022
カルネヴァル侯爵家別棟に、穏やかな時間が訪れた。
いまだにシエールを伺うような視線は感じるものの、他人に煩わされることのない生活を楽しんでいた。
あの後自分の身に危険を感じたトレミエは、ディアンジュへと懇願した。
自分が仕出かした事をあまり反省していないトレミエは、ディアンジュへ都合の良い言い分を話した。
その話をディアンジュは、ただの行き過ぎた教育と捉えた。
ディアンジュは家令のコルシックを呼び、リジアンへと伝言を預ける。
『少し行き過ぎた行為はありますが…トレミエは、シエールへ教育をしたかったのでしょう。女性が語る冗談を、流せる男性の方が魅力的。今回は大目に見てあげてちょうだい。』
この伝言を受けた時のリジアンの表情は、今まで見たこともないような平坦なものだった。
何故盗みを働いた人間に、魅力的に映らねばならない?大目にみれる理由がひとつとして浮かんでこない。
「リジアン…彼女はダメだ。正攻法ではなく、効果的に段階を踏まなくては…。」
家令のコルシック…彼はリジアンより年若い、柔和な雰囲気を持つ人だった。
真面目み職務に取り組み、必ず希望に添う形を持って来る。
シエールが観察した限りでは、いつもディアンジュに振り回されている印象が強かった。
しかし本当は…ディアンジュの暴走を躱す、緩衝材の役目を担っていたのだ。
言われたリジアンも彼には一目置いているようだった。
「…貴方の意見をお聞きしましょう。」
リジアンはコルシックへ向け、納得できていない表情で堅い言葉をかけた。
コルシックは苦笑いを浮かべ、肩を竦める。
「彼女は自分に自信があるんだ、我々が何を言っても通じないだろう。ではその彼女が自覚できるよう、口添えをしていただけばいいじゃないか。」
あまりにも抽象的過ぎてシエールには、理解ができなかったが…リジアンは考えて相槌を打っていた。
「悪くない考えですね…それをするならば、私と貴方とで?」
コルシックは目を細め、柔らかく頷いた。
「もちろん、私も書かせていただくよ。」
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しばらくして、カルネヴァルの領地にいるダズールからディアンジュへ手紙が届いた。
嫁いできて初めてもらった手紙に、ディアンジュは舞い上がっていた。
頬を染め、少女の様に胸を膨らませて、高鳴る気持ちを抑えつつ、いそいそと手紙を開けた。
そこには短い文章で、こう書かれていた。
『カルネヴァル侯爵家に関して、すべての事案を家令のコルシックと執事のリジアンへ任せている。貴女の…女主人としての領分は社交の場だと思っている、その働きには期待している。』
手紙にはダズールの近況や、ディアンジュやカルネヴァル侯爵家を心配する内容などはひとつも書かれていなかった。
手紙を持つ手が震える…ディアンジュは取り乱し、大きく高圧的な声でメイドにコルシックとリジアンを呼ぶように命じた。
揃ってディアンジュの前に現れた二人は、カルネヴァル侯爵家へ仕える者として女主人に対して綺麗に礼をとった。
「どういうことなの!旦那様からこのような手紙が届いたのだけど、貴方達の仕業ねっ!」
一息でそこまで言うと、コルシック目がけて手に持った手紙を投げつけた。
「…拝見いたします。」
コルシックは床に散らばった手紙を丁寧に拾い上げ、簡単に目視で流し読むと隣のリジアンへと渡した。
リジアンはコルシックとは対照的に、時間をかけて手紙を眺めディアンジュの苛立ちを煽った。
「侯爵の…旦那様の、お言葉通りだと考えますが?」
コルシックは柔和そうな顔立ちそのままに、何が問題なのかわからないといった表情でディアンジュへと返した。
その返事が気に入らないディアンジュは、コルシックを鋭く睨みつける。
「これでは、話が違うわっ!私は侯爵夫人なのよ?この家に関することは、女主人である私の采配で決めるべきだわっ!」
テーブルにあったティーセットを持っていた扇子で薙ぎ払い、目を見開いて唇を噛みしめる。
そうまでしても気が収まらなかったディアンジュは、そのまま扇子を振り上げてコルシック目がけて投げつけた。
その様子にリジアンがぴくりと眉を上げ身体をディアンジュの方へと乗り出そうとしたが、それに気付いたコルシックは片手を上げリジアンを制した。
「奥様…旦那様は奥様をないがしろにしているわけではございません。ただ今までもこのカルネヴァルでは領地や財産そして資金のことは私めが。侯爵家の内部、ご家族の予定や邸の人員などはリジアンが。そして客人のもてなしや社交関係のものは前の奥様がやっておられました。旦那様はこの構成を変えるつもりがないのだと、言われているのだと思われますよ?」
コルシックの話す内容を聞き、ディアンジュは鷹揚に手を振り上げ、頭へと添えた。
そのままふらふらと、ソファまで移動したかと思うとそのままゆっくりと倒れこむ。
さながら憔悴しきった哀れなご婦人を演じているようだ。
「それではあまりにも、私がお飾りではありませんか。」
ディアンジュは肘掛けに腕を置き、そっと頭を付けた。
「そうではありません…旦那様はきっと、邸の様々なことで奥様を煩わせたくないのだと思いますよ?」
コルシックは上着に備えていたハンカチを手に、ディアンジュが座るソファまで近づき、労わる様に差し出した。
「私達も奥様、そしてカルネヴァルの為に一生懸命務めさせていただきます。」
そう言うとコルシックはディアンジュに向け、微笑みを浮かべた。
「…あぁ、ありがとう。」
ディアンジュはハンカチを受け取り、そのままコルシックを上目遣いで見つめると、差し出した手をぎゅっと握ってコルシックへと頭を預けようとした。
しかしコルシックは素早く姿勢を正して、躱して見せた。
「それでは、さっそく奥様が納得していただいた旨を、旦那様へお知らせしましょう。」
喜ばしいことを急いで知らせなければと、コルシックとリジアンは手際よくディアンジュに頭を下げ部屋を出ていった。
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「上々な出来で、なによりです。」
コルシックは何事でもないように、リジアンへ向かって話し掛けた。
二人はダズールへ、別々に手紙を出していた。
コルシックはカルネヴァル侯爵家の資産について、リジアンは邸内の人員について、奥様の干渉で侯爵家がうまく機能していないと。
それを見たダズールはあの、内容の薄い手紙を送ってよこしたのだった。
あの手紙は取りようによっては、様々な角度でとらえることができる。
そこを二人はうまく利用したのだった。
カルネヴァルの全てを任されたコルシックとリジアンは今、トレミエと向かい合っている。
すでに邸内にいる全ての人員に対する権限は、リジアンへと移行した。
失望の中のディアンジュから捨て置かれたトレミエは、行き場をなくして呆然としていた。
「この邸を出るのならばどこへでも…。しかしその場合、私共が次の雇い先へ紹介状を書く事はありません。」
リジアンはトレミエに対し、はっきりと言い切った。
「…私は、…私は家族がおりません。ここを出て、どこへ行くあてがあると?」
自嘲気味に冷たい壁を見つめ、自分自身を抱きしめながらトレミエは言った。
メイドとして長く勤めたトレミエは、他にできる仕事もなければ、新しい仕事につく教養もなかった。
運がよければ健全な働き場所を見つけることもできるかもしれないが、潰しのきかない若い女性は身を持ち崩すことが多い。
「リジアン…。」
コルシックが哀れな者をどうにかできないかという表情で、見つめている。
リジアンは大きく溜息をつき、なにかを飲み込むように告げた。
「貴女をお嬢様の近くへ置くことはできません。かと言って、本邸へ戻せばまたあの女に利用されるだけ…。それ以外で貴女に任せられる仕事は、決して楽ではありませんよ?」
トレミエの瞳だけがゆっくりと動き、驚きの表情でリジアンを見つめる。
こうしてトレミエはけっして侯爵家の人々とは顔を合わせることのない洗濯メイドとして、引き続き雇用されることになった。




