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26.贄の王子の秘密(2)

「私が生まれたとき?」


 私が呆然としてつぶやくと、レンヴァントは笑った。今にも泣き出しそうな顔だった。


「愛し合う若い夫婦に待ち望まれて生まれたのがツィスカさん、あなただ」


 レンヴァントは、私の背中に手を添えると、少しあるきましょうとすぐそばの公園に誘った。

 静かな夜だった。私の体は冷え切っていた。レンヴァントが上着をかけてくれる。


 いろいろなことを考えたら頭が追いつかなくなって、ベンチにくったりともたれる。レンヴァントは小さな子にそうするように私の頭をなでると、自販機を探し、温かいコーンスープを買ってきてくれた。


「ふふ、あなたはいつもこれを買っていたでしょう?」

「──本当に見ていたのね」

「すみません」

「……ううん、あなたのほうが大変だったはず。それに、少し恥ずかしいけれど、でも、いつでも自分は一人きりだと思っていたから。見えなくても、あなたがそばにいてくれたのね?」

「……っ」


 レンヴァントが目をそむけた。


「……ツィスカさんの母君は、やや派手な見た目の方だ。最期のことも知っています。でも、……少なくとも、あなたが生まれたとき、誰よりも喜んでいたのは彼女だった」


「そんなわけない……」


レンヴァントは悲しげにほほ笑む。


「とても料理が上手で、手作りが趣味の人でした。あなたのおくるみやよだれかけ、そういったものをすべて手作りしていた。

まだ小さなあなたも、母君のまねをして台所に立ちたがった。だから、レタスの葉っぱをちぎらせてみたり、ミニトマトのヘタ取りを任せてみたり。あなたたち母子にとって、料理はコミュニケーションだったのだと思います」


残念ながら、私にはその記憶はなかった。


「父君は迫力のある容姿だったが、どんなに疲れて帰ってきても、あなたと触れ合う時間を大切にしていた。休みの日にはあなたのために木のおもちゃを作っていた」


 私に父の記憶はほとんどない。けれど、施設で先生が見せてくれた両親の写真は覚えている。


 ミニスカートに厚底ブーツを履いていて、茶色のストレートロングに細い眉のその人は、濃いめのメイクもあり、とても母親という雰囲気ではなかった。いつまでも少女のような人であったし。


 父はチンピラ風というのがしっくりくる出で立ちで、三白眼が怖そうだった。


「あなたの"千風”という名前は、母君の"千佳”、父君の"風磨”という名前からそれぞれ漢字をとったものだ。他にも"風佳”"マチ(磨千)”という候補があったようだが、生まれたあなたの顔を見て、これが一番しっくりくるのだと名前を決めていました」


 レンヴァントが続ける。


「お父君が亡くなったこと。それがきっと、すべての引き金だったのだと思います」


彼は、母が出て行ったことを言っているのだと思った。

両親は確か駆け落ちして結婚したはず。誰にも頼れなかったのかもしれない。行政などに頼るという考えも持ち合わせていなかったのかもしれない。


そうして一人でがむしゃらに動くうちに、母はこわれてしまった……? あのときの、狂気すら感じる様子を考えると、本当は、運命の人だなんて、居なかったのかもしれない。


でも、それでも。あんな終わりは迎えないでほしかった。




「あなたが生まれたときから今まで、ずっと僕はそばで見てきた。

 だから、初めてあなたに出会ったとき、僕の体はたしかに子どもだったけれども、あなたと同じ年月を、ただ何もできずに隣で生きてきた大人の心を持っていました。ああ、もちろん、ご不浄や入浴などを覗き見るようなことはしていません!」


 彼が慌てて言った。


「僕のそばには空羊がいました。あの憎たらしい奴です。僕に何を見せて、何を見せないのか。あいつがそれを管理していました」


「──それじゃあ、二十五年間も?」


 レンヴァントがうなずく。


「あちらの世界で飛ばされた時間を座標にして戻るようになっています。だからとてつもなく長い年月を過ごしてきたはずなのに、体は子どものまま。飛ばされた瞬間から、ほんの数時間しか経っていなかったのです。

 こちらに飛ばされたのは十歳だったから、そう考えるとあなたよりずっと年上ですよ?」


 彼はいたずらっぽく笑った。

 今度は私が抱きしめる番だった。


「ち、千風さん?」


 私の腕の中でレンヴァントは焦ってもがいていたけれど、私は腕を緩めなかった。ややあって、胸のあたりがじわりと熱いもので濡れた。そして啜り上げる声が聞こえた。


 ベチルバードにいたときの、彼の子どもにしては大人びた言動が腑に落ちた。

 二十五年間。こんなにも長い間、彼はたったひとりで、私のそばにいてくれたのだ──。


「レンヴァント。私と結婚して」


 気がつくと口からこぼれていた。レンヴァントはばっと勢いよく顔を上げた。


「……っ、あなたのことだから、僕になにか償いをと考えているのでしょう。それは不要です。だって、僕はあなたが辛いのをわかっていても、何もしてあげることができなかったのですから」


 彼は真っ赤になった顔をそむけた。


「ごめん。償いたいっていう気持ちもあるけど……。でも、違うの。私、あなたと女の子が一緒にいたのを見て嫉妬していた。見てみぬふりをしよう、祝福しようと思いながらもできなくて、だから、ぼうっとしていたところを結花子さんに拾ってもらったの」

「では、本当に?」

「うん。──私、あなたのことが好き」


 私が言うと、レンヴァントは涙を浮かべたまま笑い、「夢みたいだ」と言った。


 しかし、私たちの後ろには凶刃が迫っていた。




※連載再開まで期間が空いてしまったため、メモしてなかった千風の両親の設定を完全に忘れてました(泣) そこに合わせて全体的に直しています……!

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