反応して宙にお花が現れる。叩く回数でお花の数を増やせて、叩き方を変えれば消したり種類を変えたりも出来ちゃう。小刻みに、手のひらを擦り合わせるように、ゆっくりと大きく。
宙にチューリップがポポポン!ビオラの花が無数に開花、大きなヒマワリが顔を覗かせる。
「この為に派生系のマギアーツも色々皆でアイデアを出し合って作ったんですよ!」
ホロウインドウの中のフィクサーさんが、
『あの少女の才能は眩いですね!時代が時代なら大賢者になれたかも知れません。』
なんてこっそり褒めていた。
そんな中ぴょこっとブースを覗き込むよう、もう1人のボクが現れる。スゥさんはボクを見た後、もう1人のボクを見る。
『あれは何だ?』
「ミニフィーではないですよ。」
ボクに似た小さな影は、そのままパタパタと走って行ってしまった。




