42.私が選んだ生き方
終わりが近くなってきました。もう少しお付き合いいただけると嬉しいです^^
「千風さん、レンさん!」
アパートの鍵を閉めていると、隣の部屋のドアがばたんと開き、誰かが私に飛びついてきた。驚いてよろめく。
「心配しました! どこ行ってたんですか……」
未菜美ちゃんだった。彼女は見慣れたリクルートスーツ姿ではなく、ふんわりとした白いブラウスに、黄色のフレアスカートを履いて立っていた。めがねがコンタクトレンズに変わっていた。
以前のきりっとした雰囲気の未菜美ちゃんも素敵だったけれど、今はぐっと女性らしい雰囲気になっている。
「結花子さんも呼びますからね! どこにも行かないでくださいね!」
彼女はそう言うと、持っていた大きめのバッグを放り出してカンカンとヒールの音を鳴らして駆け下りて行った。
ややあって、4歳くらいの男の子の手を引き、1歳くらいの女の子を抱えた結花子さんが、息を切らしながら階段を登ってきた。前に会ったときより少しふっくらしている。
その後ろから、恐る恐るといった調子で小さな男の子を片手で抱き、もう片方の手はしっかり階段の手すりを握りしめてゆっくり登ってくる未菜美ちゃん。
「結花子さん……」
私の姿を見とめると、彼女の目にはみるみる涙が浮かんだ。気がつくと、私は結花子さんに抱きしめられていた。間に挟まれる形になった小さな女の子が、不満そうな声を漏らす。
レンヴァントと私は、一度かけた鍵をもう一度開けた。そこには、ほとんど何もない空っぽの部屋が広がっていた。
「え? 赤ちゃん……」
未菜美ちゃんがぽかんとした顔で言い、レンヴァントと私とを交互に見比べる。ふとんの上に赤ん坊が二人、すやすやと眠っていて、それを見守るように真っ白で少し太い猫がいる。
「お二人の?」
私たちは困って顔を見合わせた。
「あれ、そういえばこの部屋って、まだ使えましたっけ?」
そのあたりはすべて、シャンプーの"調整”でなんとかしてもらったことだった。
結花子さんは、私たちが言わなくてもなにか察しているのか、少し寂しそうに笑うと「ちょっと一旦部屋に戻っていい?」と言って出ていった。
「これ」
彼女は、大きなトランクケースがひとつと、双子用のベビーカーを持って戻ってきた。
「育児グッズと、インスタント食品たくさんと、あとお菓子いっぱい詰めておいた」
「え? お菓子ですか? 買えばよくないですか?」
未菜美ちゃんがきょとんとする。
「──ここから、居なくなるのでしょう?」
「……はい」
レンヴァントと私は、揃って答える。
「あ、でも、ベビーカーはさすがに頂けません。安くないですし、子どもたち、まだ使うでしょう?」
「ふふ、いいの。そろそろ卒業しようと思ってたんだ」
それから私は、働いていた会社に突然消えたお詫びをしに出かけ、二人にはわんわん泣かれた。私たちが消えてから三年が過ぎていたらしいけれど、二人とも変わりない様子だった。
夜には、住み慣れた部屋でお別れパーティーを開いてもらった。メンバーは未菜美ちゃんに結花子ちゃん。そして、職場の仲間である希久美さんとみずきさん、みずきさんの家にやってきた黒猫だ。
みずきさんが連れてきた黒猫──確か、クリスマスイブの日に大怪我をしていたところを拾ったと言っていたのだった──を見たシャンプーは、わんわん泣いた。それを見て黒猫は嫌そうに冷めた目をして、しっぽをバタン、バタンと振っていた。
空室になっていた私の部屋は、シャンプーの微調整のおかげで、今だけ住んでいた当時の状態に戻してもらった。
私たちの体感では、ほんの数日だったはずなのに、なぜだかキッチンに立つのが数年ぶりというくらい遠く感じられた。
みんながそれそれいろいろなものを持ち寄って、とても豪華なパーティーになった。
こういうとき、私はいつもクリームシチューを作っていた。でも今回はグーラッシュスープ。
ハンガリー発祥の料理らしいのだけれど、レンヴァントの城で出たスープがこの味に近いと思ったのだ。
そして、まだ幼いながらも仮面をかぶるように大人びていた彼が、このスープを口にしたときだけは、年相応の顔になったことを思い出したから。
これから何度でも作ってあげられると思う。でも、私がこれから向かう世界の味に似た料理を、ここでよくしてくれた人にも、不安でいっぱいのレンヴァントにも作ってあげたいと思ったのだ。




