4、未踏地探検はキャンピングカーで
「では、今日は歴史の授業をしましょう。」
静かな教室でサラ先生は手元のタブレットを弄って黒板と同期させる。黒板に資料映像が映し出され、サラ先生が解説を始めた。
「私達の住む国、ニホンコクは数百年前にこの世界へ転移してきた“異界地”であります。太古の昔からこの世界にはニホンコクのように、国土単位での転移が発生してきたことを示唆する文献が多くあり、多種に渡る亜人が如何なる理由でこの世界に分布したのかと言う問いの答えとされています。」
歴史の授業は難しいけどこの辺は何度も聞いたし、流石に覚えている。かつてこの世界にやって来たニホンコクは高度な文明を持っていたものの、転移の際の混乱状況を打開できずに、国土内の文明の及ぶ生活圏を次第に縮小させていく事になった。急激に動く情勢に後手後手な対応を取ったのが大きな要因の一つなんだって。
国土内に発生したダンジョンから生み出された怪物が国土を蝕む。終いには怪物や侵略者である亜人達の権利を主張する変な団体や、この世界へ帰化する為に積極的に科学文明を捨てて文明レベルを合わせようとする政党、国を守る為の軍隊の動きを何が何でも縛ろうとする民衆の暴走に揉まれ、政府は完全に機能不全となっていた。
政治機能が崩壊していく中人々は大都市に逃れて立て篭もり、金銭の多寡という分かりやすい指標でイニシアチブを取った巨大企業達が都市を運営し、次第に新たな政府を形作っていく。いつしか緊急時代理内閣は正式な内閣として発足し、ニホンコクを導いていく。但し民主主義は廃れ、資本を持てるものが政治を先導する独裁的な資本主義となったのだ。
それはこの世界の多くの国家が同様の政治形態をしていたからだった。つまり、力のある者が国を動かす。理屈ではなく力で示すのが当たり前なこの世界にニホンコクは帰化したって事だ。
難しい授業をしっかり受けていたボクは余裕の表情で黒板を見つめていた。
授業が終わったボクはタマさんに誘われて、未踏地へ続くフェンスまでやって来ていた。形だけのボロボロのフェンスの向こうへボクの手を引いて向かうと、タマさんは早速切り出す。
「それじゃあ開拓者への第一歩として早速実地訓練と行くわよ。」
く、訓練!何をするんだろう?
「まぁまぁ興奮しないで。ラフィと出会った場所は唯の遺跡でなく、ダンジョン化していた。ダンジョンは前に説明した通り生物で、建物とかに取り憑いて怪物を生み出す危険なものなの。それが街の近くにあったら大変でしょ?」
獲物にありつけず空腹となったダンジョンは、内部で餌を待ち構えていた怪物を外に解き放つ。もし怪物が現れたら孤児院が襲われるのが目に見えた。
「だから近辺の遺跡を回って異変がないか確認する必要が出たの。勿論アタシ達以外にも近隣の組合の開拓者総出よ?遠くには小規模とはいえ遺跡群もある事だし、大規模探索の準備の間に近場を回っておくのよ。」
この辺では都市警戒区域内での怪物の目撃情報が無かったため、管理外のダンジョンの存在は無いものとされていた。ダンジョンはより知性の高い生物‥‥ヒトの住処の近くに現れやすい。今まではタマシティはダンジョンが発生する規模の街じゃ無かったなんて通説があったけど、もう安心していられないなんて。
「あんま身構えなくていーわよ。ちっちゃいビル数軒回るだけだし、そんな規模の建物がダンジョン化した所でランク20越しの開拓者にとっちゃ大した脅威にならないから。順調に行けば夜には帰って来れるわ。」
アタシに任せなさいっ!って胸を張るタマさんに尻尾で肩を叩かれ、少しだけ緊張が和らぐのを感じた。
「ええと、それでどうやって行くのですか?前みたいにあの空飛ぶボードで?」
「あれで行くにはちょっと遠いし疲れるわよ。だから、車を使うわ。」
タマさんが懐から取り出したのは掌サイズの小さな車。精巧な玩具を思わせるそれをポンっと投げた。すると車が突然巨大化し、乗り込めるサイズに変形したのだ。
わああっ!!凄い!凄いですっ!!どうしたんですか?!教えて下さい!
興奮してタマさんに詰め寄るボクは肩を掴まれ車へ押しやられてしまう。
「話は中でしましょ。ほら入った。」
そして車内を見たボクは更におおはしゃぎ。中の空間は拡張されていて、まるで家のようだった。一歩車に踏み込めばそこは玄関口。カーペットの敷かれたフローリングの床のリビングに直接繋がっていて、ダイニングキッチンまで付いている。おっきな冷蔵庫が二つも置かれ、床下収納まで付いている。
トイレ、お風呂、寝室、倉庫と小部屋がリビング奥の廊下にくっ付いていた。少し小さめだけど十分この中で暮らしていけそうな快適さにちょっとワクワク感を覚えていた。
「車の運転はどうするのですか?」
「そりゃ遠隔操作よ。」
ホロウインドウで自動操縦を設定したタマさんは自慢げな顔で話し始める。
「どーよ。この空間はアタシ専用のプライベートルームってやつよ。ルーム名は“パンタシア”!本来ランク40、50いってる大ベテランの開拓者とか企業の大幹部とかじゃないとそうそう買えない、むちゃ高い拡張現実空間!色々ツテがあって持ってるけど、ラフィは特別に入れてあげる。」
「自動室内清掃機能、破損家具の即座の複写品転移入れ替え保証対応、車両同期振動・空間破損防止システム完備!」
ソファーに腰掛け、あったかいお茶を両手で支えながら早口なタマさんを見上げる。タマさんはよっぽどこの空間が気に入っているみたい。家具の一つ一つをデザインとか機能性を厳選して選んだって話だし、ボクの持つ湯呑みもよく見たら孤児院のコップとは比べるべくも無いしっかりとした品物だった。
「でも冷蔵庫とか2つも要るのですか?すっごい大きいですけど。」
「当たり前じゃない。未踏地の探索は下手したら2ヶ月とか掛かるのよ?文明の及ばない荒野の真ん中で食料が尽きるなんて想像したくも無いわ。そこの床下収納とかも全部食料と水で埋まってるんだから。」
一応最悪の場合、お風呂やトイレの水を浄水して飲む事も出来るそうだけど。流石にそれは避けたいな。
湯呑みを片付けたボクは部屋をキョロキョロしながらぶらつき、倉庫の中に顔を覗かせた。倉庫内の片面は何やら興味をそそられる作業場になっていた。ここで魔具を改造したりメンテナンスするのかな?色んな道具が揃ってる。あっ!凄いっ!手書きの設計図まである!
「レトロな情報の保存方法って案外役立つ事が多いわ。このご時世に機械に疎いドワーフ職人連中に現地で修理とか頼む時、そういうのが無いと最悪仕事断られるし。」
倉庫の奥には紙幣の束や金貨の詰まった宝箱なんてのもあった。電子決済が常識となった今、こういう現物通貨は骨董品のように見える。多分孤児院の近くの駄菓子屋さんでも使えないだろうし。
「まぁ普通のヒトにとってはそうね。でも銀行に口座を作れない脛に傷のある奴が多いスラムの一角とか、都市圏から離れた未踏地にある亜人の集落だとこっちが主流よ。そういう所で仕事をした際の報酬が金貨や紙幣なんだけど、電子マネーに換金すんのが面倒でそのまま保管してるの。持ち合わせがあると便利だし。」
楽しげに探索をするボクに、不意にタマさんが紙幣をヒラヒラさせながら迫って来た。
「ねぇ、スラムで見たことあんだけどさ。ほら、これあげるわよ。」
急に紙幣をボクの手に握らせ、困惑する合間に背中を押されて寝室に連れ込まれてしまう。
「そのままそれを握ったままでいなさい。ふ、ふふふ。ラフィを買っちゃった。」
「買うって何の事ですか?あ、あの?!何でパーカーのチャックを下ろして?!」
戸惑うボクを他所にノリノリなタマさんはベットの上に覆い被さり、涙目で見上げるボクを前に舌舐めずり。
「ごっこ遊びだからそんな顔しないでって。いや、でもその顔も結構クるわね。お金を握ってる姿に興奮するって言ってたあいつの気持ちが理解できる気がする。」
「そろそろ起き上がっていいですか?これ以上はちょっと。」
「もうちょっとだけ。」
自重しないニヤニヤ顔で見下ろすタマさんは、不意に鳴った自動運転終了の放送にピクリと耳を動かすと、急に顔を近づけて頬に一つキスをしてくる。
ピィっ?!
そして、頬を押さえて惚けるボクを置いてさっさと出発準備に掛かるのだった。タマさんは時折急に距離感が近くなる。エステルさんも偶に危ない気配を漂わすけど、タマさんの方が強引で。
ほっぺに残る感触に顔が熱くなるのを感じた。会ってから距離感が何だかべったりで、恥ずかしいけど嫌ってワケじゃ。癒して欲しいのかな?ボクとくっ付いていると癒されるって言うし。会ってまだそんなに経っていないのにスキンシップが激しい。
‥‥少しでも一緒に居たいぐらい疲れているのかも。タマさんの為になるのなら、良いけど。
木々の影に停まった車を降りれば、目の前にビルが一つ。その周辺にはかつて建物があった事を思わせる瓦礫が散らばっていた。4階建てくらいかな?割れた窓から覗く内部は如何にも廃墟って感じで殺風景だ。
「じゃあまずダンジョンとただの遺跡の違いを教えるわね。まずダンジョンは建物に擬態した生物だけど、その外観は出来る限り元の建物と同じ様相を維持する傾向にあるわ。」
パーカーのポケットに両手を突っ込んだままのタマさんは尻尾で割れた窓を指す。
「つまりああやって明らかに破損している場合はダンジョン化してない可能性の判断材料の一つになるって事。ま、逆にあえてこういう外観を維持して油断して入ってきた開拓者を襲おうとした例もあるからこれだけじゃ確定しないけど。」
ダンジョンって想像以上に賢いんだ。ちょっと怖くなってきた。ダンジョン化していると綺麗なビルに変化しちゃうって事かな?少なくとも何処も壊れていない、企業のテナントが入っていそうな感じ。
「次に内部の状態ね。長年放置された建物は埃まみれになってるから、妙に小綺麗になってたら危険よ。少なくとも何かが建物に出入りしてる痕跡だから、ダンジョンじゃなかったとしても油断しない方がいいわね。」
そう言えばタマさんと会った建物は埃とか気にならなかったし、長年放置されていたであろうソファーにも抵抗感なく座れた。実際ダンジョン化していたんだ。これも結構参考になるかも。
「あと電力が通っていた場合高確率でダンジョンよ。まぁ、見て分かる通り遺跡は随分前に放棄されてインフラが維持されていないの。規模のでかい遺跡だと自家発電機能によって半端に電力が維持されてたりするけど。こういう規模の遺跡で電力が通ってたらまず間違いなくダンジョンね。」
だからあの遺跡のドアが開いた時、タマさんは微妙な顔をしたんだ。タマさんが言うには電力は、ダンジョンにとって血液みたいなものだから隠蔽する事は出来ないって話だった。
「電力ってのも実際は語弊があるわね。建物の元の状態を再現する過程で、電力も一緒に再現しちゃうの。昔の建物は電力で動いてたのよ。魔力を電力に変質させた似たような物を血液みたいに循環させているって言うか。」
インフラが維持された現役の頃の状態をダンジョンは再現するようだった。
「あっ。周辺や内部に怪物が歩いてたら確定よ。中に入ったらいきなりガブリっ!ってならないように気を付けなさいよね、」
ガオーっ!って感じにボクを脅かすタマさん。き、気を付けなきゃ。ぷるりと身を震わせてタマさんの片腕にしがみ付いて後を追った。
建物の前でタマさんが見回す。ドアとかは無く2階へ続く階段だけがあった。一応階段を照らす電灯はあったようだけど、僅かな痕跡だけで電力の有無を調べられそうなものは無い。
「ま、こういう小さな遺跡がダンジョン化してた場合電力の有無を簡単に調べられないよう隠そうとするのは珍しく無いわ。ラフィと会ったあのダンジョンが間抜けだっただけ。」
逆に電力の有無を隠そうともしないダンジョンは防衛力に自信があるって事だから、ある程度の規模のダンジョンだと隠そうともする事はそうそう無いって事だった。電力が流れていない場所は、血液が巡っていないのと同じ。相応に負担が掛かるって。
「ラフィ、ほら出来るだけくっ付いて動きなさい。ダンジョン化してたらドアとか防火シャッターを使って分断しようとするかもしんないから。」
ぷるぷるしながらべったりなボクに、タマさんはむふん、と笑って階段を上がっていった。
奥に進むほどに埃臭く、一歩進めば埃が宙を舞って視界を妨げる。タマさんの放ったブラックキャットがボク達を囲んでバリア装甲を張る。ボク達を囲む半透明な壁が埃を防ぐお陰で吸い込む事は無いけど、視野の狭さが緊張感を高めていった。
既に3階に到達していた。特に異変もなく、何もない廊下を進んでテナントの入っていた大部屋を一つ一つ覗いていっている。開いたドアの裏、埃の向こうに怪物が潜んでいる気がして想像以上に消耗を感じていた。タマさんと一緒だけど命の保証の無い、文明の気配のない未踏地の向こうは一寸先も闇に見えて。
開拓者はこの闇の先に一歩足を踏み入れて進んでいく。タマさんの足取りも慎重ながらに躊躇は無く、索敵に向かわせたブラックキャットと連携してスムーズに調べ回っていた。
「ラフィ、怖いかしら。」
タマさんの手が頭を撫で、尻尾で頬を撫でてくる。優しい声のタマさんは落ち着かせるよう、取り出した羅針盤をボクに握らせた。揺れずに真っ直ぐ指す羅針盤の針は、目の前の暗闇に道を拓いてくれるようで。ぎゅうって羅針盤を抱いたままのボクは、それでも確かな足取りで廊下を進んでいった。
結局遺跡の最上階に行っても何も無く、そのままあっさりと遺跡を抜け出て車に戻る。タマさんが迷彩を解けば、木々の影に車が姿を現した。
「ダンジョン化するかも知れないなら最初からあの遺跡も壊しちゃえばいいのに。」
「どうやって?未踏地の先まで工事業者を呼ぶのは護衛も含めればすっごい数になるし、かといって建物一つ瓦礫の山に出来るレベルの開拓者や傭兵を呼ぶなら相当な額になるわ。こんな片田舎の財源じゃ対症療法で現状維持が関の山ね。」
うっ。
「それにダンジョン化した際に瓦礫から情報読み取ったのか元の建物を再現する事があるのよ。その状態のダンジョンを殺せば元の建物だけがそのまま残る。元の木阿弥ね。」
実際ダンジョン化の確認だけなら20にも到達していない、新人の開拓者でも十分事足りる。つまり非常に安値で簡単に済ませられるんだ。それに•••
「放っておいてダンジョン化すれば、場合によっては貴重なアイテムを生み出す可能性もあるから企業が買い取る事もあんのよ。まぁ、この規模のダンジョンじゃ値なんて付かないだろうけど。」
数百年先にも原型を残す。この世界にやって来たニホンコクの建築技術がやたら高かったせいで、こういう遺跡が各地に未だに残されている。都市から遠い未踏地の遺跡は放置されるけど、都市警戒区域内の遺跡は見回らなきゃいけない。
一つ調べるだけでもすっごい緊張したし大変だったな。
車内に飛び込んだボクはソファーに身を投げ、へちょっと寝転がったのだった。
一応、ニホンコク≠日本です。日本に似つつも更に文明の進んだ架空の国家です。
異世界へ転移してきて文明力で圧倒、異世界人を仰天させて覇権を握る‥‥とトントン拍子に行かずに滅びかけました。ある日突然貿易が全てストップ、周辺海域の環境がガラリと変わり、電波障害でニュースの伝達もままなりませんでした。そんな中怪物が跋扈し異世界の軍勢が侵略、そして何が起きてるのか分からない状態でジエイタイによる強制的な疎開、大量の難民発生、説明する余裕もなく住宅地を戦車が駆ける!
一時は正に世紀末と化したようです。