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3、奮戦する下着泥棒、そして迫る壁

エステルは“ある目標”を持って開拓者組合の戸を叩いた。ランク上げに腐心し、昼夜問わず未踏地を駆け抜けていた。組合から依頼される怪物退治、ダンジョンの探索、挙句には賞金首を追いかけ回す日々。その背中には“タマの鬼娘”の異名が付けられていた。しかし、それはエステルが特別強かったからではない。目標を達する事に執着する、憎悪すら感じられるその視線はまさに鬼のそれであったからだ。


そんなエステルの人生に転機が訪れた。


開拓者組合、タマシティ本部に転属してきた本部長が一人の子供を連れて来ていた。小さく吹けば折れてしまいそうなか弱い体の子供は、エステルの目に怯え本部長を盾代わりに隠れていた。


「君がエステルか。ふむ、噂通り随分な殺気だな。そんなに権力者が憎いのか?」


エステルはその時何を叫んだかすでに覚えていない。ただ、その厳格そうな視線が気に入らなかった。何故その厳格な視線が自分に向けられているのか。その視線を向ける先はもっと他にあるはずなのに。エステルの錆びていてなお硬い、鉄筋すら破断させる大鉈は唸りを上げた。


気付けばエステルは壁を背に体を投げ出し、折れた鉈を握ったまま本部長を見上げていた。背広にシワ一つ無いままの本部長は静かに切り出す。


「君の事は調べが付いている。異界化事件の生き残りだね?これまでの君の行動から事件をどう解釈したか分かっているつもりだ。まずは話をしようじゃないか。」


本部長の口調は何処か憐れむような、そんな感じのものだった。


──ラフィとの出会いがエステルを変えた。


「どうかこの子を守ってやってくれないか。それが君の為にも、この子の為にもなるだろう。近いうちに近くの孤児院にこの子は入る。」


「長期間の依頼になるだろうが、どうか君に羅針盤の導きがあらんことを願う。」


今となっては依頼の事などどうでもよかった。既に羅針盤は手元になく、それでもラフィとその故郷となった孤児院を守る事に道を見出した。エステルはラフィのギフテッドに救われたのだ。


ラフィを守る為に連れ立っていれば、身を合わせなくてもその影響を徐々に受ける。権力者に向ける憎しみで荒んだ心は少しずつ解され、保護対象でしかなかったラフィに自然と好意を抱くようになっていったのだ。


その好意が歳の差を考えない、少々過激なものであるかもしれないが。天使のように可愛いラフィはエステルにとって何よりも大事なものだった。


勿論、件の事件を忘れたわけでは無い。だが、ラフィとの時間を疎かにしてまで真相を追う気持ちも小さくなっていた。そもそも真相なんてあるのかも不明だが。結局は権力者の利権の歪み合いが生んだ悲劇なのだろう。復讐する相手は既に裁かれこの世に居ないのかもしれない。




エステルは目の前で抵抗を試みる下着泥棒に、油断なく使い込まれた木刀を構えて対峙する。クラスD規格の質量兵器、「おしゃれ生活・木刀型」。物々しさを放たず、私生活のインテリア・装飾品に馴染む「快・活・堂」製。その名前から誤解されがちなものの、デザインと実用性のバランスの良い護身用の武器として人気を誇る製品だ。


下着泥棒はぱっと見無精髭を生やした、うだつの上がらない中年男の開拓者のような装いをしている。片手に握られた短いヒートナイフの刃渡りは僅かに歪み、周辺の空気を揺らす高温を放っていた。改造して出力を弄れば一瞬だけなら10m程の間合いに届く可能性がある。無論、そんな使い方をしたら即座に破損するだろうが油断は出来ない。


逃げ場のない電車内での対峙を恐れた下着泥棒は電車の上に跳躍し、発車寸前に続いたエステルが後を追う。空中での一合で互いに実力差を見切っている。捨て身の突貫か、このまま間合いを保って電車が都市圏を出る僅かな間に一か八か未踏地へ飛び込むか。

上にヒトを乗せたまま電車が長距離を走るとは思えない。発射直前に飛び乗ったせいで発見が遅れたものの、速度は少しずつ落ちて行っていた。


無言なまま、エステルは摺り足で間合いを少しずつ詰めていた。


「──っ!!」


緊張感がギリギリまで達した瞬間、エステルはその場で電車を蹴って音によるフェイントを掛ける。一瞬遅れて木刀が突き出されるも、見た目以上に機敏に反応した男はまぐれかどうか胴への木刀の直撃を避け、左腕の肘から先を失っただけで済んだ。


(強化外装のメンテもやってないの?クラスD程度の質量兵器一発でバリア装甲が砕けるなんて。)


やはり元とはいえ開拓者か。駆け出しの低ランクと言えど咄嗟の危険に対応する経験だけは幾度か積んでいたようだった。強化外装に仕込まれた痛覚遮断のマギアーツが作動しショック状態を避け、出力を上げたヒートナイフの熱で無理やり血を焼き止める、更には木刀に突き飛ばされた勢いをも利用し、きりもみながら電車から飛び降りようと試みていた。


速度を下げつつも電車は橋梁の上、真下を通る車道で車を奪えばワンチャン逃げ伸びる事が出来るかもしれない。きりもみながらも男は僅かに差した希望に口角を上げ、暫時の間に車の品定めのために頭をフル回転させていた。


だから、真横から高速で迫る子供を背負った影に気づく事は出来なかった。





橋梁の上の電車に向けてタマさんが飛び出した事に気付いたボクは、ぴゃあぁっ?!と奇声を上げることしか出来なかった。タマさんの進路上には同タイミングで突き落とされた下着泥棒。ぶ、ぶつかる!


「ほら、落とし物よ!」


ローラースケートを履いたタマさんの蹴りが泥棒の腰を蹴り上げる。一瞬骨が折れるようなすっごく嫌な感触が伝わってきて、息を呑む間に走る電車の上に着地していた。意識のなさそうな泥棒はぐったりして電車の上で伸び、首根っこを掴んだエステルさんに引き摺られて近くのビルの屋上に飛び降りた。


後を追ったボク達は完全に無反応な泥棒を見下ろす。


「あの。死んじゃったのでしょうか?下着を盗んだだけで、その。」


怯えたボクの声にエステルさんは真剣な顔で見下ろしたまま。


「こんくらいじゃ開拓者は死なないの。ええと、開拓者は皆組合の決まりで生命保険に加入するのよ。事前に病院に体組織のサンプルを送っておけば、こういう機会に破損した部分を取り替えられるの。」


タマさんもボクを背負ったまま説明を引き継ぐ。


「あと、頭に生命維持のマギアーツが自動発動する小型の魔具を埋め込むからね。脳が無事なら暫くは持つわよ。どっちかというと気を失ったフリをして隙を伺ってる可能性を警戒した方がいいわね。」


えええっ?!まだ動くかもしれないんですか?!か、開拓者って怖い。


「開拓者に限らず危険な仕事をする奴は大抵こういう保険に入ってるわよ。そんな人外を見るような目をしないでったら。」


タマさんの尻尾が横腹を突いてくる。くすぐったいよ、や、やめてってば。


その時だった。


後ろから急に襟首を摘まれたボクの体は一瞬宙に浮き、タマさんを離れた直後にがっしりとした腕に抱かれてしまう。驚いて見上げれば直立した壁に抱えられていた。いや、壁のような背広姿の初老の大男。逞しい腕の上にお尻を乗っける形でボクは抱えられている。


あれ?このヒト、どこかで見たような。


ボクが疑問を口にするのと、タマさんが動いたのは同時だった。


タマさんの姿が一瞬ブレたと思った瞬間には、耳鳴りがする程の激しい衝撃音が街に響く。僅かに体を押しやられた大男の掌に、タマさんの蹴りが突き刺さっていた。


少しだけ目を見開いた大男は無言のまま殺気を滲ませ始める。でも、それ以上に静かに立ち込めたタマさんの殺気にボクは身震いして固まってしまった。


しかし間に一本の木刀が差し込まれ、エステルさんがボクをパパッと奪い取って抱き上げた。


「ダンガン本部長。なんでこんな所に居るのよ。開拓者組合は暇なの?」


「・・・久しぶりに会ったというのに随分な言い草だな、エステルよ。ラフィを見知らぬ開拓者が背負っていた。念の為に守るべきだろう。」


そんな二人のやり取りに気が抜けた風なタマさんは殺気を萎ませ、尻尾でダンガンさんを指して抗議する。


「見知らぬって何よ。一応アンタの所にも顔出したし、アンタの所の依頼も受けたでしょうが。」


ダンガンさんが懐から羅針盤を取り出してタマさんに翳すと、少し驚いた声で。


「今の蹴りを放つ奴がランク25?・・・ほぅ、随分怪しい経歴じゃないか。僅か3年でランク20を超えるなど、一体どんな形で組合に貢献したんだ?」


「羅針盤の針が示す通りよ。大規模ダンジョンの探索で一山当てて、成り上がった口。」


「どうだか。」


「羅針盤が嘘を吐くっての?」


「羅針盤は開拓者の経歴と身分を示す証であると同時に、開拓者の行動を余さず記録する。ダンジョンの奥地で怪物を倒し治安に貢献した経歴が無駄にならない分、未踏地での開拓者の犯罪行為も暴く。羅針盤の信憑性が開拓者組合を支えていると言っても過言ではない。」


毅然とした態度でそこまで言ったダンガンさんは、タマさんを睨んだ。


「だが、俺は一つだけ妙な可能性を疑っていてな。すまないな。長年本部長をやってるとどうも疑り深くなる。」


何も言わぬタマさんはダンガンさんを睨んだまま、機嫌悪そうに尻尾を振った。


「はいはい、そこまで。ラフィが怖がってるでしょ。一応そいつはラフィが懐いてるから最低限人間性は保証されてるわよ。私は信じないけど!」


「そうか、ならいい。」


気配もなくタマさんが伸ばした尻尾がエステルさんの後頭部を引っ叩き、察したダンガンさんがボクをエステルさんから遠ざけると同時に二人が叩き合いになってしまう。


「てか、結局要件はそれだけ?!」


エステルさんに尻尾を掴まれながらも、頭を足蹴にするタマさんの声にダンガンさんは呆れて首を振った。


「俺の管轄でお前らは暴れすぎだ。そのこそ泥の確保なら、タマがやればもっとスマートに出来ただろう?くだらない意地の張り合いのせいで通報が何件も上がっている。駆動魔具の類いを使用するならビルの壁面、魔具路を使用するのは常識だぞ?田舎街だから歩道を走っても良いと思ったか?」


ふと見れば、止まった電車が動き出した所だった。上に乗っちゃったから沢山のヒトに迷惑を掛けちゃったみたい。ダンガンさんが怒るのも仕方なかった。


「最寄りは‥タマ南郊外支部まで同行願おうか。事情聴取と行こう。」


冷淡な口調の中にほのかに怒りを滲ませるダンガンさんに、二人は大人しくついていく事にしたのだった。


二人が本部長室でこってり絞られている間、隣の待合室のソファー上で足を揺らして待っていた。清涼飲料水を扱う自販機の低音が室内の空気を僅かに震わせている。特にやる事もなく、2mはある観葉植物を眺め回していた時の事だった。


靴音の方を向けば、若干着崩したレディースーツに身を包んだ一人のお姉さんが部屋を覗き込んでいた。白髪(しらが)というより染めた感じの綺麗な白髪(はくはつ)が目元を隠し、表情を作る唯一のパーツである口元がふにふにと笑っている。


ボクと視線が合わさると少しだけ空いたドアが静かに閉まり、なのにいつの間にお姉さんはソファーの後ろに音も無く移動している。


「メリーさん、お久しぶりです。」


「久しぶりスね〜、ほらほら、癒してくれるスか?出張で大変だったんスよ?」


そう言ってソファー越しに後ろから抱いてくるのは、ちょくちょく孤児院に顔を出していた組合警察のメリーさん。警察って言ってもよく孤児院にやって来てはボクを弄り回し、エステルさんに追い立てられて消えたと思ったらまた現れて。掴みどころのない不思議なヒト。


「ラフィ助の可愛さはほんっと癒しスね。この後お姉さんと何処かお食事デートでもどうスか?行くッスよね?興味津々ッスよね?」


「すいません、今日はエステルさんとタマさんを待ってるんです。」


「ハッ、エステル嬢は放っておきましょうよ。どうせまたやらかして朝まで──って、タマさんって誰スか。」


「紹介したいって思ってたんです。」


そう言うボクの前でちょちょい、と手元の羅針盤を弄るメリーさん。羅針盤の針が本部長室の方を指し、すぐに情報を集めてしまう。


「獣尾族ッスか。この辺りじゃ珍しいスね。でも大丈夫ッスか?獣尾族ってあんまいい噂の無い奴らッスよ?」


メリーさんが言うには大都市の治安の悪いエリアに燻る彼らは、身体能力が高いものの粗雑で単純な物事の解決方法を好むらしい。多くが無法のスラムで育ち、犯罪行為に忌避感のない文化を持ち、大抵男はギャングに女は情婦になって暮らしていく。


いつも飄々とした風なメリーさんにしては珍しく、どこかウンザリした顔をしていた。


「ウチの仕事は開拓者組合の警察、泣く子も黙る“背広組”ッスよ?今回の出張も開拓者崩れとつるんだ獣尾族のギャングの拠点のお掃除だったんスよ。共同作戦とか言って結局背広組に突入班を丸投げしやがって。」


愚痴るメリーさんは更に癒しを求めたのか、ひょいとボクの隣にお尻を置いて膝上に抱き上げてきた。ちょっと汗臭いスーツの匂いを覆い隠す、香水の香りにドキッとしてしまう。だけどこれだけは言っておきたくて。


「タマさんはきっとそういう感じじゃ無いです。出会ったばっかりだけど、優しくて良いヒトなんですよ?あと、ボクを開拓者に誘ってくれたんですから。」


「ふーん。開拓者になるんスか?心配ッスねぇ。」


さりげなく服の下に手を差し入れようとするメリーさんとソファーの上で揉み合ってると、いつの間に話を終えたタマさん達にジト目で見られている事に気付いた。


ひゃっ?!め、メリーさん!そろそろ離して下さい!


恥ずかしくてピャーっ!と慌てればメリーさんの肩にエステルさんの木刀が(かざ)されて。


「いつの間に帰ってたのよ、変態セクハラスーツ。」


「出張帰りの楽しみを満喫してるだけッス。ラフィ助もウチみたいな綺麗なお姉さんとイチャイチャできてwin-winッス。」


エステルさんが木刀を握る手に力を入れ始めたその時、後ろからメリーさんの襟首を摘み上げたダンガンさんが簡単に体を持ち上げてしまう。


「あぐっ?!締まる!締まってるッス?!下ろして!」


みっともなくジタバタするメリーさんは無言のままのダンガンさんに連れられて本部長室に消えていったのだった。


その後、二人に連れられて外食でお夕飯を済ます事になった。孤児院のお夕食の時間はもう終わってるみたいだし、事の次第を報告したエステルさんは上機嫌にボクの腕を抱いて歩いていた。


昼間に随分騒がせた街は既に日常に戻っていて、ネオンの光が駅前通りを照らしている。通りの両側には様々なお店がビルを埋め、色とりどりの看板を煌めかせていた。


ハンバーガーを中心とした“マック &ドナルド”。ジューシーなフライドチキンが売りの“タッキーチキン”。ニホンコク古来から伝わる伝統料理、ワショクの専門店“オードヤ”まである。ふーん、ハヤシライスがおすすめなんだ。


そんな中二人が足を止めたのはまさかの居酒屋。


「まぁまぁ、お鍋が美味しいから。」


「そうよ。ラフィも一杯どお?」


「飲みませんから!」


・・・ですが、お鍋は美味しかったです。柑橘の風味のするさっぱりした味わいでした。

ー用語解説(本編でも後々に解説入ります)ー

・クラスD規格の質量兵器

実体を持つ質量にものを言わせて殴る事に特化したメジャーな武器類。D〜Aまであるものの、個人携行が現実的に可能なのはBまで。A規格は大規模な軍事作戦で使用される事が多い。

そしてDクラスでも軽めな分取り回しやすく、直撃すれば破壊力も十分。規格が低い=弱いでは無い。


・強化外装

開拓者に限らず危険の伴う職業、暗殺を警戒する上流層等幅広く着られる身体強化スーツ。

身体能力を出力規格相応に上昇させ、全身をバリア装甲で守る。

デザインはカジュアルなパーカーから、気品あるドレスまで日常に溶け込むおしゃれなものが多い。強化外装のデザインのキャラ性で売っていく開拓者も少なくなかった。

こちらも出力規格がD〜Aまであるが、一般にはB以上が着られることはない。A規格は工場、流通業、工事現場等で幅広く使われるパワードアーマーである。

一般的には規格が上な程強力。ただBクラスを超えると出力が高過ぎて、強化外装自体を大型化・重量化しないと出力に振り回されて身動きも取れなくなってしまう。規格SSSクラスの強化外装を着て無双する小説が失笑された下りは未だ擦られており、ネット民の語り草となっていた。

銃撃戦がメインのこの世界に於いて、ずんぐり体型の出力お化けな強化外装が言うほど役に立つだろうか?速度は駆動魔具に依存、言うまでもなく出力と防御性能は比例せず。即ちただの的である。

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