360、アングルス→ヤマノテへお引越し
そのまま翌日。ヤマノテシティへやって来ていた。場所は雲海カフェ、ボク達はリコリコさんを連れて、スーツの男性と向き合っている。
都市内の大気を循環させる循環風が吹き遊び、ふんわりもこもこな雲で出来たテラス席を通り抜けて行った。
「シティ・サポートヤマノテハウジング。今回の担当者を務めさせて頂きます、フドウと申します。此度はヤマノテハウジングをお選び頂き誠にありがとうございます。」
そう、リコリコさんのお引越しの為にここに来ていた。
『ヤマノテシティに住みたーい!!』
ローズ・ガーデンの祝勝会の中、ボク達へリコリコさんが相談して来たのだ。
『ヤマノテシティならラフィくんの活躍をもっと近くで見れるし、動画のネタもいっぱいあるしさ!お金なら動画で結構稼いでるから贅沢しなきゃ余裕な筈!』
『まぁヤマノテシティでサキュバスの一人暮らしは厳しいんじゃない?』
タマさんの冷静な意見に、リコリコさんも反論する。
『私は準ニホンコク人だし?ヤマノテシティはお金さえあれば自由な都市だから!』
確かにヤマノテシティは他の都市と比べて、サキュバス排斥の動きが鈍い。リズさん達のお店もあるし、買春さえしなければセーフって感じかな?
『だからお願い!ワープゲートでヤマノテに運んで!入都許可証の手続きとかはこっちでやるからぁ!』
でも心配で、ボクがお仕事をこなす間ブランさんに付き添って貰った。サキュバス一人で都市を歩くのは怖いし。荒野でサキュバス狙いの野盗集団に襲われたのを覚えてるんだから。
それでお仕事終わりに時間が空いたから、ボクもリコリコさんに付き添いをしようかなって。住居探しは二度目だし、経験者だよ!
「不動産だからフドウってお名前ですか?あっ!カメラ回してますけど顔にモザイクは入れますので!」
このやり取りが懐かしい。よく言われます、とフドウさんは愛想良く笑っていた。フドウさんを撮るのは大丈夫だけど、物件の中を撮る際は都度許可を取るようにとの事。
「現在、トウキョウシティ間でのヒトの往来が増えております。ヤマノテシティを去った人々の空き家が御座いますので、お引越しなら丁度良いタイミングだと思います。」
リコリコさんは中層住まいを希望していた。
ヤマノテシティの良い所は?という問いの答えの9割が中層に集約される。逆に中層に住まなければ、ヤマノテ住まいに拘る理由も薄くなるって事だった。
勿論下層区にはヤマノテシティを使って、他の都市へ移動するヒト達が集う割安なホテル街もあるんだけどね。
「やっぱりコマゴメタウンでしょうか?ボク達の孤児院もコマゴメタウンにあります。土地は安めだし、治安も良いです。」
中央ヤマノテ線沿いならエビスタウンまで10分圏内、コマゴメメトロ線沿いだともう少し掛かるかな?でももっとお値段は安め。
「ラフィくんの孤児院の側も良いかな?あっ、一応聞きますけどエビスタウンの平均家賃はお幾らですか?」
フドウさんは即答する。
「ワンルームなら15万円からになります。3LDKとなれば安ければ60万の物件も御座います。」
勿論、値段は青天井だけど。安い場所は設備も悪くて周辺の環境も良くない。真下に地下鉄が通ってると振動が伝わってくるし、タクポが多く通る路線上だと騒音もそれなりにする。タクポって乗ってると気にならないけど、移動する時に独特な音がするんだよね。
ぐぬ、とリコリコさんは唸ってしまう。因みにアングルスのリコリコさんの住まいの家賃は3万円ぐらいだった。今のリコリコさんの収入ならワンルームなら払えなくは無いけど‥‥
「ご予算はお幾らでしょうか。」
悩むリコリコさんへ、ホロウインドウの中のフィクサーさんが助言を。
『家賃は収入が下がった上で余裕を持って払える額が望ましいですよ?今イケイケでも配信者人生何があるか分かりませんからね!』
コマゴメタウンなら相場はワンルームで10万円前後。高いけど、ヤマノテシティの中層は収入に余裕のあるヒト向けの場所だから。この金額が払えないと下層区住まいになる。
余程の場所じゃないと、ワンルームで8万円を切るような場所は無かった。
「コマゴメタウンにしておきます‥‥予算は11万円程で!」
しかしそこへフィクサーさんが更に追加の情報を。
『話は最後まで聞いた方が良いですよ?サキュバスの一人暮らしはそもそもリスク高いので、エビスタウンの地下街はどうですか?』
エビスタウン地下街‥‥サキュバス。
二つのワードからフドウさんはサッと物件を紹介した。
「予算の方、少々オーバーしてしまいますが。サキュバス専用の雑居区画が御座います。ニホンコクでも数少ない、都市内に公式に設けられた亜人街です。」
場所はリズさんが店長をやっていた、淫魔の華園の裏側。この区画に完全に他の区画と遮断された、サキュバス専用の小さな街があるらしい。
淫魔の華園で働く従業員達の寮だった場所が、そのままワタルさんの支援を受けて街に変わっていた。生活する上で必要になる施設が一通り揃っていて、レストランからゲームセンターまであるのだとか。
タマさんも少し驚いた風にしていた。
「エビス亜人街、アパート・華園。空き部屋が御座います。家賃は13万円、ですが設備の質はかなり良好です。」
リコリコさんは少し悩んだ後、身の安全を考えると‥‥って事で早速内見しに行く事に。気になったボク達も一緒について行く事にした。本来サキュバス以外は入れないけど、ボク達はリズさんが大丈夫って許可を出してくれたから。
話が通るとリズさんへ連絡して、ワープゲートで一度戻って来てもらう事に。
流石にフドウさんも立ち入る訳にはいかず、リズさんが毎回内見の案内をしているようだった。
「リコリコだったか。ようこそ、ヤマノテへ。」
「はい!お世話になりますよ。あ、淫魔の華園の勤務は無しでも?配信業で稼いでますし、精もサプリメントで補給してますから大丈夫です。」
「なんだい、都会っ子って感じだね。」
「そりゃ買春とか後ろ盾無しじゃ怖いですし。サプリで済むならそれでいいかなーって。」
「あんな味気ないので良くやっていけるね。」
挨拶を交わしてお店の中をそのまま真っ直ぐ。お店は残りたいヒト達が数人残って回していた。
「家賃を万が一払えなかった場合はお店で働いて貰うからね。」
「あはは、気を付けます。」
タマさんが横槍でリコリコさんを刺す。
「てかアンタサキュバスの癖に性に潔癖よね。ホントにサキュバスかしら?」
そしてぐへぇ、って顔でリコリコさんは反論を。
「よく言われます!都市内で買春する訳にもいかない生活が長引いたサキュバスってこんなものですよ?それに‥‥」
何でボクを見るの?あっ、肩を指でなぞらないで!
「ラフィくんとくっ付いてるだけで満足的な?勿論ラフィくんとなら‥‥」
そこまで言い掛けて、ブランさんのチョップが黙らせた。
偶にリコリコさんも危険な気配を出すけど。ヤ、ってすれば引いてくれるし。カメラの裏側でよくギュッてされたまま時間を過ごす事もあった。
淫魔の華園の裏口を抜けた奥。セキュリティで固められたゲートを潜って街へ出る。普段皆が暮らす街は、まるで箱庭のような場所だった。
噴水のある中央広場の奥に大きなアパートが何個か並んでいて、左右をレストラン街とアミューズメント施設が埋めている。お風呂は大きな銭湯があるから皆そこを使うらしい。銭湯もアミューズメント施設の中にあった。
「わぁっ!なんだか賑やかな雰囲気ですね。AR看板がいっぱい!それにお店も沢山です。」
ローズ・ガーデンとは対照的な、文明の色濃いネオン街って感じ。AR看板はカラフルに主張して、どこ見ても色んなお店があった。
「因みにここのお店の大半は完全自動化されているんだ。従業員無し、入ってサービスを受けて出れば自動で会計される。」
仕入れ、調理、清掃、ゴミの片付け、AIによる期間限定メニューの考案‥‥全部自動で動く。お店を回す魔具のメンテナンスまでも全自動だった。
「ワタル様に感謝だね。亜人街の維持費を都市の運営費から当ててくれているんだ。ここも立派な都市の一部だからね。」
お店の完全な自動化は雇用機会保護法とかで違法になるけど、この街に関しては淫魔の華園の付属物って扱いになっているらしい。
つまり法律上、淫魔の華園に賄い所や休憩室が付いている扱いというか。全自動で動く家電がお店にあっても違法じゃ無い‥‥かなり無理矢理な解釈だけどそこは都市運営員会の強権で押し通したって話だった。
「街の住人は150人ぐらい。この人数で淫魔の華園を回しながらこの街を運営するのは無理だろう?女性従業員を入れようにも臭いで無理だし、男性従業員なんてもっての外。現実的な落とし所を捻り出してくれたんさ。」
リズさんの説明にキョロキョロするボク達は、そのままアパートへ着く。リコリコさんが内見するお部屋は5階の端っこのお部屋。ローズ・ガーデンへ皆で帰った際に、そのままヤマノテシティの部屋を引き払うサキュバスも何人か居たらしい。
「最上階の角部屋かぁ。条件は良いね。」
お部屋は2LDK。ワンルームかと思ったら、思いの外広かった。
「おっ!広い!私の部屋よりもっと広いじゃん!これで13万円で良いの?」
「風呂無しだけどね。実は法律的にお風呂レベルの水回りを全部屋に引くと休憩室扱いにならなくなるんだ。トイレや蛇口程度なら良いけどさ。13万円は休憩室の利用料、家賃じゃ無いからね。」
アパートって言うのも便宜上の名前で、個室の並ぶ休憩室にそれっぽい名前が付いているだけって事になっていた。
『誤魔化し誤魔化しですね!案外法は緩いようで。』
茶化すフィクサーさんはホロウインドウの中。リズさんは苦笑してリコリコさんへ訊く。
「それで?決まったかい?持ち帰って検討しても良いけど、ローズ・ガーデンからヤマノテシティへ行きたいって子も多いんだ。万が一アパートから溢れた場合は、簡易な宿泊所があるから空きが出るまでそっち住まいになるね。」
そう言われるとリコリコさんは直ぐに決断した。
「はいはい!ここにします!あっ!一応聞きますけどエビスタウンに出たりしても?」
「好きにしな。その代わり外で起きた面倒ごとは自力で解決しなよ?」
「分かりました!」
そうと決まれば、お部屋の中へワープゲートを繋いでリコリコさんの住まいから直接家具を搬入する。リズさんは驚いた顔でその様子を眺めた。
「なんだい、あの守護天使様に手伝って貰うなんて贅沢な引越しじゃないか。」
「リコリコさんはお友達ですので。配信でお世話になった分のお返しです。」
「本来なら数百万円はぼったく‥‥いえ、頂戴する所ですが。ラフィ様の好意に感涙して恩を感じやがって下さいませ。」
「ホント!ありがと!マジで感謝してるから!」
重たい家具はボクとタマさんでひょいと持ち上げて運んじゃう。そのままリコリコさんの指示に従って配置していった。
アングルスの方の、リコリコさんの家のドアが開く。どうももう引き払った扱いなのか、内見に家族連れが来ていた。早過ぎない?!
アングルスの不動産と言えばマフィア絡み。多分かなり管理が杜撰なんだと思う。普通は引き払ったら、先ずは業者を呼んでお部屋を綺麗に整える筈だけど。もしかしたらアングルスではそんな事もしていないのかも。
ボク達はあちゃー、って顔で驚く家族連れのヒト達と顔を見合わせた。
お部屋の壁に開いた大きな穴の向こうに、もう一つの広いお部屋が見えている。そこへ家具を片端から運ぶ姿は、前の住人の顔を知らなければ泥棒に見えちゃうかも。
スッとブランさんが前へ出た。
「当機共は引っ越しに関する雑務依頼の真っ最中で御座います。手違いがあったようですが、内見は後日にして下さい。おとといきや‥‥ゲフン。ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。」
「あっ、ああ。もしやラフィさんですか?」
「は、はい!お友達のお引越しのお手伝いの真っ最中です!もう暫く待っていて下さい!」
ボクがパッと頭を下げると、家族連れのヒト達は笑顔で応えてくれた。
「知らないかもしれないが私達はアングルスの住人として、あの戦いに巻き込まれたんだ。ラフィさんの活躍に救われて今を生きているんだよ。はは、手伝っても?」
まさかのお手伝いを申し出てくれて、遠慮して断るのもアレだしって事でお喋りをしながら楽しく引っ越しをした。
天使の羽が開く。終わった後、お礼に皆を癒させて貰ったのだった。とても喜んで貰えて、沢山の笑顔に囲まれた楽しいお引越しになったのだった。
お引越しが終わって、早速リコリコさんはボクの手を引く。
「じゃあ、打ち上げと行きますか!レストランでご飯奢るから、行こ!」
夜になっても地下のサキュバスタウンは明るいまま。ボク達はそのまま夜の街を楽しんだのだった。




