23.ある男の傲慢と悲劇と(1)
たまには毛色の違う女と付き合ってみるのもいいかもしれない。――はじまりは、そんな軽い気持ちだった。そこに恋だの愛だのいうような感情があるわけじゃなかった。
単なる暇つぶしだった。
子どものころから、跡取りになるのだからと理不尽に厳しく教育されてきた。
逆に、ほしいものはなんでも手に入った。そんな俺にとって、目の前にある何もかもがつまらないものに思えてならなかった。
他人には興味が持てないし、かといって夢もやりたいことも、趣味もない。ただただ流されるように大人になった。
でも、椿千風は、そうした俺の価値観をばらばらに壊してしまったのだ。
はじめて千風と話したのは、学生に人気のない、マイナーな外国語の授業。
だが、去年その授業を受けた先輩から、先生に気に入られるだけで単位を貰える、超穴場な授業だと聞いていた。
その年の受講生は俺と千風の二人だけ。
はじめて見た時は、もったいない女だと思った。
素材は決して悪くない、むしろ美人なほうなのに、何の手入れもされていない容姿。三つも年上の地味な女。
客員教授は高齢で、とにかく人と関わるのを好んだ。
俺はこれまでの経験から、なるべく人当たりよく爽やかに振る舞うように気をつかっていた。その過程で、千風にも優しく紳士的に振る舞う必要があった。
荷物を持ってやるだけで赤面し、わからないところを頼るだけで恥ずかしげに目を潤ませる初心なところのある女だった。
二人とも教授には大層気に入られ、よく食事に連れていってもらうようになった。
「二人で二次会する?」
どうしてそんなことを言ったのか、今でもよくわからない。あんな地味な年上の女なんて、好みの範疇じゃなかったはすなのに。
そうして俺はごろごろと転落するように千風と一緒に過ごすようになった。はじめに被った爽やかで紳士的な男の仮面を外さないまま。
千風には家族がおらず、暮らしている部屋は俺が住む学生向けの少し高めのアパートよりもずっと狭かった。しかし、実家にはなかった生活のにおいが感じられて、不思議な気分になった。
俺には両親と姉がいるが、家に帰っても誰もいない。
家事代行サービスを雇ってピカピカに磨きあげられた室内に、母のものではない、店の味のような豪勢な料理が並ぶ。
でも、小学生の頃、母親と手を繋いでにこにこしながら歩く同級生を見て感じたなにかが、そこにはあった。
千風のつくるクリームシチューは、濃厚でもなければ、肉の旨みも足りない。そもそもバターと小麦粉から作っているのではなく、スーパーで買った市販のルウを使っている。とても素朴な味だ。でも、それが無性に愛おしかった。
ほかの女たちと違って、千風は俺に何かを求めることはなかった。
ただまっすぐに俺を見て、俺と過ごす時間を楽しみ、俺のことを知ろうとしてくれていた。それが俺には心地よかった。
父親の仕事だとか、その年収だとか、高校まで金のかかる私立だったこととか、普段は女たちに聞かれて話すことを、俺は千風には自分から話した。
そうして、自分という人間の持ち物は、ほとんどが親由来のもので、俺自身の中身は空っぽであることを知った。でも、そういうメリットを提示しておかなければ不安で仕方がなかったのだ。




