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30.時の歪み、そして正史

「千風さん、……千風さん!」


 ふと意識が浮上する。レンヴァントに抱きしめられる格好で、腕にはシャンプーが巻き付いていた。ぼんやりとしていた焦点が合うと、その場の異常性に気がついた。


 そこは真っ白な世界だった。空も地面もなく、ただ白いなにもない空間が続いているだけ。そして、あたり一面にテレビのような画面が映っては消えている。


「あれは、私……?」


 無数に開いた画面の中に、自分の姿を見とめた。


誰の視点なのだろう。まず映ったのはイルミネーションだった。それからしばらく歩く。私の家に向かう道のように見える。


 電柱のそばに、女性が丸まるようにして倒れていた。視点の主が駆け寄っていく。ピンクブラウンの髪をした小柄な人だ。その衣装は、私がかつてレンヴァントの世界で着ていた、落ち姫の衣装に見える。


 そして、その横には、黒い猫が血を流して横たわっている。


「……っ!!!!師匠!!!!」


 悲痛な声を上げたのはシャンプーだった。全身の毛を逆立て、目を吊り上げて威嚇の唸り声を出している。次の瞬間、目を見開いて、それから呻き始めた。


「痛っ」

「シャンプー」


 私はシャンプーを抱きしめる。シャンプーは荒い息をしており、焦点が合わない。



「……千風さん、あれ」


 レンヴァントの声に顔を上げる。いつのまにか女性の姿は消えていて、"誰か"は階段を昇っていた。途中で結花子さんとすれ違う。止まったのは私の部屋の前。ノックをする男性の手。開く扉。

 中にはシチューを作っている私の姿があり……。


『なんであんたばっかり。交換しなさいよ』


 聞き覚えのある声が響いた。"私”は驚きに目を見開き、次の瞬間、かき消えたのだった。






「あれは、僕……?」


 レンヴァントは別な画面に目をやって言った。

見覚えのある王様。レンヴァントの兄王子とともに彼に冷たい態度をとっていた嫌な人だった。


 けれども、その画面に映るのは、幼いレンヴァントを腕に抱き、彼によく似た女性を慈しむ優しげな男性だった。それを影から見ている子どもがいた。

 赤みがかった金髪に、紫色の瞳。以前王宮で会ったレンヴァントの兄だ。その目は昏く、光がない。


私はかつて聞いた、メイドたちの噂話を思い出した。



──・・・


「陛下はなぜ、妃殿下に辛く当たられるのですか?」


それは、侍女たちのうわさ話だった。私が寝ていると思っていたのだろう。


王様は今の王妃さまとの結婚を望んでいなかったのだという。


「あなた、あの舞台を見ていないの? 真実の愛についてうたわれたものよ」

「ああ、……確か、王太子が婚約者を捨てて平民女性を選んだっていう」

「そうそう」

「でも、なんの関連が?」


尋ねた侍女は、声の感じからすると、新人なのだと紹介された若い女の子だと思う。


「……世代が違うものね……。でも、あまりにも勉強不足だわ」


先輩侍女の声に棘が含まれた。


「その王太子殿下こそが陛下のお兄様なの。つまり陛下はもともと王位につく予定がなかったということ。

だから、婚約者を変えざるを得なかったのよ。愛した人ではなくて、愛のない相手に」


「とばっちりじゃないですか。陛下、おかわいそう……」


侍女見習いは間延びした口調でそう言った。


「──あなたねぇ……」


・・・──


私はてっきり、レンヴァントの母こそが正妃なのだと思っていた。でもそうではなかったのだ。






『──どうやら、そろそろ落ち姫様のいらっしゃる時期らしい。だが……』

『陛下。贄の王子は必ず決めなければなりません』

『誰にするかなど決まりきったこと。優秀なレンヴァント殿下を贄にするなどありえませんものな』

『それに王子に毒を盛ったマデリーン妃はもう……』

『おい、静かにせぬか。滅多なことをいうものではない』

『だがしかし、彼女の悪業というのはやはり真実だったのではないか?』


 苦悩する父王。他人事だと軽い調子でいる臣下たち。それを指が真っ白になるまできつく握りながら、震えながら聞いている少年がいた。


『父上、僕が贄になります』


 そう言ったのは兄王子。彼がへらりと笑ってそう言うと、父王は泣き崩れた。


『──だが……』

『落ち姫様に来ていただかなければ、この国は滅びますよ? 僕が行くしかないでしょう』

『……オスカー。すまない……』


 一人きりになった兄王子オスカーは、ぽつりと『行かないでほしいって、言ってほしかった』とつぶやいた。


『俺は要らない子どもだからな』


 そう言う彼のもとに、黒猫が現れる──。






 映像はそこで終わり、また別な画面が光った。


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