《2.裏切り者の正体》
グレアス王子のシーラを見下ろす瞳は、虫でも見るかのような鋭くも嫌悪感に満ちたものだった。
会場内はシーラが言い返したことに対して驚く者が大多数である。まさか、この状況で悪足掻きをすることがどれだけ自分の首を絞めることであるのかをほとんどのものが理解しているからだ。恥の上塗り、罪の積み重ね、グレアス王子の機嫌を損ねるだけでなく、侯爵家の立場までも悪くするような愚行である。
「……ほう? つまり自分は無罪であると言いたいのか?」
グレアスの怒気の籠った声にシーラはやや怯える。しかし、表情に出さないように必死に堪えた。ここで弱った姿を見せてしまえば、再び若き騎士が自分を庇おうとするとシーラは理解していた。
「はい、その通りでございます」
1人気高く、助けも必要のないかのように振る舞い。騎士に向けられていた憎悪の矛先をシーラは自分自身にくるようにすり替えた。
「白々しい。第一やっていない証拠なんてないだろう。大人しく認めたほうが罪も軽いんじゃないのか」
──そんなこと言い出したら、やった証拠もないでしょうに。
言い返そうと思えば言い返せたが、シーラはそれをしなかった。既にグレアス王子の口撃対象はシーラであり、騎士のことなど二の次くらいにしか考えていないと見て取れる。つまり、時間の無駄であると考えたからだ。
──毒殺なんて目論んでいないけど、殿下の意思はよく伝わった。私は、本当に邪魔な存在だったということなのね。
グレアス王子のシーラに掛ける言葉はもはや婚約者に向けてのものではなかった。情けの欠片もない。罪人を無表情で断罪する執行官のような……冷たく、言い訳の余地も与えないもの。
そして、シーラに追い討ちをかけるかの如く、1人の人物がグレアス王子の隣に姿を表す。
「あ、あの……」
語気は弱く、控えめな印象を与える細い声。
シーラとは対照的な透き通るように輝く黄金色の長い髪。
背が低く、見るからに小動物的な愛嬌を備えているシーラの妹であるリリス・アルファスターがそこに立っていた。
「どうしたんだリリス?」
先程までの苛烈な口撃はどこへやらと思うほどに、グレアス王子のリリスに向ける言葉遣いは柔らかい。
「え、えっと……言おうか悩んでいたのですが……その……」
リリスは、チラチラとこちらの顔色を窺うように視線を向けながら、最後にはグレアス王子にうるうると揺れる瞳を向けた。
「じ、実は……侯爵邸で、お姉様が男の人と話しているのを聞いてしまって。毒? とか……殺すとか、怖い話をしていて……でも、お姉様のことが大好きだから、このような場所で言おうか迷ってたんです」
──はぁ……やられたわ。姉思いの臆病な妹を演じて、心の中では私を蹴落とすことしか考えていなかったってことね。そもそも、侯爵邸で私が会話をする人なんていない。誰も私のことなんて興味がないし、私にあるものなんてグレアス殿下の婚約者という肩書きだけ。
けれども、その肩書きさえも邪魔に思っていたのがリリス。
「グレアス様が殺されそうになった時、本当に怖かった……だから、グレアス様を守るために……私はお姉様の悪事を公表する決意をしたんです。お姉様は、グレアス様の殺害を計画していました」
どよめく会場。
グレアス王子は、しっかりとした足取りでリリスの方へと歩み寄り、彼女を抱き寄せた。
「ありがとう。よく我慢したな」
「わ、私……うぅっ……グレアス様がご無事で、よかった」
「そうか、心配をかけたな。俺はもう大丈夫だ」
「グレアス様……」
熱い抱擁。まるで2人が世界の中心であるかのような光景に会場中の空気は甘いものへと変貌する。キラキラと輝くドレスの装飾がより一層リリスの儚さを引き立てていた。
感動的な一幕が繰り広げられる中、静寂を破ったのはグレアス王子でもシーラでもなく、先程からシーラを庇い続けてくれている騎士であった。
「お待ちください! そのような個人的な証言で物事を決めてはなりません」
ざわめきを掻き消すように騎士は堂々とグレアス王子に意見する。
「……なるほど。つまりお前は、俺のリリスが嘘をついていると、そう言いたいのだな?」
その一言によって、周囲はさらにざわついた。
「リリスが嘘をついた」と、単純にそう告げれば、こんな事態にはならなかった。だが、グレアス王子は「俺のリリス・・・・・」というまるでリリスのことを愛おしく扱っているかのような言い方をしてしまった。
「おい、もしかして王太子殿下の愛人の噂って……」
「馬鹿、変なこと言うな。こっちにまで被害がくるぞ……」
「本当は、妹の方と親しかったんだ……」
次第に会場では、勝手な憶測が飛び交う。グレアス王子の軽率な言動が次第に大きな波紋となってゆく。
「浮気ってやつかぁ」
「そうなると、シーラ嬢も気の毒に思えてくるな」
周囲の声はシーラへの同情が増え、それに伴いグレアス王子とリリスの顔色はみるみるうちに青くなっていった。
──俺のリリスだなんて。まるで殿下はリリスと特別な関係であったと暗に暴露しているようなものね。
シーラに対するグレアス王子の対応は常に素っ気ないものであった。そしてこれは、貴族社会の中でもよく知られていることである。
婚約者に対して、愛情を向けないグレアス王子は、女性嫌いであると噂されるくらいだった。しかし実際はどうだろう。誰の目から見ても、グレアス王子の心を寄せた人は、婚約者よシーラではなく、その妹であるリリスに向けられているのは明らかであった。
「なぁ……もしかしてさ。シーラ嬢を殿下達が陥れたとか……」
会場内の誰かがそんなことを言うと、会場は水を打ったかのように静まり返った。
その静寂こそが、場の答えであると言わんばかりに。
「……な、なんだその目は!」
シーラのグレアス王子に向ける視線に感情などなかった。
「……妹と、リリスと仲がよろしいみたいですね。リリスの一言で私の罪を確信したかのような感じでしたし。もしかして、婚約者である私のことが邪魔でしたか?」
──もう、どうでもいいけれど……私は、こんな男の婚約者だったのね。今まで全く気が付かなかった。
雰囲気は既にグレアス王子とリリスがシーラを失脚させようと目論んでいるようなものとなっていた。不貞によって、逆恨みしたシーラが復讐しようとしたと考えることもできるが、その場合であっても情状酌量の余地はある。
一つの失言により、グレアス王子とリリスの考えていた通りの筋書きからは大きく外れてしまったのだ。
「今一度申し上げます。私は、殿下の料理に毒を含ませたりはしておりません。殿下とリリスとの関係も、今初めて知りました」
「黙れ……」
「私が毒を盛ったという証拠がございましたら、甘んじて罰を受けましょう」
「黙れ、黙れっ……」
「しかし、もし私の自身の潔白が証明された場合には……」
「だ、黙れ‼︎」
声を荒げたグレアス王子の瞳は瞳孔が大きく開いていた。
「俺に指図するな! 不敬罪だ……衛兵。その女を連行しろ」
戸惑う衛兵は、暫く周囲を見渡したり、シーラとグレアス王子を交互に窺ったりしていたが、流石に王族であるグレアス王子の言葉を無視することはできないと考えたのか、シーラを再び会場の外へと連れて行こうとする。
「……ははっ、それでいい」
思い通りに動く衛兵を高みの見物と言わんばかりに見下ろすグレアス王子をシーラは睨みつける。
そして、ふうと自身を落ち着かせるように息を吐いた後、グレアス王子に向かって吐き捨てるように一言。
「そういえば、圧政によって国を収めた指導者というのは、必ずと言っていいほど同じ道を辿るんですよね」
──身勝手な独裁者は、どこかのタイミングで恐怖心に犯された者に殺される。
深みを持たせた言い方をし、シーラは大人しく立ち去った。
「せいぜいお気をつけくださいませ……」
その呟きがグレアス王子の耳に届くことはなかった。
数日後、シーラとグレアス王子の婚約破棄が大々的に報告され、貴族社会をざわつかせることになる。この婚約破棄によってグレアス王子は後々窮地に陥ることになるのだが、そんなことはまだ誰も予想していなかった。
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