《1.私が追放令嬢になった日》
「お前ッ、王太子殿下から愛されないからって、毒殺を目論んだのか⁉︎」
「はい?」
「言い逃れなんてするなよ。こんなことするのは、お前くらいしかいないんだからな!」
──貶められたわね。
シーラの脳裏には、その事実だけが浮かんでいた。
王家主催の国王殿下誕生パーティー。事件は周囲の暗くなる夜会の席で起きた。
この国の時期国王候補であるグレアス王子の食すはずであった料理に毒が盛られていたのだ。立場上、このような死の手は王族にとって日常的に迫り来るものであるが、よりにもよってこのようなめでたい日に悲劇は起こったのである。
幸いグレアス王子が食事を口入れる前に毒見役の従者が泡を吹いて倒れたことにより、グレアス王子が被害を受けることはなかった。
「どういう意味でしょうか?」
「とぼけるな! この料理に毒物が混入していたのは、お前が入れたからだろ! 愛する王太子殿下が手に入らなかったからって、殺そうとするとは……本当に愚かな女だな」
──違う。私ではない。
シーラはそう口に出そうとして……結局黙り込んだ。
周囲から向けられる視線は懐疑的なものであり、まるで罪人を射殺すかのような悪意に満ちたものばかりである。
目の前にいるシーラを糾弾していたガラク伯爵家のゲーニッツは薄気味悪く微笑む。陰気な瞳と赤黒い髪がゲーニッツの心の内を表現しているかのようで、シーラにはその醜い感情がひしひしと伝わってきた。
「はぁ……本当に愚かだな。この会場に貴女の味方など一人もいない。なぁ、シーラ・アルファスター」
ゲーニッツの言う通り、シーラに親しいと呼べるような人物はいなかった。むしろ、シーラのことを蹴落としたいという敵対心剥き出しの令嬢や、威圧的なシーラを遠巻きに避ける令息が大半である。
グレアス王子が狙われたことを喜ぶものはいないが、シーラを陥れるという点を都合よく考える貴族は多かった。
「お前はもう終わりだ。……衛兵、この女を捕らえろ!」
数名の兵士がシーラの方へと近付いてくる。
「……冤罪です」
「そんな戯言はどうでもいい。大人しく処罰を受けろ」
「どうしても、私を悪役に仕立てたいのですね」
「仕立てたいのではない。それが正しいのだ」
当の王太子は急遽会場の裏手に下がっており、目の前に姿を表さないが、事態は悪い方向へと進んでいた。
シーラと王太子の間に特別な関係は存在していなかった。婚約者という肩書きはあったものの、上部だけのものでしかなく、シーラ自身も王太子に対して好意を寄せるようなことはなかった。
──殿下との冷めきった関係を利用されたということね。
シーラの婚約者であるグレアス・リフ・アズラエル第一王子は、女性に興味を示さない人物であった。それは、婚約者であるシーラも例外ではなく、彼は王宮が主催したパーティーや催しに出席はするものの、表舞台にあまり顔を見せないことで有名であった。
「シーラ嬢、この婚約は王家とアルファスター侯爵家の関係性を強めるためのものでしかない。くれぐれも私が君のことを愛するなんて浅ましい勘違いはしないでくれよ」
シーラがグレアス王子から初めて告げられた言葉はそんな酷く刺々しいものだった。
──元々この婚約に乗り気でなかった殿下が私を追い出すためにこんなことを画策した可能性は大いにありそうだわ。
落胆することはなかった。
シーラはただ一点を見つめる。
「これは、殿下の命ですか?」
「……お前に喋ることは何もない。大人しく処罰を待て」
シーラの視線の先は、王族の集う席へと向けられていた。
王太子の姿は未だ見えない。しかしながら、その場所に目を向けずにはいられなかった。
ゲーニッツの言葉などあまり耳に入らないくらいシーラの意識は、今後の自分の辿る末路を見据えていた。
──無様な最後ね。
社交界復帰は不可能であり、仮に冤罪が証明されたとて、シーラに関する悪い噂が消えることはない。
婚約も解消され、よくて国外追放、最悪の場合は処刑までありゆる。
──お父様は、我が家名に泥を塗るなんてと怒るでしょうね。けど、罪悪感なんてない。家族にすら愛されたこともなかった。うちの家族が私が処罰を受ける影響で名声を落とし、信用を失い、絶対的な地位から引きずり下ろされたとしても……。
いつのまにかシーラは兵士に囲まれ、両腕を掴まれる。振り解こうとしても離してもらえないほどにガッチリと固定されてしまった。
「……はぁ」
──扱いが大罪人ね。濡れ衣にしたってやりすぎなくらいだわ。
「なんだ? 今更後悔しても遅いぞ」
ゲーニッツは見下すようにシーラを睨みつける。元々シーラのことを敵視していたゲーニッツにとって、シーラが取り押さえられている場面はさぞかし滑稽に映っていたことだろう。しかし、シーラは動じる様子を見せない。
「後悔とかではありません。……周囲に潜んだ害意のある存在を野放しにしてしまった自分に対して失望しているところです。……例えば、頭の足りないガラク伯爵家に無茶苦茶な理論で罪を着せられたこととかね」
「減らない口だな。お前自身が害悪そのものだろ。だいたいこの状況を見て、俺に頭の足りないなんぞ言える立場か? お前は俺より下なんだよ」
ゲーニッツは吐き捨てるようにそう言い、そのままシーラに背を向ける。劣等感を掻き消すように、言い聞かせるようにゲーニッツの拳は強く握られていた。
「せいぜい自分の犯した過ちを悔いていればいい」
そのままシーラは兵士に引っ張られる形で、会場の外へと連れて行かれそうになる。周囲の貴族はこちらに視線を集め、ただコソコソと小声で喋っているだけだった。
──1つ弱点を見つけたら無限に叩かれる。はぁ、貴族社会なんて息苦しいだけだったわね。人は皆、誰かを傷つけることが大好きで、自分が痛みを味わうことを嫌うくせに、他人を簡単に傷つけるようなことをする。
本当に人というのは醜い生き物だわ……。
自分を嘲笑う者達の醜さを噛み締めながら、シーラは床に視線を落とし、大人しく兵士に連行される。しかし、会場の扉の前に差し掛かった時、シーラは足を止めることになった。
「お待ちを」
籠ったような若々しい声がシーラの耳に入る。
振り返ると、騎士の1人がシーラを連行している兵士の肩に手を置き、引き留めていた。
頭はすっぽりと兜に覆い隠され、顔は見えないものの、足取りや細かい所作などから若さを感じさせる騎士。シーラはそんな名も知らぬ騎士の思わぬ助太刀に意識を奪われていた。
「調査が足りないにも関わらず、この方が罪人であると決めつけるのはおかしいと思います」
騎士はそう言い、シーラの腕を掴んでいた兵士の手を強引に剥がす。
「おい、これはゲーニッツ様の命令だ。逆らうのか?」
「逆らう? いいえ。真実を述べただけであって、逆らおうとしているわけでは……」
至極落ち着いた様子で、振る舞う騎士に対して、シーラを連行しようとした兵士は顔を赤くして苛立ちを募らせている。
「お前……不敬罪で、捕まるかもしれないぞ! さっさとこの手を離せ!」
「正確な調査を……もし本当にその方が王太子殿下の料理に毒を盛ったという証拠が出てきたのなら、喜んで処罰を受けましょう。……しかし、このまま根拠もなく、か弱い女性が罰されるのを認めるほど、騎士として廃れておりません」
──驚いた。王宮勤めの騎士であるのに、嫌われ者の私なんかを庇ってしまうなんて。
シーラにとって、庇われるというのは本当に予測できない出来事であった。会場の全てが敵であると考えていたのにも関わらず、予想外の場所に自分を擁護してくれる存在がいたのだ。
「おい、騒がしいぞ。なんの騒ぎだ」
シーラを助けた騎士とシーラを連行する兵士が揉めていると、壇上からよく通る声が会場に響いた。
「お、王太子殿下! 実は、令嬢を連行しようとしていたところ、そちらの騎士がそれを止めようとして……」
ゲーニッツはグレアス王子の登場に気がつくと、即座に現状の説明をする。簡単に説明を受けたグレアス王子は、渦中の騎士の方へと視線を向けた。
「……お前は王家の決定に逆らうというのだな?」
はっきりとグレアス王子は王家の決定という言葉を発した。
──やっぱり、グレアス王子も一枚噛んでいた。
今回の騒動における大まかな意図をシーラは察した。婚約者に対するこの仕打ち。グレアス王子がシーラを消し去りたいという強い意志を持っていることは一目瞭然であった。
グレアス王子に牽制された騎士もこれではもう何も言い返せまいと、シーラは考えて騎士の様子を窺ってみたが、その予想は大きく裏切られる。
「誤解にございます。騎士として公正な判断が下されていない以上、誤った処罰を見過ごすことができないというだけのことにございます」
──言い返した……この人、自分の命が惜しくないってこと⁉︎
騎士に反論されるとは思わなかったのか、グレアス王子は驚いた様子で眉を顰める。しかし、騎士の言い分など歯牙にも掛けない様子で口を開く。
「……ならば、私からの命令だ。その女は連れて行け。今後私の前に二度と姿を表せないように遠くへ飛ばせ。この都市から追放する! 早くしろ!」
傲慢な態度で騎士を睨みつけるグレアス王子は、傍目から見ても暴君のような言い草であった。
「恐れながら、正確な調査を行わずに罰則を与えるというのは、王家の権威を貶める可能性があると進言します。何卒、お考え直しを……」
「口を慎め、騎士風情がっ!」
やばいと、会場にいた全員が感じた。
グレアス王子の憤慨を冷静に受け止めていたのは、その場においてシーラを救った騎士とその他の王族だけであろう。
「この期に及んで、私に反論するとは……よほど死にたいらしいな」
──不味いわ。このままでは、私を助けようとしてくれた名も知らない優しい騎士の方まで巻き込んでしまう。私だけが被害を被るだけならまだ自業自得ということで心の整理がつくけれども、他の人を巻き込んで落ちぶれるなんてこと罪悪感に苛まれ続ける人生になってしまうわ。
シーラは、誰かの不幸を望んでいなかった。ましてや、自分が誰かを不幸にしたという事実があれば、それが自分にとっての重い十字架になるであろうと分かっていたからでもあった。
──力を持たない1人の騎士を踏み台にしてまで、私は助かりたくない。
「……もう、いいです」
「えっ⁉︎」
「庇ってくれてありがとう。とても、嬉しかったわ」
そう一言、騎士の彼にだけ聞こえるようにシーラは呟く。そうしてシーラはグレアス王子に視線を向けて、一言だけ。
「殿下、私は罪を犯したつもりはございません」
殺人未遂犯に仕立てられた悪女は堂々たる立ち振る舞いで真っ向からグレアス王子に向かってそう告げた。
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