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視界が急に狭くなった気がした、周囲の声は聞こえずグルドゥの血液の流れすら聞こえる…そんな錯覚に陥っていた。
何故か目の前のグルドゥが握る棒は剣へと変わり、シエールへとその刃を向けている。
吸い込んだ空気が、喉に貼り付くようだ。
それは数分の出来事だった。
グルドゥは…片手に剣を持ち半身を引き腰の位置まで落として剣を構えると、空いているもう片方の手を突き出しシエールへと唸りながら突進してきた。
「(このままでは!)」
シエールは既に生命の危険を感じていた、視線を彷徨わせると端の方でドストラリ先生が動いたように感じる。
先生なら、加護【遮断】で防げるはずだ…。
跳ねる様に後退しているシエールは、視線を外した隙をつかれた。
強く肩を捕まれると一気に壁まで、追い込まれる。
背中に衝撃を感じ、反動で顎が上がる…その瞬間、目の前に剣を振り上げたグルドゥがいた。
――― 斬られる。
スローモーションの途中であるかのように、無表情で剣を振り下ろされている動作が目に入る。
間に合わない…これまでやってきたことが全て無駄になってしまう、私はまだ何も成していない。
生きる続けることこそが、私の復讐だったのに。
瞳に浮かぶ涙で視界が歪もうとしていたその時、何年も会っていない懐かしい碧眼の瞳…ノヴァーリス公爵である、おじい様の顔が浮かぶ。
「(…愛しているよ、シエール。)」
声は聞こえなかった、ただ動いた口の形がシエールの都合の良いように見えただけかもしれない。
シエールの心臓が大きく跳ねた。
その衝撃がもたらしたものなのか…目の前に硬質な眩い光彩を放つ、まるで隙間から覗き込んだ金剛石の結晶のような輝きがシエールを包む。
振り下ろされた剣は不自然な軌道を辿り、壁へとその刃をかすめていった。
金属がぶつかり、ずれ落ちる耳障りな音が響く。
「…………届けっ、【遮断】っ!」
覆いかぶさっていたグルドゥで視界は遮られていたが、その背後から聞こえてきた声と同時に振動を身体に感じた。
途端に視界が開けて、グルドゥがただの塊のように吹き飛んでいく。
シエールは全身の力が抜け落ち背中を壁に預ける、そして重力に引きずり込まれるように床へとしゃがみこんだ。
途端に汗が噴き出してくる、息をすることを忘れていたかのように大きく口を開けて何度も空気を飲み込んだ。
「(…たす、かった?)」
現状を理解しきれていないシエールは、ぼんやりと周囲の景色を瞳に映す…いつのまにか金剛石の輝きも消えていた。
床の上に無造作に放り置かれた手に力を込め、輝きがあった場所を探ろうと思った。
さらさらと何かが触れ、視線を落とす…それは目に馴染んだ色、シエールの髪の毛の束だった。
「大丈夫か?おい、返事をしろ!そちらはバルカロールを頼む。意識が戻ったら、数名で拘束しておいてくれ!」
焦点の合っていないシエールの両肩を掴み、顔を覗き込むようにドストラリ先生が視線を合わせる。
それでも返事がかえってこないとわかると、背中を軽く叩く。
ドストラリ先生と一緒に走って駆け寄ってくれたであろう、エタンセルが軽い悲鳴を上げていた。
「シ、シエール様…髪の毛が!」
よほど心配してくれたのだろう…人前では適切な距離を保っていたはずのエタンセルは、シエールの頭を抱える様に抱きしめてきた。
なぜかそれが心地よく、頭を預けて目を閉じる…同時に涙が一粒頬を伝っていった。
グルドゥに圧され恐怖と緊迫感の中、命の危機を感じたりもした…だがシエールは、悲しくて涙を流したのではない。
またそれらから解放された安堵感からでも、剣で太刀打ちできない悔しさからでもなかった。
瀕死の危機に落ちいたと感じた時…妄想でも、家族に『愛している』と言われた嬉しさ。
そして金剛石の輝きこそが、シエールを愛し護ってくれているのだと感じることが出来たからだった。




