ジョン・ガーネット中隊長 魂の立ち小便
彼には時間がない。正確には自分を生かすために必要な時間が絶対的に欠けている。
彼の足下には導火線、背後にはそれにつながるダイナマイトが数十秒後の爆発に備えて待機している。導火線の火は今まだ彼がつながれている馬小屋の入り口よりも外にあるが、その火が小屋の中に見えたら、それはものの十数秒で爆弾まで達し、彼の身体をバラバラに噴き飛ばすであろう。
「これは大ピンチである」
ジョン・ガーネットはとりあえず言葉にしてみた。これは彼の癖である。現在の状況を整理し、その深刻度や行動における優先順位を論理立てていく彼なりの方法論であった。しかして『大ピンチ』を口にしたことが自分自身に滑稽さを感じさせ、相対的に自分を俯瞰したことで彼は冷静さを取り戻す。
「私が助かるためには…①爆発する前にこの場所に助けを呼ぶこと、②この捕縛されている縄を解くこと、③この火を消すこと、のいずれかである。ふむ」
ふむとか言ってる場合か。そして導火線の火は今どこにあるのか、まだその火花は見えないが充分な時間があると考えない方が良いだろう。
「残り時間について楽観をしないのであれば、①は除外されるべきであろう。時間は夜の10時を回っており、ここは街から数キロ離れている。さらに付近の道は昼間からさほど人通り、馬車通りの多い道ではないのだ。大声で助けを呼ぶのは無駄であろう。うむむ」
うむむとか言ってる場合ではないが、彼の思考は明晰に進んでいく。それで状況が好転することはもちろんない。では②だ。この縛めを自ら脱する手立てはあるやなしや。彼は自分を捕縛している縄の材質や縛りの固さなどを吟味していく。柱の後ろに両手を縛られ固定されている。指でその結び目をなぞって、ほどける可能性がないか確認していく。
「ふむ、この結び目は固結び三回にリーフノット。自分でほどくことが出来る可能性はほぼ無い。このロープを切ることの出来る道具は近辺に見当たらない。うむむむ」
うむむむじゃねえだろとは思うが、彼はふと馬小屋の扉に眼をやる。白煙が見えたような気がする。意外と火の先端がそこに現れるのは近いようだ。彼の思考は③の火を消す方法に絞られる。
「私の頭に出てくるアイデアはただひとつ、ここで小便をして、足下をビショビショに濡らし火を消し止める、というものである。よく冒険物語でピンチの場面に出てくる解決方法であるが、さて実際にその方法は現実的であるのか。うむむむむ」
うむむむむ、とか馬鹿じゃないのとも考えられるが、いよいよ彼の時間はなくなりつつある。ここで賊に捕縛される前、酒場でビールを飲んできたことを思い出す。ただし、その後小便も済ませてきた。導火線の火を消すほどの量の小便が出るだろうか。彼は知っている。必死になれば必死になるほど小便というものは出にくくなるのだ。あのビールには期待できない。ついに小屋の中に火が入ってきた。バチバチと景気よく導火線をたどってダイナマイトに迫りつつある。
ジョン・ガーネットの思考は停止し、諦めの表情となった。
「残念だ。この町の正義を守ってきた私だがこれで終わりのようだ。心残りは妻ベリンダのことである。彼女にとって私はあまりいい夫ではなかったようだ。無論彼女が大変気が強く、いやむしろ凶暴と言ってもいい性格だったことが原因だが、それでもやはりもっと夫として優しくするべきであったろう。ベリンダのことを考えると胸が張り裂けそうだ。いや吐きそうだ。うむむむむむ」
うむむむむってどっちかというと嫁さんのこと嫌いなんじゃないかとも思えるが、それはともかく、もはや彼の命は風前の灯火と言ってよい。
「許せ。わが妻、ベリンダよ。多くはないが我が財産はすべて君に捧ぐ。ベッドサイドの戸棚には君に隠して貯めていたへそくりがあるが、それも君のものだ。おおおおお」
おおおおお、とかここで遺言を言っても誰も聞いちゃいないのだが、この男意外と馬鹿なのかもしれない。
「それから、お、思い出した。ベッドの下のブロンドカウガール写真、元カノの手紙、ああ、そうだ、バーの女の『今度もよろしく、ベッドで待ってるわ』のメッセージ入りマッチ…などなど。げっ、やばい。あれが見つかったらどうする。どわああああっ」
どわああああっ、ってその場合もう死んでんだからどうでもいいじゃんか、と思うのだがそれでも迫り来るダイナマイトの爆発よりも脳裏に浮かんだ妻ベリンダの悪鬼の如き表情にジョン・ガーネットは心底恐怖した。
「いかん!やばいっ!べ、べ、ベリンダが怖い!怖いよっ!うぎゃあああっ」
翌日ジョン・ガーネットは偶然近くを通りかかった農夫に救出された。ダイナマイトの導火線は彼の足下で大量の小便によってびしょ濡れになり、九死に一生を得たのである。彼はギャングたちの悪辣な企みから危機一髪脱出した?腕利き中隊長として翌日のタブロイド判に紹介され、有名人となる。
だが彼が脱出のため放出した小便の量とその際の思考の流れ、配偶者への恐怖についてはもちろん語られなかったという。
一番の、そして唯一の愛読者である奥さんから「サイテー」と言われました。褒め言葉ではないようです。




