32話 報酬の要求
俺の懸念通り、直後に空気が重くなった。急激に高まり出すグレースの魔力が感じられる。
やはりグレースは怒っているようだ。まだかなり抑えているようだが、グレースがキレたらヤバイ。
美人はキレても絵になるが、そんな呑気な事を言っている場合ではない。
下手をすると、この建物を中心としたクレーターの出来上がりだ。塵一つ残さないだろう。
それでなくても、グレースは高位悪魔なのだ。力の一端を見せようとしてグレースが本気を出した瞬間に、シュタイナー達3人は間違いなく発狂してしまう。
アークデーモン以上になると、普通の人間が遭うことは先ず無い。だから、彼らが全力を出した姿を見るだけで発狂するという事実がほぼ知られてはいない。
この至近距離でいきなり本気を出されたら、彼らは抵抗する暇もなく発狂して死ぬだろう。これがあるから高位悪魔は危険なのだ。
暗黒属性適性があれば無条件でレジスト出来るのだが、当然この適性の所持者は極端に少ない。この3人が持っている可能性は絶望的だろう。
頭の中に俺がお尋ね者になるかもしれないという現実がチラつく。
未だグレースの魔力が高まり続ける中、一番焦っているのは間違いなく俺であった。
そんな事を知らない3人は、果たしてどう思っただろうか。
俺が目を向けると、かなり驚いているようだ。未だ一言も喋っていないこの正体不明の美女が、ブレイズの意見を聞くや否や異様な程の魔力の高まりを見せ出したからだろう。
既に普通の人間の魔力の放出量を超えているにも関わらず、グレースの魔力はそのまま更に高まっていく。
ガタガタガタガタッ
地震かと思ったが、どうやら3人が震えている音だったらしい。特にブレイズは顔面蒼白で額に汗がびっしりだった。
「グレース。」
俺はグレースを見つめ、呼びかける。
「でも…。」
そういいつつ、グレースがこちらを見つめてくる。声を掛ける前は目に怒りを浮かべていたが、俺の目を見ると心配するような顔になった。
「心配するな。俺を信じろ。」
俺はグレースの頬に左の掌をあて、その目を見つめながら言い聞かせるように話しかけた。
「うん…。わかったわ。貴方なら信じられる。」
その言葉と共に、グレースの魔力の高まりが収まった。
さすがに高位悪魔だけはある。我々人間とは異なり魔力との親和性が高いせいか、感情と共に無意識に魔力が高まるようだ。
この程度の安い挑発で感情を昂ぶらせなくて済むように、グレースにはもう少し話をしておいた方が良さそうだ。
そうでなければ、彼女が不機嫌になる度にフォローと後始末で俺が大変なことになる。ヤレヤレだな。
「そ、そちらの方は…。」
アレクシア嬢がグレースのことを聞いてきた。やはりいざとなると、女性は男性よりも度胸があるな。
「そういえば未だ紹介していませんでしたね。彼女はグレース。俺の嫁です。」
「グレースだ。」
グレースの口調が硬い。やはりまだ機嫌が悪いようだが、これは仕方がない。
「今の魔力の高まりは一体…。ベリル、お前の嫁さんは只者じゃあないな?」
「まあね。すごい美人でおまけに可愛い自慢の嫁ですよ。」
「か、可愛い…。」
俺の言葉を聞いて、グレースが顔を両手で隠した。耳まで真っ赤になっている。
その様子に俺を除く一堂が唖然としていた。
「新婚なもんでね。まだお互い慣れていないと言うか、少しずつ距離を詰めていってる感じでしてね。」
「そんなことより、すごい魔力だったな。ベリル以上かもしれん。」
「彼女は超一級の魔導師ですからね。まだ本気は出していませんよ。」
「あれでまだ余裕があるのか…。凄まじい夫婦だな。街中で夫婦喧嘩だけは起こさないでくれよ?」
「俺達がそんな暴力的に見えますかね?」
喧嘩するつもりはないけど、やったとしても口喧嘩くらいじゃないかな? まあ敵には容赦しないけど。
「いや、だってなあ…。」
「そうですよ。今の威圧怖かったですし…。」
「ちょっと感情が昂ぶっただけで、威圧したわけじゃない。魔導師なら誰にだってそういう時はある。」
「アレクシア、そうなのか?」
「またベリルさんが適当な事を言ってるだけです。」
アレクシア嬢は相変わらず俺に容赦がない。言われている事は本当の事だけど。
「とまあそんなわけで、俺を脅しても無駄な事だ。死にたいのなら受けて立つからそのつもりでな。」
「じゃあ、協力はしねえってことか? 国家からの要請なんだぞ?」
「協力はしてもいいが、その代わり報酬を要求する。俺の命は俺の物であって、お前らの交渉の対価にはならんからな。俺を動かしたければ対価を寄越せ。」
素直に受けてやっても良かったが、そうすると無理難題を言っても大丈夫だと思われてしまう。今後の事を考えるとこれは必要な事だし、どうしても確認しておきたいことがあった。
「おめーは何を望む気だ?」
よし、俺の望んだ言葉が出てきたな。
「とある物を見せてもらいたい。どうしても必要なのでな。」
「とある物という事だけじゃわからねえな。それに俺が許可出来る話かもわからねえしよ。」
「具体的に名前が分かるわけではないが、国家が保管している大賢者に関わる古文書全てを閲覧する権利だ。」
「まさかおめーが望む物ってのは、禁書か?」
禁書とは、国家指定の禁断の書のことだ。その中には、世界を崩壊させるような魔法が書かれている書物もあるらしい。まあ眉唾ものの話だけどな。
「ひょっとすればそういう物も入るかもしれないな。だが、閲覧する理由については、王様くらいになら言っても良い。」
俺は先程のブレイズの発言の中にあった、『王宮のお偉いさんとやらが見つけたという昔の記録』という物の確認がしたいのだ。もしかすると『ディメンション・クロスポイント』に絡んだ情報があるかもしれないからな。
「それでは許可が降りるかわからねえぞ。」
「悪いが、この場で理由は言えない。」
こいつがさっき言ってた組織の一味ではないという保証がどこにもないからな。
「おめーってやつは…。まさか俺すらも疑うとはな。」
「諜報機関員の癖に大したことがないな。確定事項以外の全てを疑う事は、こういう場合の鉄則だろうに。」
「だから…って思ったが、さっき会ったばかりだしな。まあしょうがねえか。報酬は確約出来ない可能性があるが、それでも構わないか。」
「駄目な場合は俺が聞きたい事を知る人物に会わせて貰うだけでも構わない。」
「それなら交渉成立だな。」
「やるからにはきちんとやらせてもらうさ。報告も含めてな。」
「さっきの報告でも、全部は話してなかったようだが?」
「言ってろ。」
確かに先程の報告はかなり嘘を混ぜているが、あれでいいと思っている。
どの道あそこはもう入れないからな。バレるはずもない。
下手に真実を伝えると一層ややこしいことになるし、これ以上あの場所に目をつけられても困る。
「ともかく宜しく頼むわ。おめーには期待してるぜ。」
「早速だが、怪しいという組織がどこにあるのかを教えてくれ。」
俺は早速話を進めたかったのだが、そこで口を挟んでくる者が居た。
「そんなことよりも、ベリルが解決した話を街の奴らにどう説明するかを決めるのが先決じゃないか?」
「シュタイナーに任せるわ。」
俺は面倒だったので、シュタイナーに丸投げした。
「任せたぜ!」
「ベリルはこういうやつだからしょうがないが、ブレイズも何逃げてんだよ。てめえも一緒に考えやがれ!」
またシュタイナーがキレ出した。ブレイズはシュタイナーの怒らせる天性の才能でもあるんじゃないのか?
「なんで俺が駄目で、ベリルは良いんだよ!?」
「お前の協力はしてやったんだから、こっちの事も手伝いやがれ。」
確かに正論だな。俺はまあ良いんだよ。
「ベリルという男が決死の覚悟で乗り込み、機転を利かせて悪魔を封じ込めた。その後再び落盤が起こってあそこはもう跡形もない。
というのは如何でしょうか。」
「なるほど。それならいいかもしれないな。さすがはアレクシアだな。」
確かになかなか良いのだが、もう少し追加した方が良いだろうな。
「悪魔が居た理由と、もう現れないという風にしておいたほうが良いな。
悪魔は召喚した魔導師の遺体を守っていたようだ。哀れに思ったベリルは悪魔を送還した。
ベリルはその魔導師の墓所として入口を崩落させて誰も近づかないようにした。
これなら不安が消えるだろう。後は街の入口に魔除けでも設置しておけば完璧だな。」
「確かにその方が良さそうですね。さすがはベリルさんですね。ところで魔除けって何でしょうか?」
「褒めてくれるのは良いのだが、それどの口が言うんだよ。」
さっきアレクシア嬢は俺のことボロクソに言ってたよな?
「まあツッコミは良いとして、魔除けってのは簡単に言えば守護像の事さ。後で俺が用意するよ。」
「それならギルドから依頼にしても構いませんよ。」
「なに、そんなに手間はかからないしいらないさ。」
それにはアレも渡しておかないといけないので、依頼料なんて設定したら大変なことになるからな。
「さてと、そろそろ調査中という怪しい組織とやらの事を教えてくれないか。」
大方の話が終わったので、俺はブレイズに依頼内容を確認した。
この街でやるべき事はもう殆どない。明日には街を出ないといけないだろう。
俺は明日すべき事とこれからのことを、頭に思い浮かべるのであった。




