2、開拓者に憧れる少年のパンツは汚いおっさんの手のひらの中へ
夕焼けの中孤児院へ戻ったボクを待っていたのはサラ先生のカミナリだった。あちゃー、って顔のタマさんの前でボクは縮こまってお叱りに晒される。顔のシワを一層深くし、目を吊り上げる先生はまるで鬼のよう。
「ほんっとにラフィは勝手に未踏地に出歩いて!自分の身も守れない子供が踏み行っていい場所ではないのですよ!今回はたまたま開拓者の方に救助して頂いたから良かったものの、もしかしたら死んでしまっていたかもしれないのです!」
「は、はいっ!ごめんなさい!」
「ラフィは本当にやんちゃで、先生も、みんなも心配していたんですからね。お夕食の準備の時間になっても戻って来ないし、最後に目撃されたのが未踏地のフェンスの方だし、フェンスの穴の近くにあなたの大事にしてた羅針盤が落ちてるし・・・はぁぁ。もう。開拓者組合に緊急の救助依頼を飛ばす所でした。」
あれっ?!いつの間に落としてたの?!
先生の手に握られた、ブリキの破片を組み合わせて作った丸い円盤。ボクは慌てて受け取って傷が無いか確認する。開拓者に憧れるあまり頑張って作った手作りの羅針盤・・・のようなもの。用務員のお爺さんに色々分けて貰ったんだ。
「拾ってくれてありがとうございます!」
「タマさんも今回は大変お世話になりました。もうホント、なんとお礼を言ったらいいか。」
「アハハ、気にしないでいいわよ。あ、それとなんだけどぉ。・・・ラフィと一緒に開拓者やりたいから連れてったりは──」
急にサラ先生のシワが更に一層深くなり、一瞬空気が凍りついたような気配にタマさんは声を詰まらせる。
「何か?」
「えっ?!だからさ、ええと。ラフィは開拓者に憧れてるんだし、アタシが師匠になって──」
「まだラフィは10歳ですよ?」
「規則的に問題は──」
無言で笑みを深めるサラ先生に、タマさんの助けを求める視線がボクに向く。
「サラ先生っ!あのっ!」
「ラフィ。一晩頭を冷やしてもう一度よく考えなさい。別にあなたの夢を否定するつもりは無いわ。でもね。あなたはまだ10歳なのよ。それでもどうしてもっていうんならエステルちゃんを頼りなさい。成人の時までちゃんと色々教えてくれるはずよ。」
ボクの困った視線と、タマさんのぐぬぬな視線がぶつかり合う。あれっ?もしかしてエステルさんって開拓者だったの?そんなタイミングで勢いよくドアを開けてエステルさんが飛び込んできた。
「話は聞かせて貰ったわよ!そういう事なら私を頼りなさい!」
靡く金のポニーテールを揺らして登場したエステルさんは、驚くボクをお構いなしに抱き上げて見つめてくる。そしていつの間にボクの首に掛かっていた黒い尻尾に怪訝な顔を。と、勢いよく揺れた尻尾がエステルさんのおでこを突き、
「おぅふ?!」
一瞬宙を浮いたボクは瞬く間にタマさんの腕の中に収まってしまった。
「何をするのよ?!」
「いきなり抱き上げたら驚かせちゃうでしょ。てかアタシが先に予約したんだけど。」
「予約って何よ。ラフィの事は私が一番知ってるんだから。」
「アタシのランクは25よ。20歳で25。ふふん、結構凄いのよ?」
タマさんが羅針盤を見せつければ、エステルさんも得意げに。
「私も17の頃にはランク21だったし?ま、もうしがない警備員だけどラフィの成長を見守ってきた実績があるから。」
二人に挟まれて困り顔のボクを見たサラ先生はため息をこぼした。
「ラフィ。どうするかは自分で決めなさい。でもね。これは大事な事よ。開拓者を目指すんなら自分の道は自分で決めなきゃダメなの。今答えを出す必要は無いわ。暫くよく考えなさい。悩みなさい。勿論相談には幾らでも乗ってあげる。ラフィの進路の事だもの。どんな選択をしても私はあなたの味方よ。」
サラ先生の目はいつになく優しげだった。胸の内が熱くなる感じがした。
その日は一旦解散となり、タマさんを強引に孤児院から追い出したエステルさんに部屋に連れ込まれていた。孤児院の警備員として暮らすエステルさんは院内に自室があり、泊まり込みで働いていた。
「だってラフィが変なお姉さんにかどわかされないよう見守ってないと!」
という事らしい。この辺りの治安は悪くなく、町内会の人達とも仲良くしているけど時折怪しい流れ者がやってくる。今まで孤児院に忍び込もうとした不審者を数度、エステルさんが簡単に倒して都市警察に突き出していた。町内会では鬼のエステル嬢なんておじさん達に呼ばれて恐れられていたっけ。
でもエステルさんが元開拓者だったなんて初めて知った。羅針盤は持ってないの?
座るように促されたベットの上で期待した視線を送る寝巻き姿のボクに、オフィスチェアの背もたれを抱いて対面するエステルさんは苦笑して首を振った。
「開拓者を辞めた時に組合に返却したわ。でもね、行き先を見失ったから辞めたんじゃないのよ?むしろ必要無くなったから羅針盤を手放したの。」
孤児院の警備員をするのが将来の夢だったのかな?いつもお世話になっているエステルさんには感謝しているけど、何だか腑に落ちない感じがしていた。そんなボクにエステルさんは笑いかけ、開拓者だった頃の昔話をしてくれた。
エステルさんの昔話を聞いているうちに消灯時間になり、ごく自然な流れでエステルさんはそのままベットに横になるよう言ってくる。寝巻きに付いた犬耳フードの下から覗くボクの前で、肌着になったエステルさんがからかうようにウインクを送ってきた。
普段警備員のビシッとした制服を着ているせいで、女の人らしい柔らかな見た目にドキリと変な気分になる。フードの下に視線を隠したボクの顔を覗き込むエステルさんは、わざと胸元を寄せて目前に近づけてきて。
「あっ!あの!寝ましょう!」
慌ててボクはベットに横になり、エステルさんに背を向けた。
「今日はラフィと一緒♪」
髪を下ろしたエステルさんが手早くボクの隣に入り込み、そのまま一緒のベットで寝たのだった。
翌朝。
「さて、今日の授業は魔具使用の練習となります。ラフィさん、先ずは魔具の基礎を説明して下さい。」
サラ先生に促され、教科書を持って席を立つ。
「魔具とはマギアーツを組み込んだ道具であり、マギアーツを発動するのに使います。一部の危険な魔具の取り扱いには免許が必要になります。」
「はい、よく出来ました。では後ろの席の人、その下の文を読み上げなさい。」
「古来の魔法では魔法陣と古代語の詠唱が発動に必要でしたが、マギアーツはそれらを簡略化し、“漢字”を用いた演算式によって発動します。」
「はい、よく出来ました。昔ニホンコクの持ち込んだ“ニホン語”、とりわけ漢字は極めて高い魔法媒介の適性を持っていました。古代語を漢字に置き換える事により簡易かつより効率の良い発動が可能になった訳なのです。さあ、復習はこれくらいにして。実習と行きましょう。」
既に手元に用意された簡単な魔具を見下ろす。透明な流体状の皮膜に覆われた四角い魔具。早速手を翳して起動を念じてみた。脳波とリンクし、ほんの僅か頭の片隅が熱くなるのを感じながら目を閉じる。意識を集中させれば思考の何処かで“発”、“転”、と一文字の漢字がゆっくりと流れていくのが分かる。目を開ければ流体の中で四角形が回り出していた。
「このように、魔具を起動するだけなら誰でも出来ます。古来の魔法は才能を必要としましたが、魔具の扱いに必要なのは正しい知識と習熟です。勿論、高度な魔具の操作にはより多くの演算を要求されますが。その場合は外付けの演算補助装置を使うのが一般的です。」
意図的に頭の中で“転”、“転”、“転”、と漢字を思い浮かべていけばそれだけ回転が早くなっていく。
“止”
程々のところでボクは回転を止め、魔具を下ろした。前に調子に乗って思いっきり回転させたら壊れちゃった事があって。サラ先生にまた怒られないようにしないと。
孤児院教室での授業が終わり、お昼の準備を始めていた頃事件が起こった。教科書を机にしまうボクの首筋をふわりと柔らかい感触が撫で、振り向いた先でタマさんが笑っている。
「お昼なんだけどさ、どうせなら外に食べに行かない?奢るわよそんくらい。」
「何言ってるのよ!ラフィを養うのは私だから!」
同時に教室のドアが開き、エステルさんが圧を飛ばす。外食と聞いて心が傾いていたボクは圧から逃れるようタマさんに身を寄せた。
「タマさん、食べに行きましょう。」
だって外食なんて久しぶりなんだもん!ここでエステルさんに付いて行くといつも通り手料理を振る舞われると思うし。エステルさんの手料理は美味しいけど、馴染みの味より外食の味!久しぶりにジャンクフードとか、なんかそういうの食べたいな。
「そ、そんな・・・!」
項垂れるエステルさんの肩を、教室に駆け込んできた用務員のお爺さんが慌ただしく叩いた。
「エステルさん!久しぶりに事件だ!洗濯物が盗まれたんだ!」
『ええっ?!』
教室にいたみんなが声を上げた。
その場で事情を話すお爺さんに真剣な表情になったエステルさんが現場検証のために動き出す。本来都市警察に通報する流れだけど、防壁外で起きた簡単な窃盗程度じゃ重い腰を上げる気配が無い。
タマシティの都市警察はすっごい評判が悪いって、エステルさんもよく愚痴を言っていた。被害届は出せても捜査する素振りも見せないんだって。だからこその自力救済。それに‥‥犯人が未踏地へ逃げちゃったら多分捕まらないだろうし。
どうやら孤児達の下着が盗まれたって話だけど、ボクのも盗まれちゃったみたい。うう、何だか変な気分だよ。
「ねぇ、ラフィは取り返したい?」
ふと後ろからボクを抱いたまま聞いてくるタマさんに、ボクは頷き返した。
「じゃあエステルに付いて行きましょ。こういう捜査はアタシ向けだけど、お手並み拝見させて貰おうかしら。大丈夫、エステルの奴がしくじってもアタシがコソ泥くらい捕まえるから。」
そう言うタマさんは何だか頼もしくて。ボクは背中を押されるように現場まで連れて行かれた。
建物の日当たりのいい屋上に干された洗濯物が風に揺れている。下着以外の洗濯物に被害は無く、汚れひとつない状態で干されていた。
「建物の屋上に気付かれず行けるとなると、まぁ外からかしら。ドアは鍵が掛かってたし、ちょっと見た感じじゃピッキングした痕跡もなかったし。というか分かってたけど物理錠なのね。」
ボクにだけ聞こえる声で呟くタマさんに、背中を抱かれたまま驚いて見上げれば丁度目が合う。調べたって言うけど普通にドア前を通って屋上に向かっただけだよね?足を止めてもいなかったと思うんだけど。
「通りすがりに解析しただけよ。ふふん、こんなの誰でも出来るって。」
得意げなタマさんの尻尾に頬を突かれる間、軽く現場を見回ったエステルさんが直ぐに検証を終えて説明する、
「侵入は間違いなく外から。内部を不審者が通ったんなら私が感知出来ないなんてそうそう無いわ。強い衝撃で着地した跡がある以上、下の地面からひとっ飛びで来た感じかしら。多分開拓者崩れの変態、この高さで僅かに体幹を崩した感じの足跡だったからせいぜいランク5前後の駆け出し。合ってるかしら?」
説明を素知らぬ顔で聞いていたタマさんは片耳をピクリと動かして続きを催促した。
「で、何処に向かったの?」
「壁の中に続く駅に向かったでしょうね。ま、足跡を追跡すれば直ぐに追いつくわよ。」
それだけ言うとエステルさんは軽くジャンプしてそのまま屋上から姿を消す。タマさんに抱えられたまま見下ろせば既に敷地の外に飛び出して行っていた。
「行っちゃった。これが開拓者なんだ、凄いなぁ。」
「じゃあその開拓者の力をもっと真近で見ましょうか。どうせ駅前にお昼食べに行くつもりだったし、ついでに下着を取り返しましょ。」
パパッとボクを背負ったタマさんは、ボクが何か言う前に孤児院の屋上から飛び出した!
えっ?!ひゃ、ひゃあああっ?!
殆ど衝撃のない猫のような静かな着地の後、タマさんの体は宙に浮いたまま加速してエステルさんの後を追いかける。いつの間に出現した宙に浮かぶ1枚のボードに乗っかっているみたい。凄いっ!これも魔具ですか?!殆ど揺れない!空を飛んでる!
「はいはい、触りたいんなら後でねー。アンタとくっ付いてるとこれの調子もバツグンね。うりゃっ。」
急に視点がその場で縦に一回転!不思議な事に天地逆さまになっても重力の方向は変わらずに、下に落ちる感じもしない。だけど、きり揉むように縦横に回転しながら宙を駆けるのは怖いっ!
鼻歌混じりにタマさんがボードを蹴り飛ばせばボク達の体が宙に残ったまま、ボードだけ勢いよくスピンしながら頭上に消えた。おちっ!おちっ?!落ちるぅっ?!
急に消えた安定感に平衡感覚が警笛を鳴らし、思わずタマさんの背中に夢中でしがみつく。だけど着地の衝撃もないまま、いつの間にタマさんの足元にボードが戻っていた。
「・・・タマさん。」
「ちょっと遊んだっていいじゃない。アタシに付いてくる以上、こういう乗り物には慣れて貰うわよ?」
「・・・善処します。」
タマさんの曲乗りに振り回されている間に、いつの間に駅周辺の景色が見えてきていた。バスで行く時よりずっと早い!あっという間に着いちゃった。というより、ダッシュで同じくらいの速さを出せるエステルさんって何者なんだろう。
目前に視線を移せば真っ赤な壁のホログラムが行き先を塞いでいた。
『警告』この先の空域は都市圏航空法により侵入禁止空域となっています。直ちに降下して下さい。
壁を前にタマさんはスレスレでボードを何処かにしまって地面に着地、と思いきやそのまま速度を落とさず地面をスライドしていく。足元に目をやるとローラースケートみたいな靴に履き替えていた。
「この速度で人混みに入るのは危険ですって!」
「ゆっくり歩いてたら逃げられちゃうでしょ?ほら、風を楽しみなさい!」
既に道路の両脇を5階建てくらいのビル群が間隔を開けて立ち並び、何処を見ても常に5人以上のヒトが視界に映るほどの人混みが歩道を埋めている。幾らタマさんでもこんな大勢のヒトの間を縫って移動するのは──
突然の大きい跳躍に驚いていると、天地が90度傾き重力の影響を無視したかのような動きでビルの側面を走っていた。道ゆくヒト達はボク達に驚きギョッとして誰もが足を止める。
「駅はこの通り真っ直ぐ1km圏内。ありゃ、到着時間ギリギリに電車が一本来ちゃうわね。」
速度が上がり、飛び出した先の信号機に片足を引っ掛けて一回転!勢いを付けたまま山なりに吹っ飛べば丁度エステルさんの隣に着地した。
「犯人の顔よ。」
人相の悪い男の顔がホロウインドウに表示される。
「何で知ってんのよ?」
「孤児院近くの街頭カメラに映った不審者の顔よ。」
「はぁっ?!それってまさかカメラから情報ぶっこ抜いたの?公共設備をハッキングとか簡単に出来るわけ・・・!」
「はいはい、アタシは天才ハッカーだから出来んのよ。後ろから見てるからせいぜい頑張りなさい。」
悪い顔で笑うタマさんを胡散臭いものを見る目で睨むエステルさん。思えばエステルさんは犯人の顔を知らないで追いかけ始めたんだよね。前にも似たような事があって未踏地の方に追いかけて行った時も普通に捕まえてきたから気にも留めたことがなかった。
だけどそんな疑問は直ぐに解決する。
尋常じゃない気配で猛スピードで駆け抜けるエステルさんに、道ゆく人々は慌てて道を開ける。そしてその先にいた、追いかけられる事情を抱えた一人の男が血相を変えて駆け出した。あれじゃ私が犯人ですって言ってるようなものだけど。そもそも自分の顔とか証拠が何処から漏れるか分からない不安を抱えてるだろうし、そんな状況で追手を前にシラをきってやり過ごす選択を取るには相当な胆力がいると思う。
それともエステルさんは下着の追跡が出来るよう何か仕込んでいたりとか‥‥ないよね?
ガラの悪そうな男は車のようなスピードでぐんぐん速度を上げて駅のゲートを通過する。エステルさんも後を追って通過し、タマさんは後を追わずに急に回れ右して駅から離れてしまった。
「どうしたんですか?!」
「焦らないでいいわよ。っと。」
目指す先は屋台型の自動販売機。機械の駆動音と僅かな揺れの後、誰もいないカウンター席にチキンを巻いた2つのツイスターが提供される。即調理な屋台の予約注文なんて奇特な事を一体誰が?
突然無人のまま動き出した自販機に興味を持った衆人が目を向け、起動したスマイルのカメラの視線が集中し‥‥シャッター音が鳴る直前に駆け抜けた一陣の風がツイスターを持ち去ってしまった。
「ほら、食べときなさい。」
タマさんに投げ渡されたツイスターにモソモソと齧り付く。食べてる場合じゃないけど、そろそろ空腹が限界に達していたから。出来立てのあったかな味わいに目を輝かせるボクは、ツイスターを咥えたタマさんが駅から出発した電車に向けて飛び出していた事に気づく由もなかった。
ー用語解説(作中内で後々解説が入りますが先んじて)ー
・魔具路‥魔具を使用しての移動は、都市交通法により整備されたビルの壁面を使用する。緊急時又は都市運営委員会が使用を認めた際以外、魔具路がある場所では歩道や車道での魔具移動は禁止とされている。
・スマイル‥ 携帯端末業界で覇権を取った「ルック。」シリーズ、“スマート・インビジブル・ルック”
小さな装飾又は、脳内に埋め込んで使える超小型デバイス。ホログラムな画面、ホロウインドウを宙に投影し完全脳波制御で楽々操作。勿論ホロウインドウは通常他のヒトには見えず覗き見をシャットアウト。
羅針盤と連携する業務用開拓者アプリは開拓者達の必須アプリ