10、火焔独楽は黒猫と踊る
地に斃れた無数の怪物の死骸は時間と共に色褪せ消えていく。伸ばしても届かなかった食指を引っ込めるよう、ダンジョンに向けて淡い光が還っていくのだ。光を追って駆け抜けるラクゥは、木の上を飛び回るタマを横目に見ていた。
(まさかこんなにやる奴だとはねぇ。これがラフィがあそこまで信頼を寄せる開拓者かい。)
別に妬みを持った訳では無い。ラクゥはそんな気持ちを抱えてジトジトしてる暇があったら、少しでも強くなれるよう前へ突っ走った方がいいと考えるタイプだった。しかしラクゥはタマに警戒心を抱いていた。
光の帯の終着点、そこは既に埋まった洞穴の跡地だった。そこで何か激しい戦いがあったようで、周囲に木々はへし折れ見晴らしが良くなっている。洞穴も爆発に巻き込まれて塞がったのだろうか。少なくとも、もう怪物共が這い出てくる気配は無かった。
ダンジョンがこうやって外へ穴を伸ばした場合、細長い通路を維持せずに放棄する傾向が非常に強かった。怪物の群れを生み出すのにも多大なリソースが要る。それで空振った場所に未練がましく通路を残すような非合理的な事はしない。どこのダンジョンかは知らないが、次は別の場所を狙うだろう。
「あー、終わったわね。じゃ、撤収。」
木の上から飛び降りて辺りを軽く調べたタマが踵を返す。しかし、その足はピタリと止まった。背中越しに後ろを睨みつけ、機嫌悪そうに尻尾を振る。
「何の真似よ?」
タマの背後、ラクゥは手に持った一振りのヒートブレードの剣先を向けていた。
「昔から決まってランク不相応の実力を持つ奴は相応の事情を抱えてるもんさ。アタイは村の戦士としてガキの頃から育てられ、亜人開拓者としてやってくために泥を啜ってきたからよ。アンタは?」
「何でそんな事聞くのよ?素性の探り合いはロクな結果にならないって社会勉強足りてないんじゃないの?」
「い〜や、訊くね。惚れた男のためさ。」
相応の事情というのは裏社会との繋がりを指す意味合いを多分に含んでいる。勿論ラクゥのように真っ当に強くなってから開拓者を志す者も居るが。何らかの理由で立場を追われた裏社会の人間が、羅針盤の庇護を求めて開拓者になる事は珍しくない。羅針盤があればその行動が逐一記録される都合上、非常に手を出し辛くなるからだ。
その逆としてあえて開拓者になる事で後ろめたい事情の隠れ蓑にする事もある。極論羅針盤を家にでも置いて行動すれば開拓者ながらに犯罪に加担する事も可能だ。組合の規則に開拓者たるもの羅針盤を手放すべからずとあるが、ごく短時間ならバレない可能性が高い。
羅針盤にトイレや情事の内容まで詳細に記録される事に、抗議の声が長年上がり続けた結果だった。
また荒事に多く関わる開拓者にとって一時的な羅針盤の紛失というのは珍しく無く、組合もそこまでしつこく事情を探らない。表向き清く正しい開拓者組合として振る舞っておきながら、結局武器を携えた荒くれを完全に統率するのは現実的ではないという話だ。
厳しすぎる規制の強化は事態のアングラ化を生み、緩すぎる規則は腐敗を呼び寄せる。組合は腐敗した膿を適宜排出する事を選んだ。
不審な開拓者を調査し逮捕する権限を持った組合警察が、膿を摘出する荒治療を請け負っていた。
ラクゥは後者を疑っていた。タマは羅針盤を隠れ蓑に何か裏で犯罪に加担しているかもしれない。
ラクゥが思うに開拓者というのは未踏地に跋扈する怪物と戦う事を前提に武器を選び、戦術を練る。対怪物のエキスパートである事を目指すものだ。
開拓者はわざわざ対人戦の訓練を積まない。羅針盤の加護がある限り未踏地での開拓者同士の諍いで殺し合いに発展する事は極めて稀だからだ。仕掛けるまでの経緯、どちらが先に仕掛けたか。そういう情報は関わった双方の羅針盤にしっかり記録される。勿論悪質な追い剥ぎなどすれば除籍処分を受けた後、直ぐに刑罰に処されるのは当然だ。
高ランクになれば経験則である程度の対人戦スキルを持っていても不思議でないが、ランク30にも届かぬ開拓者が対人戦を修めている可能性は低い。ただ、開拓者と戦う事を前提に訓練を積んだ者なら。
裏社会の人間と呼ぶ根拠としては弱いが、適当に暴れて素直に吐けばOK。対人戦に特化した武装を引き摺り出せればもう少しマシな根拠になる。自衛のために対人戦に特化した武器を持つ事は珍しく無いが、ランク不相応な武器を幾つも持ち歩いていれば怪しいというもの。特に高品質な強化外装を貫ける程の武器なら尚更だ。
‥‥田舎のタマシティに於いては依頼が無いが、対人スキルを求められる開拓者の依頼も都心部には多くある。
実際には開拓者と傭兵の武力衝突を前提とした企業戦争絡みの依頼や、未踏地内での紛争依頼等‥‥偶発的な殺人が法によって免責されるような依頼も存在するが。タマシティ近郊から出た経験の無いラクゥの知識に無かった。
(もしタマがそういう素性なら強化外装越しに殺害出来るような武器を、少なくとも5、6種は隠し持っているハズ。アタイ相手に武器を温存して立ち回れるか?)
亜人という理由で裏社会の人間によくちょっかいを出されたラクゥの勘がタマを黒と訝しむ。もし違ったらいい実践訓練になったとでも言って、慰謝料を兼ねて増額した報酬を出せば黙るだろうというしたたかな考えもあった。
「ラフィはギフテッド持ちだろ?アタイも感じたよ。あの力は相当な価値があるだろうね。そんな価値を持つ世間知らずの坊やの隣に怪しい開拓者。一戦手合わせして試したいんさ。」
「試す?何をよ?」
「羅針盤の目を逃れる一部の開拓者が、ギフテッド持ちの子を攫って企業に売り払おうって───」
一瞬、風を感じたラクゥは本能に従って反射的に頭を逸らす。青い軌跡を残してタマの脚が首を掠って突き抜けていた。ブレードランナーの車輪は、青く光る光学の刃を纏っていた。
「いきなり頭狙いかい!黒って見ていいんだよね?!」
「好きにしなさい。」
折角縮まった近接格闘戦の距離を離させる気はない。ラクゥは身に纏う強化外装に装着されたヒートブレードを起動した。腕、脚、背中から生えたヒートブレードが赤熱し、身を離そうと大きく木の枝めがけて跳躍したタマへ飛び掛かる。
不安定な大きな枝の上、パーカーのポケットに両手を突っ込んだままのタマを踊るような紅い軌跡が追従する。タマが首を傾げた直ぐ隣を熱風が通り抜け、半歩後ずさった胴の位置を熱線が半月に切り結んだ。ずっと後退を続けるタマからは殺気を感じるものの反撃の素振りを見せない。
(反撃する余裕はない?いや、違うな。向こうは一撃で決めるつもりで様子を伺っている。足捌きといい、無駄の無い身こなしといい、相当な手練れだね。)
対人戦に対しても卓越した実力を持つ強敵と、ラクゥはタマを最大限警戒する。何を仕掛けてくるか?怪しいのはポケットに突っ込んだままの両手か。出てくるのは銃?それとも暗器の類い?こちらも強化外装のI.C.S.Sで動体視力を大幅に強化している。十分見切れるはずだ。
(何を隠してようがこのまま一気に押し込む!)
足に装着したブーツ型の駆動魔具を駆動させ一気に加速、燃える独楽のような動きで斬撃を浴びせかけた。触れれば巨体の怪物と言えどチーズのようにスライスする。例え熱耐性のある強化外装を着込んでいたとしても、実体のあるブレードで瞬く間にバリア装甲を削り切る必殺の刃。
同時にタマも動いた。
半歩前に出てポケットから両手を引き抜き、しかし無手。強化された動体視力でハッキリとその手に何も装着していない事を確認する。ならば足か。加速したブレードランナーが青い軌跡を描いて、回し蹴りの要領で放たれる。一切踏み込みの無い一撃は、例え動体視力を強化していても反応すら難しいだろう。
だが、ラクゥはいざという時の為のマギアーツを発動し凌いだ。それは指向性の衝撃を発生させる衝撃のマギアーツ。咄嗟の演算によって自身の肩を衝撃で突き飛ばし、無理のある姿勢で大きく仰け反り、鼻先を掠めて青い軌跡が弧を描いていく。
直後に背中に再び衝撃のマギアーツを発動し、勢いを付けて復帰。そのまま赤熱の刃を、まだ回し蹴りの体勢のままのタマへと突き出した。地に片足だけ付け踏ん張りの効かない体勢には隙がある。
(勝っ──!)
一瞬ラクゥの脳裏に疑問が浮かぶ。回し蹴りの体勢から立て直していないタマは、そのままその場で一回転しようと腰を捻っている事実。しかし既に攻勢のために飛び出したラクゥが、本能的に飛び下がる時間は残されていなかった。
ラクゥは始めから一つの攻撃手段を警戒していた。対人戦の経験を積んだ者が時折切り札として隠し持つマギアーツ。
“抜刀術”、“居合斬り”との名称で呼ばれるそれは文字通り鞘から刀身を抜く際に、瞬間的に加速のマギアーツを幾十にも重ね掛けする事によって瞬時に抜刀する奥義である。その速度は動体視力を相当強化していたとしてもまともに捉える事はできず、切られて初めて気付く程のものだ。
しかし欠点もある。速い代わりに途中の軌道変更は不可能な事、必ず発動直前に姿勢を安定させる構えがある事。発動時に移動を絡めて間合いを詰めたりするものの、結局直線的な範囲でしか攻撃できない事。攻撃時に極めて大きい演算負荷が掛かる都合上、攻撃中•直後はバリア装甲が薄くなる事。
つまりハイリスク、ハイリターンな一発勝負のマギアーツであり、これを近接格闘戦に絡められる時点でその道の達人だと言う事だった。
ポケットに隠された両手に居合斬りの可能性を警戒していた。ポケット内に鞘の固定された刀身が仕込まれていれば、片手でも居合斬りは放てる。しかし両手は無手。居合斬りはブラフ、本命はブレードランナーだと一瞬の隙を突くために即座に判断し行動に出てしまった。
獣尾族には尻尾がある。しかし普通の獣尾族にとって尻尾は感情によって反射的に動くものだ。一部の獣尾族は尻尾を第三の手の様に操れるというが、せいぜい日常生活で使う程度が一般的。尻尾による居合斬りの可能性は、そもそも最初からラクゥの思考に含まれていなかった。
気付いた時には一瞬の黒い軌跡が通り過ぎ、ヒートブレードを握ったままの両手が宙を舞う。更に居合斬りの勢いさえも利用してその場でもう一回転。二度目のブレードランナーによる回し蹴りがラクゥの両足を切断し、ラクゥの体はそのまま地面へ落下していった。
全身を覆うバリア装甲に対し、居合切りはごく狭い範囲に衝撃を集中させる事によって斬り割る事が出来る。そして一度破れたバリア装甲は復帰するまでの間非常に脆くなった。ブレードランナーの回し蹴りであっさり斬り飛ばされてしまうくらいに。
信じられない、と大きく目を見開いた落ちていくラクゥとタマの視線が合う。
「アンタも十分強いわよ。」
タマはそう呟いた。多くの訓練と修羅場を潜ったラクゥだったが、僅かな経験不足知識不足が敗北に直結した結果となったのだった。
地に伏すラクゥを降りて来たタマが見下ろす。既に四股の出血は強化外装によって止められ、意識も覚醒した状態で見上げていた。その表情はスッキリしたような晴れた顔で。
「アンタは結局何者だい?アタイが接近戦で負けたのは初めてだよ!相当やるねぇ!」
「‥‥ラフィの味方とだけ言っておくわ。アンタが察した通りあんま素行の良い素性じゃなくてね。アタシの事を知りたいんなら、もっと食い下がれるようになりなさい。」
「それと、ヒートブレードなんて安物は止めなさい。半光学兵器とか買う資金くらい貯めれるようになんないと勝負になんないわよ。」
「部落の皆の装備代で金は消えちまったよ。光学兵器なんて当面は手が出ねぇさ。」
口ぶりからすれば軽くあしらわれたって事になる。腕に自信があるラクゥだが、前に立ち塞がった大きな壁に溜息の一つでも漏らしたくなった。しかし、部落の繁栄のためにより強くなる事を決心した。
(思えば大して手の内を引き摺り出せずに瞬殺されたんかい。ああ、情けないね。)
「でさ。」
不意にタマが切り出す。その手には羅針盤が握られていた。
「不幸な誤解があったとは言え、そもそもアタシを侮辱して事の切っ掛けを作ったのはアンタでしょ?開拓者の法によれば“誹謗中傷行為による戦闘事態の誘発”があった場合、先に手を出した側より切っ掛けを作った側の過失の比重が大きくなんのよ。道を拓く開拓者の名誉を不当に穢す行為を組合は禁じてるって事。」
「穏便に手打ちにしたいから、相応の譲歩を期待出来るわよね?それとも背広組の厄介になりたいかしら。下手したら初犯でも半年近く開拓者活動を停止させられるけど。」
勿論部落の為にその選択肢は取れないとタマは分かりきって言っていた。亜人の部落を出て開拓者になる奴の目的は決まって自身の同胞の為。ニホンコク社会における立場の弱い亜人達の結束は固いのだ。
「ハハハ、報酬はちゃんと出すよ。所で出来れば野生動物の餌になる前に手足を回収して欲しいんだが。」
「追加料金。」
「容赦ないね。分かったからお願いするよ。」
ラクゥは首根っこを掴まれ、引き摺られて部落へ向かう。紐で纏められ束ねられた手足を咥えさせられて。慰謝料に入院代、ラクゥにとって大分痛い出費となった。
既に朝日が差し込み、門前の怪我人等は片付けられ戦場は静かになっていた。ボロボロになった門は半開きのまま、防壁も所々穴が空いている。しかし、あれだけの激しい襲撃があったにも関わらず部落は滅んでいなかった。
ラクゥを門番に放り投げたタマは、少し心配した早足で部落の中を見て回る。車の中にラフィの姿が無かった。もしかして怪我でもしたのか。救護棟が何処か探すタマは不思議なものを目にする事になる。
それは広場で行われた祝勝会。ドンチャン騒ぎをするゴブリン達の中心にある上座席にラフィが祭り上げられていた姿だった。




