32.時の歪み、そして正史(3)
画面の中に広がるのは、王都らしき雑踏。
人の間を縫うようにして、フードをかぶった女が歩いていく。ずいぶんと人目を気にしているようだ。
視点が切り替わり、黒髪に特徴的な赤い目で、あの令嬢なのだとわかる。しかし、あの場で見せていた儚げな印象ではなく、その目はぎらぎらと野心に燃えており、嫌な笑みを浮かべていた。
「カレン・ベイフェルト……」
レンヴァントがつぶやく。
映像にもあの魔法は使えるのだろうか。ふと思いついて、小さな声でつぶやいた。
"ツー・シュタット"
「……! 千風さん、まさか……」
私はこくりとうなずく。
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名前:カレン・ベイレフェルト(16)
魔法スキル:なし
魔力量:微量
その他スキル:
演者Lv.92/100
来歴:
ベイレフェルト商会長女として生まれる。
父が男爵を賜る。
高熱を出したのをきっかけに、前世の記憶を思い出す──
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「……!」
私ははっと息を呑んだ。レンヴァントが心配そうな顔をしてこちらを覗き込んでいる。この情報を伝えられないだろうか……。
"画面共有”
思いつきで口に出してみた。
「千風さん、……僕にも見えます」
レンヴァントが神妙な顔をして言った。
「──そうか。あの人はこちらに由来する人、落ち人だったのか」
「落ち人?」
「ええ。あなたのように、二朔の獣が出る前に時を戻すため、異世界から体ごと連れられてくる女性を落ち姫と呼びます。
一方、魂だけがこちらに移動してきた者も稀におり、そういった者たちを落ち人と。彼らは自分たちの記憶のことを話しません。だから、それが発覚することはほとんどないのです。王族にだけは、彼らの有用性、そして危険性が伝えられていましたが、一般市民は知り得ないことです」
ややあって女がたどりついたのは、路地裏をくねくねと進んだところにある、仄暗い酒場だった。準備中といった意味合いの立て札があるが、女は、カレン・ベイレフェルトは構わず中に入る。
怪しげな老婆と二、三言話すと、カレンはにたりと笑った。
「本当? この魔導具を使えばいいのね?」
カレンは金色の鎖の華奢なブレスレットを受け取った。鎖は二つの宝石を繋いでいる。カレンの瞳のような赤い石と、そして、紫の石。
「ああ。この魔導具を使うだけで、おまえの願いは叶うだろう。ただし使えるのは一人まで」
「その一人に飽きたらどうしたらいいの?」
「どうもせぬ。たった一人にしか効かぬ、特別な魅了魔法なのだ。なお、魅了されたあとも、おまえがその者からひと月以上離れれば、効果は消失する」
「なによ。不便な道具ね」
カレンは眉根を寄せる。
老婆は表情を変えぬままくつくつと笑い、「それじゃあ、売らなくていいかの?」と言った。
カレンはその魔導具を奪うように身につけ、金を投げつけるように払うと、老婆を一瞥して出口に向かった。
"ツー・シュタット"
"画面共有"
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名前:カレン・ベイレフェルト(16)
魔法スキル:なし
魔力量:微量
その他スキル:
演者Lv.92/100
適性:
魅了
女主人公(仮)
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「……レンヴァント」
「画面が変わっている? 魅了適性?」
カレンの足取りを追いたかったのだが、視点が切り替わることはなく、老婆とともに店に取り残された。
「ふふ、これでまた種が蒔けたわ。不幸の種!」
先ほどとは違う、若い女の声。ずるずると皮がむけるように、"老婆の姿”を脱ぎ去った、妖艶な女が現れた。
「……え?」
私は思わず口に出していた。そのとき、女と目が合った。
「──誰だ! こちらを見ているのは!」
鋭い爪が迫る。レンヴァントがさっと前に出る。
画面はさっとかき消え、私たちには何事もなかった。
心臓がバクバクと音を立てている。
「あれは恐らく、魔の者でしょう」
レンヴァントがぎゅっと私を抱きしめて言った。彼の心臓もまた早鐘のように鳴っている。
「魔の者?」
「──二朔の獣に魅入られた者が転じると言われています。ただ、王家にもそれ以上の伝承は残っておらず……。
とにかく禍々しいものであるとしか僕にも言えないのです」
私はそのとき、ふと大事なことを忘れていたことに思い当たる。
「あの人、フレージュビリー……さんは?」




