1.クリスマスイブの夜に
それはクリスマスイブの夜だった。
私はアパートで恋人が来るのを待っていた。彼の好きなシチューを作りながら。
お肉は豚バラ肉。最初に茹でて、あぶらっぽさを少し抜いておくのがこつ。玉ねぎ、人参、じゃがいも。具材はシンプルで、ふつうのルゥを使うのだけれど、最後に練乳を入れてコクと甘みを出すの。
早く帰ってこないかな。――そう思っていたら、ふとノックの音が響いて……。
いつの間に眠ったのか。目を覚ますと、美しい絵が描かれた天井が目に入る。鈍く痛む頭を押さえながら体を起こし、ぎょっとする。
寝かされていたのは、まるで海外のお城にありそうな、豪奢な部屋だったのだ。
そして、すぐ隣にはなぜか巻き毛の真っ白な猫が、体を丸くして眠っている。
「起きたみたいだぞ」
声の主に目を向ける。
部屋の隅に控え、訝しげに私のことを観察しているのは、狐のように鋭く細い目をした少年。年齢は中学生くらい、だろうか。
少年が告げたほんのしばらくあと、ぱたぱたと走る音が聞こえ、続いて扉がばたんと開いた。そして、私は誰かに押しつぶされるように抱きしめられていた。
驚いて押し返すと、狐目の少年より、もっと幼い男の子だった。
さらりと流れる銀色の髪に、秋の澄んだ空を閉じ込めたような瞳。外国の男の子だろうか。信じられないくらい綺麗な子。
彼は不思議な表情をしていた。うれしそうな、苦しそうな、今にも泣き出しそうな。
彼は、はっとしたように私から離れると、片足をついて跪いた。
驚いて体を起こすと、彼はまっすぐ射抜くように私の目を見つめながら、名を告げた。
「落ち姫様に申し上げます。
僕は、べチルバード王国第二王子。レンヴァント・ファン・ベチルバード。
あなた様を異界より招いたのは、国の危機にご助力いただきたいからです。拐かすような真似をして申し訳ありません。ですが、どうかお力をお貸しいただけないでしょうか」
頭の中が疑問符でいっぱいになった。
こういうとき、普段の私ならあわあわしてしまうのだけれど、不思議なことに口から出てきたのは「わかりました」という落ち着いた言葉だった。
まるで、違う誰かに体を動かされているかのように。
――そもそも、こんな非日常的な状況になっているのに、どうしてこんなに心が凪いでいるのか。
無理やり連れてこられて、一方的にお願いをされて、そんなの、どう考えたっておかしいのに。
何もかもが現実味がなくて、まるで物語を読むように、映画を観るように、目の前で起こっていることから、心が切り離されている。そんな感覚があった。
レンヴァント王子からこの国についてと、私の役割についての説明を受けた。
狐目の少年は、従者のゾロだと紹介された。彼は退屈そうにあくびをし、気のない返事をしている。
この国は、数十年、数百年に一度の危機に陥っている。
それは天災のようなもの。国の中に淀みが溜まり、夜になると獣と呼ばれるものが徘徊する。
たいてい王族貴族にしか目に見えぬそれは、見える相手には物理的な害を、見えぬ相手には心理的な害を与える禍々しいもので、――こんな状況を打破できるのがなぜか私なのだという。
こうした役割を持つ女性を、落ち姫と呼ぶのだとか。
「――それで、私は何をすれば?」
私が言うと、王子はほっとしたように息を吐いて、それから姿勢を正した。
「落ち姫様には、共に王国を回っていただきたいのです。
国境に沿ってぐるりと回る長い旅になります。あなた様がいてくださるだけで、淀みを押し流すことができるのです」
そして、私は贄の王子と呼ばれていた銀髪の少年レンヴァントと、従者ゾロと共に、浄化の旅に出ることとなった。
自分の意思に背いて勝手につむぎ出される言葉に抗うように、私はひとつだけ、希望というか、宣言というか、そんなものをした。
それをひどく後悔することになるなんて、知りもせずに。
こんにちは! お読みいただきありがとうございます。
この作品は8/8中に完結します。
(※何度か確認しましたが、途中で間があいたので、設定忘れて矛盾しちゃった部分をもしまた見つけたら微調整するかもです(;_;))
本業の経験を生かし、家事や料理がしたくなる小説を目指して書いています。
活動報告は、作中に登場するレシピの紹介や登場人物紹介などに使っています。
異世界恋愛の完結済み作品も色々あるのでよかったらどうぞ!
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