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最初に足を踏み入れた時はとても広く感じた室内も、今となってはとても狭く感じる…緊張で整わない呼吸に、シエールは苦笑いをこぼしていた。
この緊張はヴェロニクから感じ取れる闘気がそうさせているのか、それとも試合を見ている観衆の熱気がそうさせているのか…今は推し量る余裕もない。
最初の煽りが効いたのか、ヴェロニクは合図とともに駆け出してきた。
勢いよくシエールの元まで辿り着くと、素早い動きで何度も棒を振り下ろしてくる。
上段から振り下ろし、右横からの払い…そしてまた、上段からの振り下ろし。
ヴェロニクが圧す形で、少しずつシエールは後退していく。
観衆達は圧倒的な勢いのヴェロニクを見て、勝負は早いと確信し歓声をあげていた。
シエールは冷静にヴェロニクの猛攻を交わしながら、一歩一歩と少しずつ後退していく。
感情的、そして優勢に浸っているヴェロニクは、周囲が見えてないこともあり攻撃のパターンが二通りしかない。
なによりシエールのことを侮ってくれているので、圧せば勝てると確信しているようだった。
「(たしかに型は綺麗で剣は重い…でもそれだけね、つまらないわ。)」
シエールの考えていることが顔に出ていたとは思えないが、目が合ったヴェロニクが更に激昂する。
「弱いくせに、ちょこまかとっ!」
当たらないことに苛立ち、振り幅が大きくなっていく。
シエールはヴェロニクとの立ち合いで、何かを学ぶことを諦め、勝負をつけることにした。
ヴェロニクが大きく右横から払いきると、シエールは反対側の下段から棒を振り上げ目線の際をかすめる。
シエールの攻撃を躱そうと身体をのけぞりバランスを崩したところを見計らい、ヴェロニクの真横へと移動した。
背後から軽く一撃を与えると、ヴェロニクはいとも簡単に倒れ、床へと崩れていった。
うつ伏せに倒れるヴェロニクの後方へゆっくりと移動し、両足を割り、間に立つ。
そして持っていた棒をヴェロニクの背部の胸当てへ突き立てると、両手を添えて押さえ込んだ。
この体勢からは、立ち上がることは難しい…羞恥心を捨て転がりでもすれば別なのだが、貴族の剣術指南ではそんなことは教わらないだろう。
屈辱的な格好から抜け出そうと、必死に自分の背中へ手を回そうとするが何度も無駄に空を掻く。
ヴェロニクのその姿は、大陸史で勉強をした「亀」という生き物にそっくりだった。
高位貴族である令嬢のはしたない姿に、周囲からざわざわと声が上がり始める。
膠着した状況を見ていたドストラリ先生が、試合の終わりを告げた。
「勝負あり、勝者カルネヴァル!」
駆け寄ってきたドストラリ先生へ、顔を真っ赤にしたヴェロニクが噛みつくように訴えかける。
「私は負けてない!あんなの…あんなの反則です!」
ドストラリ先生はヴェロニクからの訴えに対して、そわそわと答える…視線はシエールへと交互に動いていた。
「反則などではないよ?私は下からの攻撃を禁じていないし、背後からの攻撃も上半身ならば有効だ。」
ヴェロニクは顔から表情が抜けていった…自分の敗北を受け入れることができない。
「そんな…あんなの偶然だわ。そうよ、その前の試合で手首を痛めたから。」
その声が聞こえたシエールは、少し苛立ちを感じていた。
片方の眉毛を上げながら、ヴェロニクへ近づき耳元で囁く。
「負けた時の言い訳がたくさんあって、羨ましいわ。」
正々堂々とした勝負の世界なのだ、シエールはこんなことを言うつもりなどなかった。
防衛術の試合は、毎年定期的に行われる…次がどうなるかなど、シエールにもわからないのだ。
なのに敗北の理由を他のせいにして、認めようとしないヴェロニクに腹が立った。
敗北者へ向けて十分酷いことを口にしている自覚はある、だが潔くない姿がどうしても許せなかった。
これ以上ヴェロニクへ何かを言ってしまう前にと、シエールは踵を返した。
エタンセルの元へ向かおうと数歩踏み出したところへ、ドストラリ先生が、嬉しそうに声をかけてくる。
「カルネヴァル、待ってくれ!あの嫌みな位の横柄な攻撃、誰に教わった?間違いない、あの方が…。」
シエールは上目遣いに鋭い視線をドストラリ先生へ向けると、その碧い瞳で言葉を抑え込む。
「先生…その方は、先生ならばきっと言い当てるだろうと言っていました。そして何故こうなっているかを、考える力がある方だとも。」
少しだけ瞳を潤ませたドストラリ先生は、何度か頷きながら答えた。
「ああ、そうだ。そんな言い回しをする方だ…そうか、そうか。」
そう言いながらシエールの肩を何度も叩き、後ろをついて歩いていた。
あまりの嬉しそうなドストラリ先生を見て、シエールは複雑な気持ちになった。
確かに言われたことをそのまま伝えただけだが、なぜそうなのかを聞いておけばよかった。
今改めて聞いてもはぐらかされるだけだろう…シエールはリジアンを思い浮かべ、先を読むことで競り負けたのだと悔しい思いをしていた。
「シエール様、すごいです!」
エタンセルが瞳を輝かせながら、シエールの元までやってくる。
そして耳元まで顔を寄せ、小さな声で付け加える。
「彼女…最初はあんなに強気だったのに、少しすっきりしました。」
そしてエタンセルはシエールの試合を細かく語り出し、シエールは苦笑するしかなかった。
そんな会話をしている時に、近くにいたドストラリ先生へフロワヴィフの女子生徒が報告へ来ていた。
聞こえてきた内容は、ヴェロニクが手首を痛めて保護室へ向かったということだった…慌ててニグレット先生が追いかけていった。
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「さてそうなると、カルネヴァルと組む相手が変わってくるな?」
ドストラリ先生が楽しそうに考え込んでいると、先程シエールに礼をした男子生徒が会話に入ってくる。
「私とはいかがでしょうか?」
艶やかな黒髪が光に透けて碧く輝いている、涼やかな表情で綺麗に話す姿には知性が感じられる。
「お前は学年一位だろうが、女子生徒が敵うわけないだろう?」
言われた学年一位の男子生徒は、心外だとばかりに表情を崩した。
「ちゃんと加減はします。先生がそれほど嬉しそうなのです、興味が湧くではないですか。」
なんとも楽し気に会話をしている二人を見て、シエールは気が気ではなかった。
防衛術を極めたいわけではない、学年内で「中の上」程度に入れればいいのだ。
学年一位と張り合って、どうしろというのだろう、シエールは断ろうと口を開き声を掛けようとした。
「彼女の次の対戦、私がお相手します。…私には彼女と勝負する理由がありますので。」
背後から声をかけてきたのは、挑むような視線のグルドゥ=バルカロール。
…シエールが辞退した、現在の称号エトワールの保持者だった。




