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38.ゾロの孫は”彼のいない世界”で。

 大理石でできた女性の像には、ひどく既視感があった。


 もこもことした巨大な空羊に跨り、髪とドレスを風になびかせるようなその像は、まるで今にも地面を蹴って、空に舞い上がっていきそうな臨場感がある。


「この御方が、落ち姫ツィスカリーゼ様だ」


 祖父が言った。知っている単語と、知らない単語が混ざっていて混乱する。それはほんの一瞬のことだった。


 膨大な情報が頭に流れ込んでくるというのではなく、スイッチをひとつ押して別なものに切り替わったかのように、私の中にあった記憶が目覚めた。


「ち……ちかぜ様……?」


 私が言うと、祖父が目を細めて笑う。狐のような、その目。私の祖父、()()・キャミレイヤ。


 ここは、私が大好きだったゲームの世界だ。けれども、ゲームの時間軸はとっくに終わっている。ゾロが老けているし、彼の名字も違う。──思い出した記憶によると、大好きな、私の最推しのレンヴァント様は、なぜか贄の王子になっていて、しかも何十年も前に行方不明になっていた。


 彼のいない世界に転生してしまった。


 そして、悪役令嬢である落ち姫として語られているあの人は、どう見ても、お隣に住んでいた大好きなお姉さん。千風さんだった。





 前世の私は、西村未菜美という名前だった。冴えない黒髪に、冴えない眼鏡の、冴えない女子大生だった頃。お隣に住む美人のお姉さんと、ゲームに登場する推しと瓜二つの男性に出会った。


 千風さんとは仲良くなり、料理を教えてもらったり、就活がきつすぎるときには友だち割引で家事代行を依頼したりもした。


 けれども、二人はある日突然失踪した。

 同時に姿を消したのが、千風さんの元恋人と、そのまた恋人(浮気相手?)だったことから、痴情のもつれとか、トラブルとか、いろいろなことを言われていた。


 私のところにもマスコミが取材に来た。千風さんたちがいなくなったことだけでもつらくてしかたがなかったのに、配慮のないその攻撃にはすっかり心をやられた。


 下の階で、同じく千風さんと仲の良かった小野瀬結花子さんというママさんが、ずいぶん私を気にかけてくれて、私たちは二人(そして赤ちゃんの可愛さ)であの時期を乗り切ったといっても過言ではない。


 結花子さんもずいぶん参っていた。でも、寂しそうにほほ笑みながらも「千風さんは、いるべきところに戻っただけなんだと思う」と言っていた。



 それから数十年。私は仕事とゲームと、すっかり趣味になっていた料理を楽しみながら生きた。


 結婚はしなくて、両親には泣かれたし、いろいろ言われたりもしたけれど、私には合っていた生き方だったと思う。おばあちゃんになってからも全っっっ然楽しかった!


 死に方や死んだときの記憶はなくて本当に良かった。そのことばかり考えちゃうもの。





 そうして私は、二番目の推しであるゾロの孫娘として生まれ変わり、記憶が戻ってしばらくしたところでまた死にかけたのである。


 とにかく熱くて痛くて。前回の人生も気に入っていたけれど、今回は違う感じでいこう、可愛く生まれたから恋もしてみたいな、それとも娯楽の少ないこの世界にたくさんの楽しいものを作るのもいいなって、そう思ったばかりだったのに。


 目が霞んでよく見えない。でも、私を切りつけてきたあの人は、ゲームに登場した落ち姫・フレージュビリーにそっくりだ。

 ああ、これが全部夢だったらいいのに……。






 そう思っていたら、突然痛みが消えた。


「大丈夫?」


 ああ、うそだ。あなたは。


「千風さん……」

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