6話 欠食児童
ヴァルテルとカチアの二人を連れた俺達は、まず最初に宿泊先を探すことにした。
今の時間は午前11時頃だろうか。殆どの泊り客はチェックアウトしている頃合いだ。
しかし適切な水準の宿が中々見当たらなかった。宿自体は多いのだが、手頃な宿は大半を長期滞在者が抑えてしまっている。
何故俺が水準に悩んでいるかと言うと、あまりにグレードが低い宿だと防犯の面から不安があり、逆に高い宿だと子供達に将来的な不安が出てくるからだ。
まず、高級な宿に宿泊するのが何故駄目なのかというと、俺が彼らに良い生活を経験させてしまうと、元の水準の生活に戻る時に毎日が辛くなる事を懸念しているからだ。
例えば美味しい肉を食べた人が肉の無い生活に戻った後、不満を感じずに日々過ごす事が出来るのかと考えてみて欲しい。俺が言いたいことが、良くお分かりいただける事と思う。
後のことを考えないならそれでも良いが、俺が面倒を見ると言った以上はその場だけお世話をするような、そんな自己満足で終わるわけにはいかない。
それが一時とは言え、保護者となった大人としての責務なのだと俺は思う。
そしてグレードの低い宿についてだが、これはわかりやすい話だと思う。
まずサービスの質は悪く、睡眠の質がどうしても低くなる。辛い想いをしてきた子供がやっと安心出来る環境に一歩近づいたのだから、まずはぐっすりと休ませてあげたい。
そして先程も述べた通り、防犯の面からも宜しくない。それは直接的な問題でも、間接的な問題でも同じことが言える。
直接的な問題というのは、利用者の質の問題である。こういった宿には、ガラが悪かったり、ややこしい人達が寄り付く可能性が高い。
何かを直接仕掛けてくる可能性もあるし、壁が薄かったり扉の建て付けが悪いなどの問題が出てくる事もある。
子供と女性を連れているので、特に遠慮したい環境だ。
グレースは眠ることがないので、彼女に警戒してもらえばそこでも防犯上問題が無いと思われるかもしれないが、実は悪手である。
他の利用客が、グレースのようにスタイルの良い美人をみて大人しくして居るわけがないからだ。
まず間違いなくトラブルに発展する事だろう。それも口論で済むはずがなく、下手をすると狭い建物の中で大立ち回りをする羽目になる。
対処自体は可能だが、悪目立ちをすると更なるトラブルを呼び込む可能性が高い。また、せっかく街の中に入れた二人の子供に対し、周囲の心象が悪化するのも避けたい。
だが、そもそも子供の前で大人の醜態なんて見せたくはないし、まして血を見せるような事もしたくなかった。
それと間接的な問題だが、これは立地の問題である。地震や火災等の異変が起こった際に、狭い裏路地に位置するような宿では退避が難しい可能性があるのだ。
こういう事はとても申し訳ないのだが、教養や生活水準が低い者程、異変の際に大荷物を持って逃げようとする。そうすると、荷物が通りを塞いで人が通れなくなる事もあるのだ。
逃げる人が大勢いる狭い路地の中を、何十台も荷車が通れるはずはない。勿論すぐに分かる事だが、家財を失うと生活が困窮することを考えると手放すのは難しいだろう。
気持ちはとてもよく分かるのだが、それが原因で逃げ遅れたり大群に押されて踏みつけられ重体になる可能性を考えると、あまり良い事とは言えない。
少し話が脱線してしまったが、特に今は色々とややこしい問題が発生しているわけで、何時それに巻き込まれるとも限らない状況だ。
そういった事を考えると、グレードの低い宿は避けた方が無難であった。
必死に街中を巡り陽が頂点に達した頃になって、漸く俺達は『河のせせらぎ亭』という1件の宿を見つけることが出来た。
白い色で統一された外観の建物は比較的新しく、立地も悪くはない。パッとみた感じだが、建物の構造や材質も悪くはなさそうだ。
宿泊代は一人1泊銀貨5枚と手頃な上、客室も清潔であり文句のつけようがなかった。唯一問題があるとすれば、食事がここでは提供されない事くらいだろうか。
普段は食事も提供しているそうだが、女将が病気療養中の母を見舞うために実家に帰っているらしく、今は無理なのだそうだ。
それで値段が安かったというわけだ。本来は銀貨7枚の料金を取っているらしい。宿の主人も毎日三食とも外食しているのだそうだ。
あの店は味はとても良いのですが、栄養が偏って困るのですよと言って笑ってはいたが。
これからお世話になるので何とかツッコミを入れるのを堪えたのだが、あれはツッコミ待ちというやつなのだろうか?
本来はここで食事をしたかったのだが、無いものは仕方がない。栄養はともかく味は良いらしいので、まずはこの空きっ腹を宥めるべく俺は宿の主人が行きつけのお店を紹介してもらった。
チェックインの手続きもそこそこに、俺達はそのお店へ食事に出かける事にした。
その紹介されたお店には、なんと屋号が無かった。店に到着して早々に気づいたのだが、はっきり言うとお店とは名ばかりの屋台だった。
提供される料理は、魚の丸焼きの1種類のみだ。1匹銀貨1枚と決して安くはないのだが、2匹纏めて注文するとエールが1杯無料で付くらしく、それを目当てに地元の客が通うようなお店だった。
客席を見ると、焼き魚を少しずつ摘まんではチビチビとエールを口にする中年親父と老人の姿ばかりだった。
栄養が偏る等と言っていたが、どうせこんな事だろうと思った。これはどう見ても、ただの一杯飲み屋だ。
あの主人はただの酒飲みだったか。毎日魚と酒しか口にしなければ栄養も偏って当然だろう。やはりあの時ツッコミを入れておくべきだった。
料理と言えるかどうかはともかく、シンプルなだけに提供が早いのがこの店の売りのようだ。
空腹でツッコミを入れる余裕がなくなってきた俺は、焼き魚を一人2匹ずつ注文し銀貨8枚を支払った。俺は飲酒の習慣がないのでエールを断り、グレースも必要ないと断っていた。
注文してすぐに串に通された焼きたての魚が出てきた。塩でシンプルに味付けをしているらしい。
この店は時期によって提供する魚が違うらしく、今日の魚はウグイというらしい。ここは河が近いから新鮮で、釣ってすぐに下処理をするらしく特に泥臭くはない。
今が冬なら脂が乗っており最高に美味らしいが、残念ながら今は春だった。
ヴァルテルとカチアの二人を見やると、何かを言うこともなく既にがっついていた。
「二人共おいしいか?」
「旨い!」
「美味しい!」
満面の笑みを浮かべている。味に満足してくれたようで良かった。グレースを見ると、こちらも美味しそうに食べていた。
空きっ腹ということもあるが、旬ではなくても旨いものは旨い。瞬く間に魚を食べ尽くした俺達は、もう1匹ずつ注文をするのだった。
俺はヴァルテルとカチアの事を考えた。この二人をどうするかだな。二人が自立出来るように支援するとは言ったものの、正直どうするかというプランは今の所ない。
昔の偉い人が、困った時は来週の自分がなんとかするだろうと言う偉大な言葉を残したが、今の俺達にそれ程の時間的な余裕はない。
まずは、彼らがしばらく住む場所の確保が先決だ。少し資金的な援助をして後は自分で稼げるように持っていく。そうすれば後は自分達で食事と住居の資金を手当出来るようになるだろう。
今の宿も悪くはないのだが、本来の宿泊代は二人併せて毎日銀貨14枚にもなる。これはかなりの出費になるので、出来れば違う方向で考えたい。
二人をハンターとして登録させてもいいが、なるべく危険な目に合わせたくはない。
誰か大人をみつけて引き取ってもらうかだが、田舎なら労働力として引き受けてくれる家は多いだろうが、ここは都会なので先ず見つからないだろう。
そうなると、どこかの屋敷か商人のお店に住み込みで働くのが良いのだろうか。だが、大抵こういった都会では確かな身元の保証がなければ引き受けては貰えないだろう。
参ったな。良い考えがすぐに浮かんでこない。
そんな事を考えつつ銀貨4枚を追加で支払っていると、建物の間からこちらを見つめる複数の視線に気がついた。姿はよく見えないのだが金目当てなのか、それとも監視されているのだろうか。だがその視線には不思議と敵意は感じなかった。
俺は見てないで出てこいと言おうとした時、あちらの方から近づいてきた。全員が小さな子供で、10歳以下に見える。その数は6人で、古着らしい継ぎ接ぎだらけの服を来ており皆一様に痩せこけている。どうやらこの辺りに住む孤児のようだった。
その子供達は、俺達を見て一斉に口を開いた。
「魚ぁ…。」
「お腹すいた…。」
「何か食べさせて…。」
「何日も何も食べてないの…。」
「ご飯くれよお…。」
「にゃー…。」
言ってることが完全な欠食児童のそれだ。既にその視線は俺達の方を向いておらず、ちょうど運ばれてきた焼き魚に釘付けである。中には涎を垂らす子供までいた。最後の一人は何だか違うようだが。
2匹食べた後なのでそれなりに空腹感から開放されている俺は、いたたまれなくなり、とても食べる気分にはなれなかった。
とはいえ俺の魚は1匹だけで、6人分も無い。
「可哀想に…。お前らも食うか?」
そういったのは俺ではなくヴァルテルだった。
「いいの~? やったー!」
子供達が喜んで、口々に魚を注文している。
「ヴァルテル君、お金持ってたのかよ。」
俺は彼の気前の良さに驚いた。お金を持っているのなら、あの騒動は何だったんだと言いたい。
でもまさか、な…。
「そんなの持ってるわけないじゃん!」
「やっぱりかよ!? 支払いはどうすんだよ!」
「そんなのベリル兄ちゃんが払うに決まってるじゃん。」
ヴァルテルが当たり前だとばかりに胸を張る。
こいつはなんでそんなに偉そうなんですかね? 俺の事情はガン無視らしい。
確かに可愛そうだとは思うけど、さすがに8人も面倒見きれないぞ。
そんなヴァルテルと俺を横目に、カチアは魚に食いつきつつも知らんふりをしているのだった。
「そんな余計なお金はない。俺なんかより昼間から酒飲んでる周りの大人達に集れよ。」
「あー、無理無理。みんなツケで飲んだくれてるんだから。」
子供の一人が教えてくれた。なんで揃いも揃って、皆態度がデカイんだろう…。
「もしかして、駄目…なの?」
俺の抗議の声を気にしたのか、ヴァルテルが泣きそうな顔になっている。グレースも何か言いたそうだ。そんな顔をされたら嫌とは言えないじゃないか。
「あー、もう! わかったよ。好きなだけ食いやがれ!」
女子供の泣き顔には勝てません。俺は諦めることにした。
どうせそれほど大した金額にはならないだろうし、放っても置けないのでしょうがないか。
「いよっ、おだいじん!」
なんだそのヨイショは。どこの太鼓持ちだよ。逞しすぎて、呆れるよりも逆に関心するわ。
全面降伏した俺はこうして子供達に集られたのだが、勿論この騒ぎがこれだけで終わるはずは無かったのだった。
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