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リュシーの思い


「……いや。小さくなったよ。こんなに痩せて──」


 ラファエルが遠慮がちに手を伸ばし、リュシーの頬をそっとなぞる。

 触れられた嬉しさ余って抱きついてしまいそうだったが、ぐっと耐えた。彼の後ろに控えている側近の鋭い眼差しに、咎められているような気がしたから。


 彼はバチスト・アルバ。王太子殿下付きの側近であり、この国の宰相だ。

 バチストは〝すべての真実を知る者〟ではある。

 それでも彼は表面上、あちら側──王国議会の人間だ。周囲の目を確実に欺くためには、いついかなるときも、そう振舞わなければならない。

 リュシーもまた、その重要性を理解しているからこそ従順であった。

 人の目がある限り、リュシーは必要以上にラファエルに近づいてはならないのだ。


 ──どこに誰の目があるかわからないのです。お気をつけを。


 ──ヘタをすればその場で斬って殺されますからね。


 慈悲はない。しかし、嘘もない。ただの事実だ。

 リュシーという存在は、生まれたときからずっと〝ラファエル・ログレッタの身代わり〟としての価値しか持たない操り人形だった。


「それで、ええと……ラファエル様。今日はどうしてここに?」


 気を取り直して、でき得る限り表情筋を殺しながら尋ねる。


「夕飯を持ってきた」


 えっ、と拍子抜けしたリュシーに、バチストが歩み寄ってくる。


「侍女から預かってきました。時間的には少し早いですが、ついでですので」


 そう語るバチストは、たしかにトレイを持っていた。

 乗っているのは、小さな丸麦パンと具なしのスープ。それはたしかに、いつも城の侍女が交代制で持ってきてくれているものである。


「わ、わざわざですか? そんな、私ごときに殿下のお手を煩わせてしまい……」


「殿下は禁止だって言っただろう? それより、少し奥まで邪魔してもいいか。今日は時間があるから、久しぶりにふたりきりで話したい」


 もちろんです、とリュシーは勢いよく顎を引く。危うく関節が外れるかと思ったけれど、食いつくのも無理はなかった。なにせ、こんな好機は滅多にない。


「バチストは外で待機していてくれ」


「承知しました」


 ラファエルはバチストから食事の乗ったトレイを受け取ると、淡々とした様子で後ろ手に扉を閉めた。

 途端、外から漏れていた灯りが遮断され、室内の明度が落ちる。

 薄暗い室内には、今にも消えそうな淡い火が灯る燭台が一点だけ。凝り固められた土壁が剥き出しで、さながら洞窟と喩えても差し支えない。

 リュシーが三人いても届かない位置に申し訳程度の小窓がひとつあるが、そんな場所でさえ檻のような柵が取り付けられている。

 そう考えると、洞窟というより〝座敷牢〟という喩えの方が正確かもしれなかった。

 実際、ここは本来、終身刑の罪人のために設えられた牢獄であることだし。


「あの、ラファエル様。お身体の調子はいかがでしょうか」


「うん? 見ての通り、問題ないよ」


「そうですか、よかったです。でも、もしもご気分が悪くなったらすぐに仰ってくださいね。ここは、あまり空気がよくありませんので」


 リュシーが幽閉されているのは、ログレッタ城の最北端にある尖塔だ。

 環境的には罪人用の地下牢と同等。埃っぽいし、じめじめとした湿気のせいで嫌な臭いも充満しているだろう。慣れてしまったリュシーはどれもこれも不快感すら感じないけれど、病弱なラファエルには適さないに違いなかった。


「僕によけいな気は遣わなくていいと言っているのに」


「そ、それとこれは話がべつなんです。万が一でも殿下のお身体に支障が出たら大変ですから。陛下も、国民も、みなが悲しみます」


「リュシーも?」


 思いがけぬ返答に、リュシーはぴしりと硬直する。


「リュシーも僕が体調を崩したら、悲しむ?」


「…………」


 咄嗟に、答えられなかった。


(……以前の私なら、きっと悲しむよりも前にほっとしていたでしょうね)


 なにを意図しての質問かはわからない。だが、ラファエルのことだ。きっとすべてお見通しの上で今の質問をしたのだろう。だとすれば、返答の正解は。


「──言うまでもありません。あなた様は、私のすべてですので」


 バチストの目がなくなり、自然と力が抜けたのもあるだろう。ようやくリュシーは自然な微笑みを浮かべながら、ラファエルに向き合うことができた。


「お役目がなくなっても変わりませんよ。殿下が生きていてくださることだけが、私の喜びであり、幸せです。それ以外には望みません。今も……──昔も」


 嘘ではない。嘘では、ない。

 とても口には出せない思いは奥底に潜んでいるけれど。


「……そう」


「はい、殿下」


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