29、今日からの宿泊先は桃と白に染まった泡屋敷、用意されたベッドはくたびれていた
広大なドーム内に造られた亜人の街、アングルス。ボクはタマさんに連れられ、何だか桃色な雰囲気の街角に来ていた。
「ねえねえ!そこのお兄さん、遊んでいこうよ。」
後ろを歩くイトウさんの体を道端の綺麗な女性が引っ張る。
「言っとくけど、アタシ達は待たないわよ。ここで逸れたら当面宿無しと思いなさい。」
ジト目で見やるタマさんに、流石のイトウさんも逆らわらずに引く手を払い除けた。そんな対応に慣れているのか、綺麗なヒトも手をひらひらさせて行ってしまう。もうここに来てからこれで何回目だろう。道端で色香を振り撒くヒト達は皆獣尾族の亜人さん達だった。犬やら猫やらの耳を頭から生やした綺麗なヒト達が道端で手を振る中、薄暗い路地裏からは何やら粘液の擦れ合うような音が聞こえてくる。そんな音に気恥ずかしさを覚えたボクは、隣を歩くルナさんと中身のない雑談をして気分を誤魔化していた。
「ラフィ、こういうお店を持たない立ちんぼを買うのはやめておきなさい。変な病気持ってるかもしんないし、路地裏の汚い布切れの上でする事になるわ。」
「・・・それが良いのだろうが。」
一瞬イトウさんの声が聞こえた気がしたけど気のせいだよね。というか、ボクはそんな事しませんから。まだ子供だし。
「本当に下品な街ね。」
ルナさんはベールの下に表情を隠しているけど、ここの雰囲気は好きではないみたい。ボクの顔をしきりに見る代わりに、街の風景を視界に入れたがらなかった。
「ほら、着いたわよ。相変わらず変わらないわね、ここは。」
タマさんが立ち止まった一つのお店。ここら辺でも一際大きい木造の建物は、桃色のネオンでゴージャスな感じに輝いていた。看板には『胡蝶之夢屋敷』と書かれている。
「この辺りでも一番でかい泡屋敷でね。ま、ここの主人にあたしらは世話になってたからもう一度世話になろうってね。」
クニークルスさんが先頭に立ってお店の自動ドアを潜れば、ちょうど他のお客さんが受付を済ませた所だった。
「ヘェア!ラッシャイ!!ミリナ嬢指名入りましたぁ!アナルオプション、性欲モリモリ、イチモツバリカタセットォ!25番のお部屋でお待ちどう!」
奥に厨房は無いけど、良く通る声でオーダーを取るヒトには面識が。ガタイの良い真っ赤な半裸の上半身。確か彩色祭で会った。
「アンタ、何やってんの?」
「あっ!てめぇ!タマァ!ここで会ったが・・・っ!」
勢いよく捲し立てたクリムゾン・イシダさんは背後からのチョップでカウンターに額をめり込ませ、ずるずると倒れてしまった。思わずひゃうっ!と息を呑んでタマさんの後ろから見上げれば、ゆったりした着物姿の綺麗でスタイルの良いお姉さんが現れた。体が2m近くあるのかな?大きな胸元を着物から覗かせてるけど、それ以上に体躯がおっきい。しかし雰囲気は温和そうで、頭の猫耳をピコピコさせながら笑顔を見せていた。
「あらぁ、タマが帰ってくるなんてあたしゃ嬉しいわ。ねぇねぇ、どういう風の吹き回し?」
「別に都合のいい隠れ家だし、また利用させて貰うわ。それよりさ、ここをラーメン屋にでもするつもり?」
「だってあんちゃん達、お金以上に遊んじゃったんですもの。じゃあしゃあなしですわぁ。体で払って貰うしかないです。でも威勢のいい接客は意外と好評よ?」
「はっはっ。女将さんは変わらず、変なモノ好きだ。」
タマさんとクニークルスさんは大きい女将さんと親しげに話し込む。
「ラフィ、紹介するわよ。このヒトはミケ、この泡屋敷の女将なの。当面はここで世話になるから挨拶しておきなさい。」
尻尾で背中を押されたボクは大きなミケさんを見上げる。真下から見ると大きなお胸で顔が良く見えないな。ええと。ひょこひょこと顔を伺おうと身を揺らすボクは、急にミケさんの大きな手で抱き上げられてしまった。わぷっ?!お胸に挟まれる!恥ずかしいですって!!
「あらまぁ。随分可愛い坊やだこと。それにぃ、うふふ。この感じ。癒されるわ。話で聞いてた通り、ギフテッドって不思議なモンだねぇ。」
「あの、よろしくお願いします。」
抱えられたお陰で顔の距離が近く、目を合わせて挨拶出来たけど顔が熱い。ミケさんは妖艶な雰囲気の顔立ちで、何歳かは分からないけどタマさんよりちょっと歳上ってくらいに見える。年季を感じさせる口調と裏腹に見た目は若々しかった。
「坊やみたいな可愛い子だったら幾らでも面倒見るよ。」
ミケさんはクスリと笑うとボクを更に深く抱きしめ、耳元に息を吹きかけてきた。からかわれてるけど、それ以上に気になる感覚を感じていた。ミケさんの体の内側に感じる何か固く重いものが凝り固まったような、そんな感覚。もしかして。
「ミケさん、疲れてますか?」
「あらぁ。そりゃこんな大きなお屋敷を管理してるもの。疲れもするわ。」
「だったら。少しでも癒せるよう、もっとくっ付いてます。」
外側に向けていた体重をミケさんに寄せて‥‥のしっ、と体を預けた。すると少しだけ目を見開いたミケさんは嬉しげにボクの体を揺らしてくる。
「タマ、この子貰っていい?こんな良い子、タマには勿体ないわよ。」
「はいはい、でもラフィは不良娘なアタシが好きだからね。」
すす、好きって。‥‥好きだけど。でも急に変な事言っちゃダメです。
その後ボクはミケさんに抱かれながらもあちこち案内して回られた。ボクとタマさんとブランさんは同室、他の面々はそれぞれ個室をあてがわれた。上階の部屋はそもそもあんまり使われて無かったらしい。
「この色街も栄えた分、新しく出来た泡屋敷に嬢ちゃん達が何人か移ってねぇ。ま、今は嬢の数より部屋数の方が多いんさ。」
そう言いながらも時折ミケさんは、ボクの頭を撫でるついでに胸元にぐいっと顔を埋めさせてくる。ふんわりとお肌からも甘い匂いがして、ついボクもなされるがままに甘えてしまった。
「ラフィ様、あまり気を許し過ぎてはいけません。獣尾族は発情すると軽度の依存性のある、オスを誘惑するフェロモン臭を放ちます。まぁ、ラフィ様が依存性に惑わされる事は有り得ませんが。胸に甘えるのなら当機で十分ですので。」
ブランさんの恥ずかしい発言に照れたボクは、ジトッとした視線で見返す。
「そうさね。あたしの匂いをこんなに嗅いで平静を保ってるなんて、ほんまに効かないのかねぇ。」
そう言って後ろを歩くイトウさんを振り返れば、イトウさんの眼鏡がほんのりと割れてヒビが入っていた。平静を保つのに苦労しているらしい。
「あたしの香りは強力でねぇ。普通のオスが嗅げば1発ヤらずにはいられなくなるんさ。お陰で嬢として活躍してた頃は凄かったんだから。」
どうして効かないんだろう?まだ子供だからだよね。
「やっぱり。」
タマさんの若干の落胆の混じった声。思えば寝る時とかすっごい抱きしめられて、甘い匂いに包まれて寝る事が多かった。依存性‥‥ボクをどうするつもりだったのかな?むーっとした顔で見やるボクからタマさんは目を背けた。
上階の部屋に着くと、一先ず今後の予定をって事で一旦話し合いになった。
「まず前提として、アングルスに居る限りタマ生命はアタシらに手出し出来ないわ。」
アングルスは昔から二つの大きなマフィア組織が牛耳る街だった。亜人種を中心としたマフィア『アゴーニ』、開拓者崩れのならず者が集まって出来たマフィア『ロスト・コンパス』。どっちも表向きは不動産屋って事になってるけど、街の全ての土地を押さえ合って日々争っている。そんな街だからこそタマシティの企業の介入を固く拒む。今までこの街を経済圏に加えようと、数多の企業が乗り込んできたけど結局根付いた企業はいなかった。
「この前もどっかの大手飲食チェーン店が土地を買いに来たものの、出来上がったお店から従業員が軒並み追い出されてさ。店の設備を奪われて大赤字を出して泣き寝入りしたって話。用心棒に雇った開拓者がハナからロスト・コンパスとグルだったなんてね。勿論司法に訴えてもここは法の届かない未踏地の先。ニホンコクに属さない治外街。賠償なんて追求しようが無いわ。」
うわぁ。酷い話だな。
「何が言いたいかっていうとこの街はタマ生命と言えど簡単には入り込めない魔境であると同時に、何かあっても自分の尻は自分で拭くしかない弱肉強食の地って事。この街の司法に期待なんてしないでね。」
ボクも気を付けなきゃ。
「ブランさん、頼りにしますから。」
「ラフィ様は何もご心配なさらず。こんな最果ての地の木端風情が当機に敵う道理は御座いませんので。」
キリッとした顔で口の悪いブランさんは何故かタマさんを見やった。タマさんもジトっとした目で見返すも、何も言わずに話を進める。
「で、アタシ達のする事は魔王とタマ生命の繋がりの証拠を記録した羅針盤を届ける事。試験のデータはもう送信したから、今は羅針盤を無理にタマシティへ届ける必要は無いわ。」
「タマ生命の抱えるダンジョンに突撃するのも、結局はある程度熱りが冷めて警戒が緩むのを待ってから。具体的には1年後の彩色祭の日が狙い目ね。」
彩色祭。それはタマ生命主催の都市を上げた大規模なお祭りだ。確かにそのタイミングなら幾らかはお抱えダンジョンから注意の目が逸れるかもしれない。今年も都市内でテロが発生し掛けたんだし、企業のメンツにかけて防ぐだろうな。しかも来年は50周年という節目だから。街の中に警備の目が釘付けになると思う。
「それまで各自、準備を整えて待機って事で。あと、この街で過ごすんなら何か仕事に就いておきなさい。金だけ持って毎日遊び歩いてると余計な揉め事に巻き込まれるわよ。」
じゃあ解散!というタマさんの声でその場はお開きとなり、各々の部屋に戻ったのだった。
ー胡蝶之夢屋敷ー
色街で最もでかい泡屋敷。その名は周辺の治外街だけでなく、タマシティにすら届く程の有名店。ここに通いたいから開拓者を目指した、なんて話がある程度には。逆に嬢の中には怪物との銃撃戦より楽だから、と言う理由で在籍する開拓者も居た。
ある活動家が言った。
「彼女達は体を売りたくて売っているのでは無い!経済的弱者である彼女達に救いの手を!利用する全ての男性は性暴力で告発されるべきだ!アングルスに企業を誘致し雇用先を増やそう!」
散々ハムハムで暴れた活動家が企業のお仲間と一緒に現地入りして半日後。その消息を絶った。
ニホンコクの論理はここでは盾にも刃にもならない。そして世間から認知される程にアングルスの色街はか弱くなかった。余計なお世話の代償は高くついたと言う。




