23話 予兆
ベリルが高位悪魔と対面していたちょうどその頃、ハンターギルドのギルドマスター室の中でシュタイナーは独り頭を抱えていた。
彼は、ここ数日内の出来事を思い起こしていた。
森に囲まれた自然豊かな地方都市テドロアは、近年そう大きな問題もなく平穏な日々が続いていた。
ところがテドロア大森林の中に突如遺跡が現れ、それから仰天するような大きな事件が立て続けに発生している。
そしてその事件のほとんどに絡んでいる人物がいる。むしろその人物が騒動の中心になっている事がほとんどだ。
その人物とは、4日前にフラリとこの街にやってきた男の事である。
家庭のゴタゴタが嫌で田舎の村から出てきたというその男は、無一文でこの街に現れた。
その男は猪肉を売り払って通行税を支払い、翌日このハンターギルドに登録した。
登録したその日に狩猟をしたその男は大型の猪だけでなく、その道のベテランですら滅多に捕らえる事が出来ないクイックバードを3体も捕らえ、いずれも解体した状態で持ち込んだ。
それは驚きの成果ではあったが、その後を考えればほんの些細な出来事に過ぎなかった。
その男の解体技術は、このテドロアで右に出る者の無いと言われるハンターギルドの解体部門の長グレイですら、未だ到達し得ない領域にあった。
また高級素材の羽毛を、これまで人の力では到達し得なかった品質に加工してしまった。それは本人にとって、何ほどの物でもないという風であった。
驚いたことに、それらは彼が編み出したオリジナルの魔法にて行っているのだと言う。
彼が持つ情報の価値の高さから国家に命を狙われるだろうという危機に際しても、その大胆さと鋭利な頭脳から翌日には問題を解決してのけた。
しかも誰もが得をし、不満の出ないという驚きの方法でもってだ。その手腕は見事という他はない。
交渉の際のやり取りと翌日の会話から、その男が無属性適性と神聖属性適性の複合属性を持つ事が判明した。
その上で、問題解決をした手腕とその類まれなる魔術の力を見込まれ、最近テドロアの街周辺で起こった問題の解決をその男は依頼された。
男はその足で、追い込み猟をしていたベテランハンターとそのパートナー達を、森の恵みの神ハーネスの神官ですら不可能だった身体欠損を含む重度の傷病という危急から救い上げた。その挙げ句、一夜にして問題となっていた1000体以上の魔物を殲滅してみせた。
その際、懸念されていた動植物への被害はほぼ全く出さずに結果を出した。
そしてその男はこの街を来訪する前日に、問題となった遺跡をアークデーモン1体とグレーターデーモン4体の撃破を含め、単独で制圧してのけたという。
ちょっとした手違いがあったのか、制圧したはずの遺跡にはその男が撃破したはずの悪魔よりも更に高位の悪魔が居た。
高位悪魔は、その男が殲滅した魔物の調査帰りのベテランハンター達の前に現れ、自らの下僕を撃破したその男を差し出せと要求してきた。
これらを全て単独で成したその男の名はベリルといった。
ここまでの事が、ベリルという男がハンター登録をして3日の内に立て続けに起こった出来事である。
4日目となる本日、ベリルはその高位悪魔が待つ遺跡へ単身で赴いた。
たった3日でこれだけの事件が起こっている。そして本日もまた何かが起こるだろう。
毎日が騒動の連続である。あの男が動くたびに、この街に激震が走っているのだ。
初日のクイックバードの羽毛については、文献に記述があったと聞く。奇跡の品質についても出土品として押し通せばなんとかなるだろう。
2日目の追い込み猟のハンターチームの治療についても、神聖属性適性を持つ高位司祭がいれば可能かもしれない。
3日目の魔物の殲滅も、人手さえあれば同様の作戦を取ることは不可能ではないだろう。
だが、ここにきて高位悪魔とのやり取りである。しかもその高位悪魔が話した言葉から、下僕を倒したという事も広まってしまっている。
高位悪魔が下僕とする存在が、ただの雑魚であろうはずがない。
現にナイトストーカーというレッサーデーモンに襲われた者が居るのだ。そしてその事は数日前には街中に広まっており、今や知らぬ者など居ない。
シュタイナーはどう取り繕ってもベリルを庇いきれないと感じていた。
別にベリルが悪徳を成しているわけではない。むしろその行動の全てに、他者の利益が絡んでいる。
彼の行動とその存在全てが、『田舎の村出身の常識はずれ』という枠から遥かに逸脱している。何より彼には秘密が多い。
途方も無い魔力とそれに裏打ちされた戦闘力。無属性適性と神聖属性適性による複合適性を持ち、強大な魔法を操る。行動力があり、見識も高い。遥か昔に失われた叡智を知り、魔法を改良する等研究にも余念がない。
以前感じた通り優秀なブレーンがいるのは間違いないが、それを差し引いても人としての能力が非常に高い。
人を食ったような態度を取るが、情には厚い。あんな16歳が居てたまるかと思ってしまう。
本人は目立つことを嫌い、至って普通で居ようとする。まだ出会って4日だが、本人は穏やかな生活を望んでいるようだ。
だが、どう考えても無理がある。彼の行いは異常で目立ちすぎる。はっきり言って、もはや化け物だ。
彼は成人して1年経つというが、まだとても若い。
この街に住まう大人として、ギルドマスターとして、そして元ハンターの先達として、彼を正しき道に導いてやらねばならないとは思う。
だが、彼が行動することでもたらされる影響が、そういった思惑を全部潰してしまうのだ。
本来時間をかけてでも解決しなければならない事が、短期間のうちに解決される。この事は本来好ましい事であり、ありがたく思うべき事だ。
だが、問題解決には事後処理というものが必要であり、そちらの方が何倍も時間や労力がかかる。
だから、あまりに急に事を進められると我々の処理能力を超えてしまう。そしてその手段が派手になればなるほどに、事後処理に時間と労力が割かれていくのだ。
シュタイナーが思い悩んでいると、部屋の扉にノックがあった。素早いノックが7回あり、それがもう1度繰り返された。
普通この様なノックの仕方はしない。これはシュタイナーがアレクシアと予め取り決めた符丁である。
これは、『内密に相談したい事があるが、今入っても大丈夫か』というものだ。
シュタイナーが入っても良いと声をかけると、すぐにアレクシアが入室してきた。彼女はそのまま入口扉の鍵をかけた。
シュタイナーはサイレントガードナーと呼ばれる消音装置を起動させる。
これは一定範囲に防音フィールドを発生させる物で、その範囲外の声や音は内部に入ってくるが逆に内部の声は一切外部に漏れないという便利な物だ。
古代文明の遺跡から稀に発掘されるこの装置を保有するのは、王族を含む一部の特権階級、国の重要施設、ギルドのような公益組織や豪商がほとんどである。
お互い用向きがわかっているので、挨拶も無しにアレクシアは本題を切り出す。
「ギルドマスター。ここまま行きますと、街の各地で暴動が起こる可能性があります。既にその兆候があり、騒ぎが発生しています。」
「なにがあった!?」
「一部で変な噂が流れているのです。ベリルという男は死属性魔導師ではないかと。そしてその悪魔はベリルが呼び出したのだと。噂が本当なら、ベリルは悪魔召喚が行えるそうです。」
シュタイナーは、にわかには信じられない様子だ。
「結論から申します。噂を統合しますと、恐らく真実に近いと思われます。
これは以前村に居たという者から、私が直接聞いた話です。
ここからテドロア大森林を迂回しつつ北西に一週間程ほど歩いたところに、小さな里があるそうです。そこにベリルという死属性魔導師がいるという事です。
その者は村の切り札として大事に育てられ、戦時における活躍を期待して死属性魔法と悪魔召喚陣を身に着けていたと。そして彼は、その修行にあけくれる毎日であったということでした。」
もしそれが本当の事なら、恐らく周囲の大人に押し付けられた結果だろう。誰しも他人に嫌われるようなことはしたくない。
殆どの死属性魔導師は精神が色々ねじ曲がっていると言われるが、生まれ育った環境に原因のあることがほとんどだった。
田舎ではよくある話だが、シュタイナーは同情を禁じ得なかった。
「彼は自分の村を出て4日ほどでこの街についたそうですが、迂回せずにテドロア大森林をそのまま突っ切れば不可能ではありません。
そして極めつけに、とんでもない噂がありました。ベリルは『全属性適性の保有者』であると言うものです。
もしそれが真実であるのなら、驚天動地の事態です。もはや我々だけで彼の行動を誤魔化し、庇いきる事は不可能でしょう。」
シュタイナーはこの言葉を聞いて、沈痛な表情を見せた。
たしかに全属性適性をベリルがもっているとすれば、あの驚異的な能力に説明がつく。
しかしこれでは、ベリルがこの街を出ていくことは恐らく時間の問題だろうと思った。彼が求める穏やかな生活など望めようもないからだ。
「これは少々飛躍した話かもしれませんが、恐らく彼は歴史を動かす人物になるのではないかと予想されます。
魔神殺しの大賢者の再来なのか、むしろそのものなのか。
ですが、記録に残る彼の動きとベリルさんのそれは似通っている部分があります。
魔神殺しの大賢者は魔神を含む混沌勢力の討滅だけでなく、様々な魔法を発明し、文明の発展においても大きく貢献したと聞きます。
それに対してベリルさんはまだ歴史書に登場こそしていませんが、それと同様の兆しがあります。
彼がこの街に来てたった4日しか経っていませんが、これまでにない大きな出来事が立て続けに起こっています。
彼の存在は危険です。彼の意思に関わりなく、彼がいるというだけでその周囲で何かが起こる。そう思わせるものがあります。」
アレクシアの発想はあまりに飛躍しすぎている。さすがにそれは考えすぎだろうと思ったシュタイナーは反論する。
「まず、自分で悪魔召喚をしておいてそれを殴り飛ばす等、道理に合わない。悪魔召喚が出来るという事は別にして、ベリルが召喚した高位悪魔だというのは間違っているだろう。
そもそも遺跡の出現にしても魔物の騒動にしても、何れもベリルがこの街に来るまでに起こった事だろう。あいつが原因で起こったわけでは無い。
たしかに色々と驚く出来事はあった。だが結局それは、我々が抱えた問題を奴が独りで解決したからに過ぎん。
今の我々に成し得ない事ではあったが、もしそれがベリルの力無しに成し得ていた事だとしたら、果たしてどうだっただろうか。恐らく我々の前に高位悪魔が姿を現したことだろう。
言ってみれば、ベリルは我々の周囲に起こった事のとばっちりを受けているに過ぎん。」
「では如何すれば宜しいでしょうか。
ベリルさんが殲滅した魔物の処理の為、この街は空前の好景気になろうとしています。
これはしばらく続きますが、遅くとも1月も経てばある程度落ち着くでしょう。
その時この火種が、我々を焼き尽くす程の大きな炎になっていないとも限りません。
勿論これ以上何事も起こらなかったとしての話ですが。」
「それはわからん。誰にも知りようもない事だ。
何れにしてもこの事はベリルが戻ってきたら、彼を交えて再度相談しよう。それまで何とか噂や騒ぎを鎮静化させる様に手を回しておいてくれ。ベリルが無事に戻ってこれるかはわからんが。」
「わかりました。」
そういってアレクシアは退出していった。外には何人か待たせていたのだろう。アレクシアが素早く指示を出している声がシュタイナーの耳に聞こえてくる。
「俺もなんとか足掻いてみるしか無いか。」
二人にとり、既にベリルの事は頭の痛い話となっている。
それでもテドロアの街のハンターギルドを預かる長として、このまま放っておくことは出来ない。
そう考えたシュタイナーは、ギルド内に様々な指示を飛ばし始めるのであった。




