我らが同胞に乾杯
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──我らが同胞に乾杯
グリゴリ戦線の拠点に到着後、まずシシーリアは幹部たちを集めた。
「今回は暫定的な勝利です。これからの戦局における絶対的な優位となる勝利ではありません。まずはそのことを各自認識してください」
シシーリアは冒頭でそう述べる。
「未だに我々はこれまでゲヘナ軍政府支配地域に対するゲリラ戦の拠点であった緩衝地帯を失ったままです。そして対するゲヘナ軍政府は緩衝地帯への進出を試みています。我々は敵の脅威にさらされているのです」
そう、まだ問題は残っている。緩衝地帯が緩衝地帯ではなくなり、ゲヘナ軍政府支配地域となることでグリゴリ戦線の戦線が後退する恐れは残っているのだ。
「正面から戦えば装備の面においても、練度の面においても我々は敵に劣ります。戦線を作られ、正面から戦うことを強いられることだけは避けなければなりません。そのために必要なのは聖域」
太平洋戦争で各地の諸島で戦った日本軍が全滅したのに対し、同じアメリカ軍を相手にしながらも粘り強いゲリラ戦で戦い抜いた北ベトナム軍の違いはいくつかある。そのひとつは聖域の有無だ。
自分たちよりも強力な敵が攻撃できない聖域の存在はあらゆる面においてゲリラ戦を支える。兵站ルートとしても兵士たちの訓練を行う場所としても、そしてゲリラ戦の拠点としても重要だ。
「私たちにとっての聖域はフォー・ホースメンやソドムの支配地域です。ゲヘナ軍政府そのものは彼らとの交戦を避けています。そして、フォー・ホースメンやソドムにとっても我々グリゴリ戦線の存続と勝利は利益になるものです」
「つまり、その両組織に協力の要請を? 彼らは確かに我々の勝利を自分たちの利益にするでしょうが、本当にゲヘナに暮らす人間たちの尊厳と幸福を重要視しているとは思えません。対価を求められるでしょう」
シシーリアの発言に幹部のひとりがそう反発した。
「多少の対価を渋ることで同胞たちが無駄な犠牲になってもいいとでも? 我々は死や犠牲を恐れませんが、それでも避けられる犠牲は避けるべきであると考えます。冷酷であるのは最後の手段です」
そんな反発に対してシシーリアは淡々と、だが強い意志を示して反論。反発した幹部も人より金の方が大事だとは言えず沈黙した。
「聖域を駆使しつつ、緩衝地帯奪還を目指します。我々がゲヘナ市民の支持を得ていることを利用し、全縦深に及ぶゲリラ戦を実施して敵による戦線構築を阻止することになります。よろしいですね?」
「了解」
「では、一先ずはこの勝利を祝いましょう。決定的な勝利とならずとも勝利は勝利であり、大勢が勝利に貢献しました。素晴らしいことです」
シシーリアはそう言って微笑み、幹部たちを解散させた。
「これからも大変そうですね」
「戦いはこれからですから。まだまだ本当の勝利には遠いのです」
幹部たちが去ってからファティマが労わるように声をかけるとシシーリアが苦い笑みを浮かべてそう返す。
「しかし、今回は素晴らしい勝利でした! 決定的でなくとも忌まわしいクレイモア空中突撃旅団を始めとするゲヘナ軍政府に煮え湯を飲ませてやれました。これによって低下した士気も大きく上がるでしょう」
シシーリアが今回の戦いをそう評価する。
「あなたは本当に強いですね。いえ、あなただけではありませんでした。サマエルさんもまた私たちにとって重要な貢献をなされました。私はあなた方のことをとても高く評価させていただきます」
「それは何よりです。これからもそちらに協力できる限り協力しますよ」
高い評価を告げるシシーリアにファティマも笑みを浮かべて返した。
「これから食事などどうでしょうか? ご馳走いたしますよ」
「お誘いありがとうございます。では、是非とも」
「準備させましょう。客室に案内させますので、そこでお待ちください」
ファティマとサマエルはグリゴリ戦線の兵士──山岳帽を被ったインナーサークル所属の兵士に案内されて客をもてなす部屋として利用されている部屋で待ち、それからシシーリアの個人的な食堂に案内された。
「おや。私たちだけですか?」
てっきりファティマはイズラエルのような幹部も同席するかと思ったが、それなりに整えられた食堂に集まったのはファティマとサマエル、そしてシシーリアだけだ。
インナーサークルの兵士たちは食堂の外で警備を行っている。
「人が多いと面倒ですから。どうぞ、座ってください」
シシーリアは小ぢんまりとしたテーブルを出しており、まるで家族が食卓を囲うようにファティマたちはそのテーブルに集った。
「うちの料理人が腕を振るいましたよ」
料理は簡単なフレンチのコースになっていた。本格的なものではないが、前菜で出たスープや牛のマリネ、肉料理のステーキなどはとても美味しいものである。
「私はあなた方の能力を今回の仕事で拝見させていただきました。将来的にあなた方はゲヘナにおけるキーマンとなるでしょう」
シシーリアが分厚いステーキをナイフとフォークで上品に解体しながら語る。
「ファティマさん。あなたはフォー・ホースメンとソドムとも繋がりがある。そして、彼らもあなたを高く評価している。その上であなたはゲヘナにおける統一勢力を作り、ゲヘナ軍政府、そしてエデン政府の打倒を目指している」
「その通りです。私はそれを成し遂げたいと思っています。グリゴリ戦線としてはどう思われますか?」
「もちろん賛同させていただきます。我々としてもそれは望むことですから。しかし、恐らく統一勢力を作るとしてもその指導者としてあなたを認めるかは揉めるでしょう。それは理解されているかと思いますが」
「そうですね。フォー・ホースメンのバーロウ大佐もソドムのアヤズさんも簡単に自分たちの組織を私には任せないでしょう。そのために仕事を行い、実績を作る必要があると考えています」
シシーリアが指摘したように仮に統一勢力を生み出したとしても、その勢力を誰が指導するかで争いが生じるだろう。組織とはそういうものだ。
ファティマは己の実力を示すことでそれを得ようとしていた。
「私としてはあなたが主導権を握ることに協力する準備があります。その上で指導者同士の友好は重要であると考えます。ただの表向きの友情ではなく、もっと深い関係を構築するのはどうでしょうか?」
「ええっと。それはどういう?」
シシーリアがフォークとナイフを置き、ファティマに微笑みかけるのにファティマが困惑してそう返す。
「私とあなたは同性ですが私は特にそういうことを気にしません。同性同士の恋愛関係を否定する保守的な価値観は旧世界でも時代遅れでしたから。エデン社会主義党は否定しているようですが、ね」
「エデン社会主義党も保守的ですから。まあ、私としてはそういう関係もあると考え否定はしませんが、私自身はその……」
「偏見がないのであれば踏み出すだけですよ。私のことはあまり気にいられませんか? それとも既にパートナーがおありでしょうか?」
「まだそういうことを考えたことがないので。今は何も言えません。あなたのことが嫌いというわけではありませんが、返答は保留させてください」
「ええ。いつでもお返事を待っています。私は待つことには慣れていますから。あなたのことを待っています。では、ひとつ乾杯を」
シシーリアがそう言って炭酸水のグラスを掲げる。
「乾杯」
「乾杯」
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