表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/46

21.タペストリー

「――千風ちゃん?」


 のろのろと顔を上げると、心配そうに覗き込む瞳と目が合った。


「結花子さん」


 同じアパートの小野瀬結花子さんとは、以前、介抱してもらったのを機に仲良くなった。

 その腕には一歳にならないくらいの赤ちゃんが抱かれている。


 ふくふくとしたそのほっぺたにぼんやり視線を投げていると「夜の散歩に行ってたの」と結花子さんが言った。


「この子、寝るのがきらいなのかな。なかなか寝てくれなくてね。

 途方に暮れてしまって、この辺をぐるりと回ってきたのよ」


 暗くてよく見えないけれど、――結花子さんの目元が暗く見える。寝不足なのかもしれない。


 けれども、以前のように擦り切れた疲れではなく、なんといえばいいのかわからないけれど、希望のある疲れ方、という感じがした。


「旦那は出張中なの。月の半分は家にいないから退屈で。――よかったら、話し相手になってくれない?」


 私は少し迷ったけれど、なにか熱いものが胸にこみ上げてきて、頷いた。






 結花子さんとは何度も会っているけれど、彼女の部屋に入ったのははじめてだった。


 ああ、――いい部屋だな。入ってみて、そう思った。


 いろいろなお客様の家に伺う仕事だ。そこからなんとなく見えてくるものがある。


 たとえば心地よくするために好きなもので満たしたおうち。

 生活感のないモデルルームのようなおうち。

 使う色を絞ってすっきり見せているおうち。


 結花子さんの家は優しさにあふれていた。


 ピカピカに磨かれた靴が一足、靴棚に仕舞われずに置いてある。


 靴棚の上には、たくさんの写真立て。


 少女めいた雰囲気の結花子さんと腕を組むのは、茶髪で今と随分印象の違う旦那さん。

 二人の結婚式の写真に、旅行先での笑顔。それから赤ちゃんが生まれてからの写真……。


 側面には、赤ちゃんの命名書も貼られている。「ゆうかちゃん」という名前は知っていたけれど「優花」という字を使うことははじめて知った。


「どうぞ。──優花の名前は、旦那と私、それぞれの名前から一文字ずつつけたの」


 私の目線に気づいた結花子さんが言った。




 居間に案内されると、結花子さんはふいに慌て始めた。


「……! 散らかっていてごめんなさい」


 耳が少し赤くなっている。床には赤ちゃんのおもちゃがたくさんあり、ソファには読みかけの絵本があったりと、生活感はあるけれど、そのためにほっとするような温かさがあった。


 私が感じたことのないもので、──少し羨ましくなった。





 居間にはタペストリーがかけられている。


「ああ、このタペストリー」


 結花子さんは口をとがらせた。


「実家の母が送ってきたのよ。私が赤ん坊のころの肌着を少しずつ切って、パッチワークにしてるんですって」


「私の趣味じゃあないんだけど」と言いながらも、結花子さんはどこか嬉しそうだ。






「少し座って待っててね」


 ローソファーに腰を下ろすと、ぐっと体が沈み込んだ。結花子さんは小さな音量でテレビをかけ、赤ちゃんを隣の和室に寝かせに行った。


 数分後、「遅くなってごめんね」と小声で言いながら戻ってきた。


「赤ん坊の背中にはスイッチがあるって昔母に聞いたのだけど、本当ね。どんなにそうっと布団に置いても、気づいて火がついたように泣いてしまうことがあるの」


「今日は大丈夫でよかった」と小声で付け足す。







 私の家では、あまりテレビを見ない。


 特になにかを見るというわけでもなく、BGMのように置かれたテレビがあり、ぼんやりとそこに視線を向けていると、結花子さんがキッチンから戻ってきた。


「はい、お夜食」


 目の前には、湯気を立てるお茶漬け。


「さっぱりしたものが食べたくて」


 そういう結花子さんの顔は晴れやかだ。ぼんやりしたままで、熱々のお茶漬けを口に運ぶ。


「甘めの梅干しと崩したお豆腐が入ってるの。梅干しはね、にんにくをつぶすガーリックプレスに入れるとかんたんにたたき梅みたいになるのよ」


 ふわりと香る梅の匂い。お豆腐の優しい味。染み渡る味のお茶漬けだった。






 それから私たちは他愛のない話をした。そして、結花子さんは、核心に切り込んだ。


「──あのさ、千風ちゃんって、なにか不思議な力を持ってるよね?」


 どんなふうに切り出すのかという迷いや逡巡があったと思う。私もそれを感じとっていたから、ぴりりとした緊張があった。


 私は悩んだ。何も言えなかった。それが答えになった。結花子さんの目が潤む。


「前回、その……生まれる直前に、悲しいことになってしまって。もう子供は無理だって言われてたの。変なこと言ってるのはわかってるけど、千風ちゃんがなおしてくれたのよね? ──この子は、あのとき死んでしまった子なのよね?」


 結花子さんは、まっすぐに私を見ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ