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163、上流階級のお嬢様の手は血に濡れず、姿の無い怪物がその影に潜む

クシロは逃げていた。何処へ?何処か遠くへ。行ってどうする?この場をやり過ごす。逃げ場は無い。帰る場所も無い。ゲイボルグと上流層を繋ぐ太いパイプを破断させてしまった。仮にここを逃れても死に場所が変わるだけ。


何故こうなった?


ラフィが怪物だったから。


そう、怪物。


あどけない気配を纏うあの少年は、知っていたデータとは大きな齟齬を持つ力を発揮した。隠していたというより成長したというべきか。あの力の本質までは知らないし、クシロの知る情報もメディアに露出した部分だけだった。


大所帯と言っても一介の傭兵風情がシブサワPMC旅団大隊が秘匿したラフィの根源的な情報に迫れる訳がなく、その成長性を理解していなかった。動画で見た情報だと特に小さく数の多い分身体には大した戦闘能力は無く、警戒すべきは一回り小さい精鋭の分身体のみ。


まさかタマシティ防衛戦で手を抜いていたとは、ラフィの人柄から考えてあり得ない。幾ら警戒すべき要素は多くとも、数の暴力で押し切れば問題ない筈だった。


純粋な実力が拮抗すると見定めたセツナを億もの金を出して雇ったのだから。


セツナの応答途絶、増援部隊の大半が沈黙。女王の間も制圧されてしまった。女王の間にこの世界への招待口がある以上、そこを押さえられるとこれ以上の増援も望めなかった。


「あああ、クソクソクソ!!!何でだ?!ヒトの面して怪物が紛れてるなんて聞いてねぇぞチクショウ!!」


急に回廊がぐぐっと伸びた。大きくうねり、奇想芸術的な絵画の回廊へ閉じ込められた感覚に陥る。思わずふらついて見上げれば、フィクサーが楽しげな笑みを浮かべ、飾られた鎧の上に座っていた。


「にゃはははは、何処に行くんですか?」


「テメェ!!クソコンサルタントが!ラフィの事聞いてた話と違うじゃねぇか!」


思わず銃を向けるも、フィクサーの姿がいつの間に真横へ移動していた。指先で銃身を突かれただけで、激しい衝撃を受けて壊されてしまう。


「んなっ?!」


「悪魔にこんなオモチャが通用するとでも?まぁまぁワタシだってラフィさまの事は知らなかったんです。お陰で面白いものを見れて大満足ですよ!」


笑うフィクサーに躍りかかるも簡単にいなされ掴む事も出来ない。


「面白いものを見せてあげましょう。」


急にフィクサーの星形の瞳がクシロを覗き込んだ。


───揺れるタクポの中、顔も忘れていた両親がクシロを前に座っていた。対面するクシロは幼く、足が床に付かない。


『ハルノブ‥いい?新しいお家にもう直ぐ着くから。じっとしてなさい。』


忘れていた親から貰った素朴な名前に、ハルノブは反応する。窓の外は夕陽が差した下層の街並みが続いていて、時折り他のタクポが横切るのが見えた。


『パパとママも一緒だよね?』


『‥ごめんなさい。』


驚いて見た両親の顔は暗くて良く見えない。母の声は悲しげだった。


『私達はね。もうお金が無くて住めないの。この街はお金が払えないヒトは皆、別の街へお引越ししなきゃダメなの。』


急に体温が上がった感覚に慌てて反論する。


『じゃあ付いてく!』


今度は父が首を振った。


『私達じゃ養えないんだ。私達も街を出たらスラムで過ごす。多分長生きは出来ないかもしれないが、お前まで巻き込めない。いいか?お金の問題は大人が背負うものなんだ。』


拒絶されたように感じた。両親はハルノブを置いて何処か知らない場所へ行ってしまう。でもそんな現実に争う力も無いし、どうすれば良いのかも分からない。誰にも相談すら出来なかった。


『何で!僕は良いから!置いてかないでよ!』


両親は押し黙る。いつの間にか座席に座るハルノブは等身大のクシロに成長していた。ボロボロの強化外装から血が流れ座席を濡らす。壊れた銃を掴んだまま歯軋りしていた。


「何なんだよ!金がねぇって!諦めんなよ!仕事を選ばなけりゃ幾らでも稼げるだろうが!いい水商売を紹介してやる!親父もゲイボルグに来いよ!面倒見てやるから!」


両親は何も言わない。クシロは激昂した。


「俺を置いて行くんじゃねぇよ!!ヤマノテに産み逃げか?!孤児院に突っ込んで善人のツラすんのか?!体を売れ!内臓を売れ!努力しろよ!!逃げんじゃねぇ!!」


ふと車内に啜り泣く声を聞いた。顔の見えなかった両親は、ただ泣き顔を見せていた。思い出す。クシロの最後に見た両親の情けない泣き顔を。だから忘れていた。被害者のように振る舞い、子供に最後に見せる顔も繕えず、絶望するクシロを置いてタクポの中へ消えて行くあの瞬間。消えない怒りをクシロの心へ刻み込んだ。


金、金、金。


何故クシロは人道を踏み外してまで金に執着していたのか。それは‥


「金がねぇから俺を置いて行くんだろ?金なら俺が用意する。ヤマノテシティは必ずまたこの街へ帰って来るんだ。そん時まで待ってろ。家の一つぐらい用意してやるよ。」


不甲斐ない両親への怒りと混ざり合って、かつて抱いた願望を忘れていた。捨てられた子供の最後の親孝行のつもりが、いつの間にか復讐心へとすり替わっていた。


思春期の多感さ、金の匂いがする裏社会への誘惑、クシロの境遇に同情する仲間達。両親を嘲る声にクシロも同調していった。


いつの間にかタクポの中にクシロは一人で座っていた。向かいにフィクサーが座る。


「もうあの街は通り過ぎちまった。忘れてる間によ。」


「そうですね!とうの昔に。ぶっちゃけヤマノテ落ちした貧民がスラムに行っても、大半は5年もしないうちに───」


「分かってら。もう死んでるだろうな。都市の壁の中どころか、治外街のスラムだぞ?平和ボケした都市人が生きていける環境じゃねぇよ。」


経済的な困窮だけを根拠に子供を孤児院に突っ込む事は出来ない。一時的に預ける代わりに、過酷な仕事を斡旋され強引に短期間で資金を集めさせられる。下層区の工場から流れる廃液で汚れた下水の管理、長期間契約の治験‥ヤマノテに踏み止まれず子供を捨て治外街に逃げる貧民は少なくなかった。


ヤマノテシティにいる限り‥大半の都市にいる限り労働の義務から逃れる術は無かった。体が欠けていれば治した後に労働で対価を払わされ、精神が傷付いていても肉体を活かした仕事が斡旋される。企業が支配する世界は余りにも合理性極まっていた。


「‥クソ食らえだ。金、金、金。幾らあっても親孝行の一つももう出来ねぇ。金が無けりゃ人権も無いってか?イカれてやがる。だから手の届かねぇ所まで逃げんだよクソが。」


「どうです?もう生きるのは嫌になりましたか?」


いつの間にタクポ内は闇に染まり、フィクサーの悪魔の目が爛々としていた。弱った魂を前に悪魔が舌舐めずりをする。


「‥ここの世界は俺の心情を映した世界って所か。死にたいんなら楽に消えられる都合の良い世界だろ?」


「はいはい、そうです。どうせこのままでもアナタはロクな死に方しないでしょう。ゲイボルグに捕まって嬲り殺しにされるか、ノクターンにゴミみたいに消されるか、ラフィさまの英雄譚の餌にされるか。」


フィクサーの可愛くも怪しい顔がクシロを覗き込んだ。


「ワタシは魂を頂けて満足、アナタは楽に消えれて満足。悪い取り引きじゃ無いでしょう?最期に要望があるなら聞いても良いです。例えば、もしアナタのご両親が生きていたら何か言伝でも。それかアナタの口座から資金援助でも?」


ピタリ。フィクサーの額にクシロの銃口があてがわれた。ここはクシロの精神世界。銃は新品のように直っていた。


「ヒトを舐めてんじゃねぇぞ、悪魔が。」


フィクサーの頭部が吹き飛ぶ瞬間、元の廊下へ放り出されていた。首の無いフィクサーは戯けたように手を叩き、よろめいて消失する。


ゲイボルグの隊長として、ケジメから逃れるつもりは無かった。混乱した頭を整理して、今一度この状況へ向き合う覚悟が出来たのだった。


その目前、チズルが立ち塞がった。


「よくもやってくれたな。」


「結局お前も生き残ったんじゃ、俺の計画は全部パァって訳かよ。」


「最低なクソ野郎が。思い知れ。」


その手にはりんごの詰まった籠が携えられ、無造作に放り投げられた。


ムカつくおっさん共は全部りんごにしてやりましょ。でも、チズルのお友達って言うのなら良いわ。戻してあげる。


クシロの目前、傭兵達がその姿を現した。


「んなっ?!」


ただでやられまいと警戒するも、振りかぶった銃床がクシロの不意を突いて体中を殴打する。アリスのリンゴの事をクシロは知らなかった。体を引っ掴かまれ怒りのままに激しい暴行を加えられた。


「りんごの姿になっても全部見えてたみたいだな。女王の間にこの籠そのままあったろ?ウチの部下達だよ。仲間が殺されてんだ。ケジメつけねぇとな。」


りんご状態の説明をここに来る前にアリスから聞いていた。特殊な変形のマギアーツはヒトを小人化し、意識そのままにりんごのカプセルに閉じ込めてしまう。小人状態の維持には、このプライベートルームに追加された非公式MODが大きく関わる。外でも使えたら便利だが、と考えるもそんな万能な力では無かった。


(動物に変身して楽しもう!ってノリのマギアーツを弄って悪用できるようにしたやつだったか。この空間内に刻まれたマギアーツとセット運用が前提じゃ使えんな。)


天下のおもちゃの殿堂、ギャラクシー・トイズが富裕層向けに売り出した最新技術の結晶なだけはある。摩訶不思議なマギアーツはその正体を掴ませない。


クシロは声も出せず、壊れかけていた強化外装を破壊されてしまった。見るも無惨なボロ雑巾となったクシロをチズルは見下ろす。


「ゲイボルグもおしまいかもな。テメェが欲をかいたせいで何もかもぶち壊しだ。ウチを売ろうだなんて胸糞悪い。」


「5億だぞ?5億‥安いがそれでもそろそろ必要だったんだよ。ラフィが居なけりゃ‥」


薄笑いを浮かべたクシロが、押さえつけられながら首を上げる。チズルの袖下から覗いた銃口がクシロの頭を吹き飛ばした。


「運も実力の内ってね。」


傭兵流のケジメを付けた。別に組合警察なりに引き渡して裁いてもらおうだなんて心掛けは無い。寧ろチズルに関して余計なお喋りをされると厄介だった。チズルだって清く正しい傭兵稼業をしていた訳じゃない。


(はぁー、これからどうすっかな?ゲイボルグに戻る訳にもいかねぇし。独立すっか?)


これからの事を考えると憂鬱。ダルいと思いながらもその場を去った。





女王の間、アリスは血に濡れた玉座を前にしていた。


この全ての発端は私の我儘。仕事ばっかりの父に振り向いて欲しくて、チズルの甘言に乗せられてこの世界に引き篭もってしまった。


結果この世界を心の無い大人達が良いように利用しようとして、戦争が起き大勢が死んだ。死んだのは腐った傭兵共。ただ、胸が重い。


この世界はアリスにとって心休まらない自宅の中で、唯一の完全なプライベート空間だった。


ヒトの死も、何もかもアリスは理解していなかった。勢い任せに戦争を始めた。でも、間近で恐怖に逃げ惑い死に抗う人々を見た。大事にしてきた街は破壊され、大好きだった住人達も壊れてしまった。


玉座を撫でるアリスの手に血が付かない。戦闘モードを入れっぱなしになった強化外装のバリア装甲が血を弾く。その手は血の滑りを知らない。傭兵に仕事を出し死地へ向かわせつつも、住む世界の違う上流層は知る事も知る気も無かった。


「なによ、これ。‥ッ!なんなのよ!!」


思わず玉座を殴り付け、簡単に崩壊させてしまった。


「嫌っ!なんでこんな!!血だらけで‥!あああっ!」


玉座を壊し、窓際の机を蹴り上げ、未だ転がったままの頭と目が合う。目は虚ろ。鼻と耳から血が垂れ、頭部が。死んでいる。


ここへ子供狩りを見にきた上流層の誰かの首は、その目だけで恨み辛みをアリスにぶつけているように見えた。


この世界を取り戻す為、仕方のない戦いだったのは分かっている。銃に対して銃で応戦した結果。話し合いに応じる相手じゃ無かったし、負けてたらアリスもどうなってたか分からない。だからこそ、その目に憎悪を抱いた。


「勝手に襲ってきて!!死んだら被害者って?!このっ!!!」


チズルに渡されていた護身用の銃を収納から引き抜く。引き金に指掛け───


その指をそっと細い指先が引き留めた。


「止めないでくれるっ?!」


ラフィの姿を見てハッとする。明らかに強化外装がボロボロになっていて、姿は戻りつつも血の匂いが染み付いていた。ラフィの顔には血の跡が沢山残っていて、


なのにアリスへ寂しそうに笑顔を送る。


「いいんです。もう、終わりました。」


ふわりと展開したエンジェルウイングがアリスを包み込んだ。銃を握る手が震え、取り落とし、思わずラフィにしがみ付く。


「何でこうなったのよ?!お父さんに遊んで欲しかっただけなのに!!少し引き篭もっただけなのに!!やだやだやだ!!!」


女王の間の惨状はアリスの想像をずっと超えていた。ヒトが死ぬ所を何度も見た。ドラマや映画で観るのとは全く違う。その表情は時に呆気なく、時に恐怖に引き攣り、全てを諦めて目を瞑る顔もあった。


ラフィが大勢殺した。でもラフィにそう願ったのはアリス自身。繋がれたR.A.F.I.S.S越しになんとなく、ラフィの心が冷たくなっているのを感じた。言葉に出来ないけど、ラフィの心の奥底にはとんでもない業が渦巻いていて。だけどアリスに励ますように笑顔を向けていた。


「貴方は‥何で。どうして笑っていられるの?」


「アリスさんが悲しいからです。あっためて励ますボクが泣いてちゃダメなんです。」


「私のせいなの?」


「アリスさんのせいじゃないです。誰のせい‥なのかな。」


巨額の金が動く子供狩りに上流層が食指を動かし、ゲイボルグがアリスを嵌める。そのアリスを助ける為に大金で依頼を受けたラフィ達がやって来る。


でも金のせいというのはどうなのだろうか。金は道具であって意思はない。ただ、積まれた金は多くのヒトを動かす魔力を帯びる。電子の通貨は血で汚れず、口座に入ってしまえば見分けは付かない。


口座の数字の多寡の為に散った命は数知れず。ホロウインドウに投影された巨額を示す数字は、身じろぎ一つでヒトを殺める。まさに怪物だった。


「‥ごめんなさい。ごめんなさい。」


アリスはラフィの羽の中で静かに泣き出した。エンジェルウイングの温もりが、その癒しがひび割れたアリスの心を繋ぎ止める。砕けて二度とヒトと関われない心になってしまわぬよう、最大限放出された癒しの波動がアリスと世界を覆っていく。


城下町、黒パーカーに戻ったタマはクニークルスと一緒にキラキラ輝き始めた空を見上げていた。


「今回はヤバかったね。まさかゲイボルグとの大戦争になるとは。」


「でも生き残った。それで十分よ。」


二人の前に血で全身が汚れたブランが姿を現した。バリア装甲を多少破損させながらも、問題無しといった風にしている。


「ラフィ様は只今アリス嬢のメンタルケアに勤しんでおりますので、当面は邪魔せぬようにお願い致します。タマ、これも仕事ですから我慢出来ますよね?」


心配そうに覗き込むブランをタマは睨む。


「オイ、何よその子供を諭す態度は。アンタを蹴倒すくらい出来るんだからね?」


「かかって来いこのヤロで御座い───」


一瞬足を燕尾服に部分装着したタマの紅い蹴りがブランを宙に吹き飛ばした。ファイティングポーズを構えたまま宙を舞うブランは、


(肉体言語で語れるぐらい余裕あるのなら大丈夫そうですね。)


なんて考え、そのまま近くの家の屋根に突き刺さったのだった。


女王の間にて、チズルは呆れた顔で二人を見た。


「おーい、いつまで抱き合ってんだよ‥」


「しーっ。です。アリスさんは寝てしまいましたので、ベッドまで運んで行きます。」


壊れたお城のアリスの居住区。アリスの足跡の痕跡から割り出した部屋へ真っ直ぐ向かい、豪華なベッドが壊れていない事に安堵しつつも横にする。その傍ら座ったまま、ラフィは起きるまで布団代わりに羽で覆っていたのだった。



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