45.落ち姫ツィスカは、贄の王子と。
城に戻ってきた、その日の夜のこと。
レンヴァントと私は、はじめて対立していた。それは、苺と靖人、赤子に戻ってしまった二人のことだった。
「僕は、千風さんのためなら大抵のことはなんでもできると思う。でも、ごめん。それだけは受け入れられない」
私は二人を自分の子として育てようと思っていた。
「千風さんもあの場所、神の目で見てきただろう。苺は両親の愛情をたっぷり受けて育った。彼女の両親は本当に善良な人間だったよ。育て方に問題があったようにも見えなかった。それでも、ああなってしまったことを思うと、最初から善性を持たない人間だったとしか思えないんだ。
それを僕たちで育てることはできない」
レンヴァントははっきりと言い切った。
「──それに、そっちは君の……」
元恋人の靖人に目をやって、レンヴァントは不穏な表情をする。
「──私が育てよう」
そう言って苺を抱き上げたのは、レンヴァントの兄であり、本来の贄の王子だったオスカーである。
「たしかに苺には善性はないかもしれない。ずっと見てきた私だからこそ、よくわかる」
その言葉に、レンヴァントは神妙な顔になる。
「だから、私が厳しく育てよう。そして、それでもまともにならなかったら、責任を持って私の手で処分する。そう誓う」
「兄上……」
「レン、君には本当に謝っても許してもらえないようなことをしてしまった。私は、自分を善良で、可哀想な人間だと思っていた。それもまた驕りであったと思う」
「──この一連のことは、誰か一人の責任ではありません。世界の仕組みそのものが原因だと僕は思っています」
「レン……」
兄弟は、それぞれ声を詰まらせている。
「迷いの森の奥に屋敷を用意するのはどうだ?」
シャンプーが提案する。それは隣国との国境にもなっている広大な森だ。二朔の獣は、風にのって、その森を超えるようにしてやってくると言われている。
「私は苺とともに、そこに蟄居しよう」
「あの……、でも」
私は口を挟んだ。
「子どもには、たくさんの人と関わることも大事だと思うんです」
「自由に行き来できるようにしようかー?」
シャンプーが間の抜けた感じで言う。
「だが、それでは我々への罰にはならぬ」
オスカー王子が慌てて言い、私は首を振る。
「今回のこと、一番の元凶って、昔のご先祖さまとか、神さまとかですよね? オスカー王子も苺も、被害者です。だからまた悲劇を生むだけのような気がします」
「それなら、どうすれば……」
皆が眉を下げた。
「今決めなくてもいいんじゃないですか? みんなで一緒に考えていけばいいと思います」
私にも、いちばんいい方法はわからなかった。
「それじゃあ、そっちの坊やはあたしがもらおうかね」
驚いて振り向くと、そこには懐かしい人が立っていた。
「おばあちゃん!」
私は彼女に駆け寄って抱きついた。ひっつめたお団子髪に、尖った鼻。魔女のような雰囲気で、とても料理が上手な懐かしい人。
「ツィスカ、俺のことは無視かよ」
そう言って苦笑するのは。
「ゾロ!」
「レンヴァント殿下。私、ゾロ・ベイレフェルトは、貴方を支えるべく馳せ参じました」
普段の飄々とした様子から一転、ゾロはひざまずき、まっすぐにレンヴァントを見上げた。赤い目にきらきらと光が宿っている。
「ゾロ……」
「なぁんだ、あんたちゃんと目を開けたんじゃないか。狐みたいに目つきを悪くしているより、そのほうが男前でいいよ」
「おい、婆!」
私たちは思わず笑った。
靖人は、おばあちゃんが引き取ることに決まった。
彼女には子どもがなく、もともと食堂の跡継ぎとして親戚から養子を迎えようと考えていたらしい。おばあちゃんなら、きっと厳しく温かく育ててくれるだろう。
結婚式と戴冠式は一年後に決まった。
「結婚式、ずいぶん先になってしまって、すみません」
その夜、レンヴァントがしゅんとして言った。
彼が王位を継ぐことは決まったけれど、そんなに急にいろいろ整うわけでもない。とりあえず私たちは、他国からの客人用に建てられた離宮で暮らすことになった。
「いいの。──自分が王様の奥さんになるなんてちょっと変な感じだけど」
そう言って私は笑った。
正直なところ、私に「王妃らしい王妃」が務まるとは思えなくて、不安しかない。でも、私のとりえは、馬鹿みたいに真面目なところ。
こつこつ身につけてきた技術を活かしてレンヴァントを支えること──たとえば彼の好きな料理を振る舞うとか──、そして落ち姫としての、ほかには誰も持たないであろうこのギフトを使って国のためになにかすること。
その二つを心に誓っている。
「幸せな家庭をつくろう」
私は、すっかり自分より背が高くなったレンヴァントの首に手を回す。恥ずかしくて彼の目を見られなかったから、その胸に顔を埋めて伝えた。
でも、レンヴァントは許してくれなかった。
「千風さん……」
彼は私に上を向かせると、そっとキスをした。冬の空のように澄んだ色の目が、私を捕らえて話さなかった。私はそっと目を閉じた。
二朔の獣のことも、落ち姫のことも。問題は山積みで、不安も大きい。私たちの代で劇的に解決出来る問題ではないだろう。──きっと数百年かかる。シャンプーでさえそう見立てていた。
でも、きっと支えてくれる人たちがいるから大丈夫。
こうして落ち姫ツィスカは、贄の王子と世界を渡り、新しい暮らしをはじめたのだった。




