13話 リアーヌとライゼガーヴ
少し長くなってしまいました。
ベリルの元から開放されたアサッシンは、直ぐに命令者の元へと戻った。
「会頭、只今戻りました。」
「無事であったか。リアーヌには大変な役回りをさせてすまなかったな。」
戻ってくる時間がわかっていたのだろうか。ライゼガーヴは手に温かい飲み物が入ったコップを2つ持ち、今入室してきた女性にその片方を差し出した。
「いえ、問題ございません。あの程度のことでは、ご恩返しにもなりません。」
リアーヌと呼ばれた女性はうやうやしくコップを受け取り、その中身に口をつけた。
「今一度重ねて申すが、無理はするなよ? 儂は、お前に不幸になって欲しくは無いのだからな。」
ライゼガーヴの気遣いとその優しさに触れたリアーヌは、彼との出会いを思い起こしていた。
リアーヌは、元々他国で両親とともに慎ましくも幸せな生活を送る一般庶民だった。
ところが3歳になったある日の事、突然家に侵入してきた者達に両親は惨殺され、リアーヌは誘拐されてしまったのだ。
両親を殺害しリアーヌを誘拐したのは、このウェルブラスト存在するアサシンギルドの前幹部だった。幹部という言葉の前に前とつくのは、任務の途中で死亡し既にこの世に居ないからだ。
彼は生前リアーヌの他にも多数の幼い子供を誘拐しており、その全員にアサッシンとしての教育を施した。
特に彼らが叩き込んだ戦闘訓練は、落伍者が全て死ぬという程に過酷なものであった。幸い才能があったリアーヌは、過酷な訓練に耐えてなんとか生き残る事が出来たのだが、それも長くは続かなかった。
ある時、戦闘訓練中に乱入してきた魔物達を相手に戦っていたリアーヌは、危機に陥った仲間を庇って足の骨を折る重傷を負ってしまったのだ。
非情を是とするアサッシンにとって、それはあってはならない致命的な行為である。この襲撃によりアサッシンに多数の被害が出た事もあり、その場での処刑を免れたリアーヌではあったが、近い内に処刑されるであろうことは火を見るよりも明らかであった。
幸か不幸か、足を折っていることから監視の目が緩い事に気づいたリアーヌは、その夜単身で脱走を図った。同年代の仲間が見逃してくれた事もあり、リアーヌはとある倉庫に潜伏することに成功した。
骨折の痛みと高熱に加え、逃走時の疲労で意識を失ったリアーヌは、気がつけば侵入者として捕らえられ、どこかの一室に監禁されていた。
ところが不法侵入者であるリアーヌの額には熱冷ましの為か濡れた手ぬぐいが置かれ、骨折箇所には添え木がしてあった。彼女が生きながらえるのに適切な治療が、全身に施されているようだった。
リアーヌが自身の状況を確認していると、そこへ尋問ならぬ面会に訪れたのが倉庫の所有者であるライゼガーヴであった。幸いなことに、リアーヌはライゼガーヴと面識があった。
アサシンギルドはその性質上、メンバーの面が割れることを極端に恐れる。そのため会合等には極力参加せず、給仕役は専ら容姿に優れた子供の仕事であった。
ライゼガーヴは会合の為にアサシンギルドを定期的に訪れるのだが、子供達の出自を聞かされており、そのため給仕役の子供には常に気遣いをしていた。リアーヌは、彼が気遣いをしていた子供の一人だったのだ。
彼は事情を察すると、リアーヌを保護した。アサシンギルドは脱走者に対して漏れなく追手を差し向けて始末する組織である。
そこで、ライゼガーヴはリアーヌのためにアサシンギルドと交渉を行った。リアーヌを彼の手元に置き子飼いとすることで、ギルドに所属したまま自分を手伝うのだから脱走ではなく、これは協力である等と主張したのだ。
これは屁理屈にもならない程で完全な詭弁ではあったが、その必死の交渉の結果、アサシンギルドはリアーヌの一切を黙認する事で話がついた。毒薬等を安全に仕入れるためには、アサシンギルドとしても彼の協力が不可欠であるという事情も有利に働いた。
ただしライゼガーヴが裏切らない事の証明として、リアーヌを薬師ギルドとの仲介時に重用する事が条件とされた。何れにしてもライゼガーヴのお陰で、リアーヌは死を免れただけでなく、暗殺者としての非道の道から逃れることが出来たのである。
ライゼガーヴの奮闘により、リアーヌは彼の営む商店『スカーヴァティー』の従業員となり、そして専属で動くアサッシンともなった。ただし暗殺を命令される事はない。普段は商店の従業員として働き、偶に諜報員として活動を行うのだ。
勿論取り決め通り、薬師ギルドとの仲介時にはその仕事を担っている。裏帳簿の管理などもその一つであった。それでも人の命を奪う仕事に比べれば、罪の意識はそれほど感じなくて済む仕事だった。
そんな事からリアーヌは恩義を感じており、ライゼガーヴの為なら死ぬことすら厭わぬ覚悟を持っていたのであった。
「して、首尾はどうであったか。」
ライゼガーヴの言葉で、リアーヌは過去の回顧から現実に引き戻されたようだ。
「ご希望通り、会頭の真意は伝わったと思います。最後は彼らと仲良くなってまいりました。あの方々は信用出来ます。ただ、侵入した際は大変恐ろしゅうございました。」
リアーヌは言葉とは裏腹に、淡々と報告している。これはアサッシンとしての訓練の賜物と言えるだろう。
「こんな時間まで申し訳ないとは思うが、どのような様子だったかをもう少し詳しく報告してくれるか?」
リアーヌの言葉にライゼガーヴは心配する表情を見せた。この男は、他人には厳しい姿勢で望むのが常であったが、リアーヌには殊のほか優しかった。
「会頭が仰られた通り、ベリルという魔導師は得体が知れません。見た目は、成人して間も無い普通の男性という感じです。ですが、身に纏う雰囲気が尋常ではありませんでした。」
「どんな雰囲気なのだ?」
「そうですね。強いて挙げるとすれば、最も近いのはギルドマスターでしょうか…。仲良くなってからはとても穏やかになったので、全く同じというわけではありませんけれど…。」
リアーヌが言うギルドマスターとは、ウェルブラストの現アサシンギルドのギルドマスターの事だ。
「けれど?」
言い淀むリアーヌにライゼガーヴが続きを促した。
「帰り際に同じく仲良くなった同室の女性に言われたのですが、彼は睡眠を邪魔されると非常に機嫌を損ねるそうです。私が最初に感じた雰囲気の正体は、恐らくそれだと思います。」
「そういえば手に入れた情報の中に、ベリルは寝起きの機嫌が最悪だというものがあったな。それを聞いた時は、実にくだらない事だと一笑に伏したのだが、今後は気をつけたほうが良さそうだ。」
「でも機嫌が悪くはありましたが、激情に身を任せるような感じではありませんでした。努めて冷静な様に見受けられましたから。」
リアーヌはライゼガーヴの言葉に情報を補足した。
「そこは情報と少し食い違っておるな。睡眠を邪魔したら王様でもぶっ飛ばすだの、怒りに任せて悪魔をぶっ飛ばしただのと聞いておったのでな。」
そのライゼガーヴの言葉にリアーヌが戦慄した。
「な、なんですかそれは!? 最悪ってレベルでは済まないような…。」
「だからこそお前をベリルのところに行かせたわけだ。激情に身を任せて短慮な行動を取るような男とは、手を結ぶ事など出来ないからな。」
「ただ、もしかすると同室の女性のお陰かもしれません。自分が抑えになっているような事を言っていましたから。」
「奴と一緒にいた女性のことだな。一言も喋らなかったので、儂もどういった者なのかは一切わからん。あの者の情報は何も無かったのでな。」
「彼はグレースと呼んでいました。ご存知ありませんか?」
「聞いた事の無い名前だ。後から増えた仲間なのかもしれんな。」
「二人からは非常に仲睦まじい印象を受けました。ただ、あのグレースという女性も只者ではありませんね。ひょっとすると彼より強いかもしれません。」
「それ程なのか?」
「私がベリルに向けて繰り出した短刀をいとも簡単に受け止めました。その上、一瞬で私の短刀をバラバラに切り裂いてしまいました。あの短刀は、会頭から頂いた大事なマジックアイテムだったのですが。」
「良い。高価だったとはいえ、所詮あれはただの物だ。お前の命には変えられん。」
「ありがとうございます。ですが私が一番気になった事は、実はそこではありません。
私がベリルを攻撃するフリをするまで、彼女の手には何も握られていませんでした。
ところが、何も持っていなかったはずなのに彼女は一瞬で手に剣を持っていました。その動きがあまりに疾すぎて、私の眼には全く見えませんでした。」
リアーヌはあの一瞬の攻防を思い出したようだ。その額には、若干の汗が浮いているのが見て取れる。
「それほどの技量か。手練れかそれとも達人というところか。あれほど若い女性が、一体どれほどの修練を重ねてきたのであろうな。」
「技量も素晴らしいのだと思いますが、それだけで魔力を帯びた短刀を粉々に切る事が出来るとは思えません。それに、あの黒い剣は凄まじい切れ味を持つように見えました。あれ程の威力を持つ武器を、私はこれまでに見たことがありません。」
そのリアーヌの言葉に、ライゼガーヴがハタと気づいた顔を見せた。
「リアーヌよ。今、お前は黒い剣と言ったのか?」
「はい。それが如何致しましたでしょうか。」
「ひょっとしてその剣の刀身は…、漆黒ではなかったか?」
ライゼガーヴが確認するように言葉を紡いだ。その様子は、まるで聞きたくない言葉を確認するかのようでもあった。
「言われてみれば、確かにその通りです。ガラスの様だったと申しましょうか、純粋な闇そのものという感じでした。闇の深淵に染まったら、あの剣の様になるのでしょうか…。」
ガッシャーン!
それは、ライゼガーヴが手にしたコップを取り落した音だった。割れた破片が部屋の中に飛び散り、コップの中身の液体が床を派手に汚している。
リアーヌが慌ててライゼガーヴを見やると、彼の手は震えているようであった。ライゼガーヴは信じられないとばかりに、驚きで眼を見開いているようだった。
ライゼガーヴは実際に人や魔物と戦った経験は無いが、こんな商売をしている手前、有用と思われる様々な知識を身につけている。その知識の中に今の話と合致する情報があり、恐怖とともにそれに思い至ったようだ。
「ま、まさか…、デイモンズ…ブレイド……なのか!? しかもそこまでとなると、相当な高位だろう…。」
悪魔の刃とは、悪魔が生まれながらにして持つ武器であり、種族や階級で持つ武器の種類が違うと言われている。
武器の種類は様々だが、一般的によく知られているのは槍、爪、剣である。弱い悪魔はほとんどが槍を持ち、中級悪魔は爪を持つとされる。
上位悪魔は例外なくソードタイプとなり黒剣を所持しているのだが、その色合いで強さが決まるとも言われ、濁りが少ない物ほど上位の存在であるという。
その武器には強力な魔力が呪いと共にこめられており、付与効果は悪魔によって千差万別とされる。触れた者に強力な毒を与える物や、中にはあらゆる病魔を植え付ける物さえあるらしい。
ちなみにこの手の話題になると、爪は刃では無いのではないかと必ず議論になる。だが、学者に言わせると実際にそれで切り裂く者がいるのだから、表現として間違ってはいないという結論になるのだった。
リアーヌが見た物は、間違いなく相当な高位悪魔が所持するデイモンズブレイドである。
何故そんな危険な存在がベリルと共にいるのだ。とライゼガーヴは戦慄せずには居られなかった。
「あの…、お顔が優れない様ですが、大丈夫でしょうか?」
リアーヌがライゼガーヴを気遣うが、その耳には声が殆ど届いていないようであった。
果たして、このままベリルと手を結んでも良いものだろうか。そして、あの若者はこちらの願いを聞き届けてくれるのだろうか。とライゼガーヴは思い悩んだ。
リアーヌを心配するあまり一睡もせずにいたライゼガーヴだが、疲労したままの頭を必死に働かせている様子であった。
その思考は、陽が完全に登り切る頃まで続いたのであった。
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