17.真実の愛
なかなか寝つけなかった私の頭の中には、未菜美ちゃんから聞いた、ものすごい情報量の話がぐるぐると渦巻くように浮かんでは消えていた。
「レンヴァント王子と落ち姫は、婚約者になっちゃうんですけど……。でも、大丈夫です! 婚約は破棄されますから!」
未菜美ちゃんは、無邪気な表情で言った。
「落ち姫は邪魔者で悪女です。真実の愛で結ばれたヒロインのマリアに対して、嫌がらせを続けるんです。それも犯罪まがいの……。
だからそんな彼女の行ないを王子や側近たちが暴き、ついには国外追放に追い込むんですよ」
もちろん、きちんと正解の選択肢に進めればなんですけどね、と付け足された声は聞こえなかった。
私の中には、なぜかわからない、漠然とした靄のような気持ちだけが残っていた。
何度も寝返りを打っていた私は、少し気分を変えようと、台所に立った。
茶碗に少しごはんを盛り、ツナ缶を半分ほどと、ピザ用チーズをひとつかみ。そこにお茶漬けのもとを振りかけたら、熱いお湯を注ぐだけ。
和洋混ざった、あっさりとした夜食のできあがり。
お腹のなかがぽっとあたたまると、少し気分が落ちついてきた。私はふたたび歯みがきをして、自室へと戻った。
考え事をする前には、一度、気持ちを落ち着かせるのが大事なのだというのが経験談だ。
私はたぶん、落ち姫への評価を、自分へ向けられた攻撃的な気持ちだと受け取ってしまったのだと思う。
自分と同じ呼び名だからだろうか。邪魔者だと言われたとき、鼓動が跳ねて、苦しくなったのを思い出した。
本当に存在するのかわからないけれど、私にはフレージュビリーさんの気持ちが少しわかった。あちらに連れて行かれたとき、とにかく不安で、怖くて、帰りたくてしかたがなかった。
一緒にいたのが自分よりも幼い子どもたちではなく、たとえば屈強な兵士だったりしたら、きっと泣いたし、すがったし、帰してくれとみっともないくらいに喚いただろうと思う。
それでもなんとか務めを果たして戻ってみると、すべてが手遅れで、どこにも居場所がない。――彼女の絶望感が容易に想像できたのだ。
それに、私の感覚では、たとえ恋心を抱いていた時間の長さで勝っていたとしても、正式に定められた婚約者から相手を奪い取るような“マリア“の行動は好ましく思えなかった。
「――真実の愛、か……」
私は苦い気持ちを抱えながら、眠りに落ちていった。
彼女は十代で私を産んだ。父は、物心ついたときにはもういなかった。女手一つで私を育ててくれていたため、ほとんど家にいない彼女に変わって、小さなころから台所に立っていた。
夕方、街を歩いていると、家々の窓からおいしそうなにおいが漂ってくる。きっと、おかあさんが待っているのだろうな。そう思うと、心がしんと冷えた。
私は古い木造アパートの一階で、首に下げた鍵を取り出し、答える人のいない部屋に向かって「ただいま」と口にする毎日だったのだ。
「千風。母さんはね、真実の愛を見つけたのよ」
あるとき、母はうたうように言った。
小学生の子どもがいるとは思えない、二十代半ばの母。いつまで経っても少女のような人だった。
「でもね、彼に必要なのは私だけなの」
押入れいっぱいに、カップ麺が詰め込まれていた。私は思わずあとずさりした。母の様子が尋常じゃなかったから。
私の制止を振り切って、むしろ、嬉々として、彼女は住み慣れたオンボロなわが家を出て行った。そうしてわずか数分後に事故にあい、帰らぬ人となった。
母の死は不幸な事故となり、私は彼女の秘密を誰にも伝えぬまま、大人になった。そういえば、真実の愛の相手が誰だったのか、――それさえ知らない。




