突然の来訪
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一章
キィ、と金属が擦れる甲高い音が耳朶を撫で、リュシーはハッと顔を上げた。
次いで、規則正しく地面を踏み鳴らす音が続く。形のくっきりした音質からして革靴だろうか。それもひとつではない。複数だ。おそらく、ふたり。
(……まだ油断はできません)
すべての表情を削ぎ落とし、リュシーは身を強ばらせる。
穴ひとつない頑丈な鉄扉の前で、その足音は立て続けに止まった。
──トントン、トン、トン。
呼吸すら潜め万事に備えるリュシーのもとに届いたのは、風変わりな拍子音。しかしそれは、とある人物の来訪を知らせる合図であった。
「……!」
消え失せていた感情がたちまち舞い戻る。
人形状態から一転、リュシーは自身の表情筋が緩むのを感じた。扉へ駆け寄りながら、たまらず「兄様」と声をあげかけて──寸でのところで飲み下す。
危なかった。もしかしたら、彼以外にも誰かいるかもしれないのに。
「ら、ラファエル様……ですか?」
「ああ、僕だ。入ってもいいか、リュシー」
気持ちが逸る。
久しく生を主張した心臓が、なんとも忙しない音を奏でていた。
重々しい音と共に鍵穴が回る。ギギギと押し開かれた鉄扉の先から現れたのは、たしかに待ち望んでいた彼であった。姿を見てしまえば、もう隠しきれない。
リュシーはたまらず破顔しながら、快く彼を迎え入れた。
「ご無沙汰しております、ラファエル様……──いえ、ラファエル王太子殿下」
相も変わらず、立ち姿だけでも圧倒される神々しさだ。加えて憂いと儚さを孕んだアクアマリンの視線を向けられれば、それだけで息を呑んでしまう。
彼の名は、ラファエル・ログレッタ。
なにを隠そう、ログレッタ王国唯一の王太子殿下である。次期王位継承者だ。
父親である国王譲りのホワイトブロンドの髪は、毛先にかけて空気のような青に透けて見える。寸分なく艶めいていて、どんな宝石よりも美しい。
枝毛だらけの自分の髪をちらりと一瞥し、リュシーは心底、不思議に思った。
(日頃の手入れだけで、ここまで違ってくるものですか……)
髪色、瞳の色、顔立ち。どれもこれも、リュシーはラファエルに似通っている。
十人に問えば九人は兄妹だと答えるだろう。
それほど共通点が多い。体格も変わらなかった数年前までは、並べば最後、見分けるのが難しいくらいだった。
「ふふ、また背が伸びられましたね」
「そうかな。僕にはリュシーが縮んだように見えるけど」
「まさか。伸びこそすれ、小さくはなりませんよ」
彼の年齢はリュシーのひとつ上、十七歳。
男性にしては小柄で心配になるほど華奢だが、いささか成長期とは侮れない。以前は同程度だった身長はいつの間にか引き離され、見下ろされるほどになっている。
昔は聞き分けられないと評判だった声も、無事に声変わりを終えた現在のラファエルの声はしっとりと落ち着いたものになっていた。
さすがにもう、完璧には似せられないだろう。
(……やっぱり、私はもう、ラファエル様にはなれませんね)
そうした互いの変化を挙げれば、キリがない。
だが、リュシーにとってのラファエルは変わらなかった。
彼は、この世界で最も大切な人だ。リュシーの存在意義。彼が必要としてくれるから、リュシーはこの年齢まで生きることができたと言っても過言ではない。
否──比喩ではなく、実際、そうなのだけれど。