11.贄の王子
「千風さん……」
小野瀬さんと入れ違いになるように、レンヴァントがおずおずと入ってきた。
居心地悪そうにあたりをきょろきょろと見回している。
私がソファに座るように促すと、彼は恐縮しきった様子で静かに腰を下ろした。
「――レンヴァントで、合っているのよね……?」
「はい」
「聞きたいことがいろいろありすぎて、――何から話したらいいのか」
私が混乱していると、レンヴァントはくしゃりと笑った。
「じゃあ、僕のほうから……」
レンヴァントがそう言いかけたときだった。
「あ、もう始まってる感じ~?」
いつかと同じように、割り込んでくる声があった。
「空羊……! 帰ったんじゃなかったの?」
「んなわけないでしょー。僕はちょっとおいしいものを探しに行ってただけ」
まるまると太った縮れ毛の猫、シャンプーと名づけたあの子が、ふてぶてしい感じで言う。空羊は私とレンヴァントの間に倒れ込むと、全身を弓なりに伸ばした。
「ざっくり言うとねぇ、レンヴァントは贄の王子なわけ」
「空羊、貴様……!」
レンヴァントが顔色を変える。
「――ニエの王子?」
「そう。ベチルバードの古代の王族と精霊王との取り決めなんだよ。
落ち姫を呼び寄せるってことは、言うならば誘拐みたいなものでしょ? だからいろいろ制約があるわけ」
「制約……」
「そうだよ。要するに贄の王子は、国を救ってもらった代償として、その一生を落ち姫に捧げる。それが制約なの」
「一生を……?」
理解が追いつかずに、私は黙り込んだ。
「君は、自覚がないと思うんだけど……。歴代で一番力が強い落ち姫だったんだ。
だから最速で浄化を終えてしまったけれど、たいていはね、十年とか十五年くらいかかるんだよ」
「そんなに……?」
レンヴァントのほうを窺い見ると、彼は気まずそうな笑みを浮かべながら頷いた。
「浄化するのって、どんなイメージがある?」
「ええと……魔法とかでキラキラした感じ? 一瞬で綺麗にしてしまうような」
「君にはそういう力はあった?」
私は首を振る。
「そう。落ち姫は、別に魔法を使って浄化をするわけじゃないんだ。
異世界の存在という異物を投入することで、刺激を与える、みたいなイメージかな。だから、それぞれの場所で長く過ごすことが必要だ。村の隅々まで、落ち姫という存在が行き渡るようにね」
私たちが村に立ち寄った時、長くても10日だったことを思い出す。
「その後で戻ったとして、同じように生活を送れると思う?
十五年向こうで過ごして、こっちに戻ってくる。時間の流れは違うけど、それでも半年くらい経ってるんだ。
それくらい時間が空くと大騒ぎになるし、仮に同じ時間軸に戻ってきたとして、十五年分老けてたらどう?」
信じてもらえないか、大騒ぎになるか……。いずれにしても、この国での居場所はなさそうだと思った。
「君の場合は十ヶ月、こちらの時間でいうと十日で済んだけどさ、それが異例中の異例なの。落ち姫になるってことは、人生を奪われること。
だからね、贄の王子が贖罪をするんだ。落ち姫に付き添ってこちらの世界へ捨てられる生贄なんだよ」
王族の中から、不要な者が選ばれるんだよ、と空羊はなにげなく続けた。
「千風さん、僕と結婚しませんか」
ベチルバードから帰ってきて、一年半が経った。
いつもと同じ挨拶に、私は思わず苦笑する。
住み慣れたこのアパートで、レンヴァントと一緒に暮らしている。彼は毎朝、必ず私に求婚する。
「レン。――何度も言ってるけど、レンは、そんな義務を負わなくていいの」
私はいつもと同じようにそう伝えると、あずま袋の端をきゅっと結んで、彼に手渡した。
この中にはお弁当が入っている。
レンヴァントは、少し悲しそうに笑うと、私の作った弁当をバッグに入れて、出て行った。
その後ろ姿が眩しく見えるのはきっと、開け放たれた扉の向こうの、朝の光のせいだ。
彼は今、大学生をやっている。




