匿名の依頼
◇
ログレッタ王国の国境近く。エキダ公国の辺境地である鬱蒼とした森のなかで、全身を漆黒の外套で包んだ怪しげな男たちが、荒れ果てた小屋を囲んでいた。
小屋とは言うが、もう長らく使われていないだろう廃屋である。
扉の横にぴったりと張り付き息を潜める独眼竜の男──ジルベールは、反対側に控える部下に確認の視線を送った。その眼光は諸刃のように鋭い。
「ここで間違いないな?」
「はい。依頼通りなら、例の子どもはここにいるはずです」
声を潜めて答えた彼は、テオ・レッティーラ。
深みのあるピンクブロンドの髪と、あどけなさを残した端正な顔立ち。低すぎない耳心地のいい声も相まり、一見すると中性的で可愛いらしい印象を抱く。
……が、その深紅の双眸はジルベールに負けず劣らず鋭く眇められていた。
テオの手元には、一枚の依頼書があった。
今回の依頼は〝子どもを匿ってほしい〟というもの。
子どもは身寄りがなく、ワケあって命を狙われているらしい。ゆえに、ほとぼりが冷めるまで預かり危険から守ってはくれまいか──なんていう厄介なものだ。
依頼主は匿名。普段はリスクの高い匿名の依頼など受けないが、今回はタチが悪かった。知らぬ間にこの抽象的な依頼書と報酬金を置いていかれたのだ。
それも恐ろしいほど報酬額が高い。通常の護衛依頼や魔物狩りに比べて、およそ十倍の額。偽の貨幣かと疑い、わざわざ調べたくらいである。
しかしそれはすべて本物で、ジルベール一同はさすがに頭を抱えた。
こんなあからさまな厄介事に喜べるわけもない。
(……心底勘弁してもらいたいんだがな)
見なかったことにして流してしまう手もなかったわけではない。
交渉はしていないし、誓約書のやり取りもないのだから。
だが、内容が内容だった。依頼書の子どもとやらの命がかかっているとなれば、容易く無視もできない。それに、一方的ながら支払われた額からしても、ただの子どもでないことは火を見るよりも明らかだ。
今回この子どもを見殺しにすることで、いずれさらなる面倒ごとの火の粉を撒かれる可能性もある。それを踏まえれば、確認もせず流すのは得策ではなかった。
この仕事で先払いほど厄介なものはないと、ジルベールは痛感した。
(人の気配はしない、か……)
匿う、と不穏な言葉が気になる。
なにに追われているのか知らないが、事情を聞いてから依頼を受けるか否かを決めようと思っていた。受けないなら受けないで、金は使わずに保管しておけばいい。
なにせ、こちらは〝海賊〟だ。
ジルベール率いる〝ユドルの海賊〟は、どこの国にも属さぬ代わりに、各国の政治的な事柄にはいっさい足を突っ込まない盟約下でしか動けない。
ユドルは、この世界では特殊な立ち位置にあるのだ。
戸籍は待たないが、法にも縛られない。国境を越えて活動する権利がある。
盟約に縛られないことならば、なにをするも、どこに行くも自由。こちらの裁量で依頼を受け、好き勝手に生活を送る無法者の集まり──。
というと世界の支配者のように思えるが、実際のところそんなことはない。
雁字搦めの盟約下でできることなど限られているし、結局のところは、各国の都合のいいなんでも屋だ。普段の依頼も、貿易船の護衛や魔物討伐が大半であった。
今回のこれが、やたらとイレギュラーなだけで。