表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
加護を手繰る時限令嬢  作者: 羽蓉
2/103

001

それはある日の夕暮れ時。


その年一番の社交の始まり…寒さが薄らいだといっても、まだ皮膚の上を冷たい風が触れ、そして過ぎ去って行く。

今日は全ての貴族が王宮へ集まる日。

それぞれの思惑は別として、高揚感から火照った体には心地よい肌寒さだった。


   ・

   ・

   ・


広間に添った廊下に備え付けられたベンチに座り四時間程、向かいの窓を見つめ、日が暮れるのを眺めながらお呼びがかかるのを待っていた。

お気に入りの本でもあれば、この時間を有効に過ごす事ができるだろうに…それが許されない立場である自分が虚しく思えた。

窓から見える黄昏時を見つめながら、ふとその文章が書かれていた物語が頭に浮かぶ。

目を閉じて物語を思い出そうとしている時、強い口調で男性の声が頭上から叩きつけらえれた。


「…シエール=カルネヴァル侯爵令嬢、陛下がお待ちだ。ご同行願おう。」


目の前で片方の足を投げ出し横柄な態度の騎士が、シエールに声をかけてきた。

なぜ自分がこの役目を受けなければならないのかと、納得できていない様子だ。

シエールが幼いことで油断しているのか、小さくぶつぶつと文句がこぼれていった。


「まったく…なぜ俺が、時限令嬢をつれて広間にいかないといけないんだ…俺まで落ちぶれて見えるじゃないか。」


ここ七年ほどまともに人と会話をしていないシエールは、目線を合わさずに人の言葉と意思を拾うことが得意になっていた。

毎年この最初の社交の場で、シエールは貴族たちの好奇の目に晒される。


「(そうか、この方は私と一緒に歩くことで自分の価値が下がることが嫌なんだ。)」


考えると少し申し訳ない気がしてきたが、こればかりはシエールにどうにかできるものでもなかった。

ひとりで晩餐会へ入っていくには、シエールは幼すぎた。

そしてシエールを呼びつけた王陛下もまた、子供だからという理由で無防備に近づけるような人物ではなかった。


十歳になったばかりのシエールが、王家主催の晩餐会に呼ばれるのには…複雑な理由があるのだから。




   ◇◆◇




シエールが三歳の頃、母であるロヴェリアと実家のノヴァーリス公爵家へ馬車で向かっている時にそれは起きてしまった。


もの凄い速度で暴走する馬車を避けようと手綱を思い切り引いたことが原因で、シエールが乗っている馬車は制御を失い、少し蛇行した後なにかにぶつかり、勢いよく横転してしまった。

馬車の外から大きな叫び声が聞こえたと同時に、視界が揺れ、思わぬ方向に重力がかかる。

何度か体を至る所にぶつけた後、宙に浮き、とてつもない衝撃を受けたあとに意識を手放してしまった。


ズキズキとした感覚の中、思考が練れない状態で感じることができたのは…砂埃の臭いと口の中に広がる鉄の様な味だった。


「……あ……うっ!」


声を出すと、唇が引きつり、ざりざりとしたものが口へと吸い込まれる。

顔の半分が焼けるように熱く、その部分に意識を集中するとじわじわと痛みが全身に広がってくるようだ。

思うように体を動かせず、動く部分を探し、力を込めると指先に触れる物を感じる。

石畳と砂の感触、シエールの体は馬車から放り出され地面に打ち付けられていた。


   ・

   ・

   ・


いつもだと駆け付けてくれ、大事に包み込むよう抱き上げてくれる大人がいない。


邸の庭で散歩をしている時に、足元がおぼつかず転んだことがある。

大抵そんな時は、周囲にいた大人がシエールの元まで駆け付け、怪我の有無を気遣ってくれた。

そしてどんな時にも一番にシエールの心配をし、駆け寄ってくれる母親であるロヴェリア。

その姿を探そうと腕に力を込め、顔を上げたシエールが見た光景は、幼い侯爵令嬢に理解できるものではなかった。


わずかな光に反射した砂埃が、少しの間白い幕となって視界を覆い、やがて目の前が晴れ凝らして見ると、薄暗い建物の陰になった場所に視線が向く。

大きな黒い塊が喧騒の中心に、不吉な形をして佇んでいる…黒い塊に見えたそれは、馬車の車体だった。


車輪が外れた車体と地面の間に、見覚えのある色が見える。


薄く柔らかい金色の波が、地面の上でほんの少しだけ揺れていた。

風に乗る上質な布地のような質感とは、真逆で纏う空気は虚無感が漂う。

いつも綺麗に結い上げられているロヴェリアの髪がほどけ、地面へと広がっているのだ。

それは本当にロヴェリアの物なのかと考えているシエールの目に、ようやく周りの景色が飛び込んできた。


頭を車体と地面に挟まれ、結われていた髪をちらし、わずかに見える手元には先程まで隣にあった白と白藤色のドレス。

その隣には同じように胸から下を車体の下に挟まれた侍女が、口から血を吐き出していた。

いつまで見つめていても、動く気配を感じない。

ただ…勢いの強さか、繋がれていた馬の暴走か…車体の後方には引きずられた時についたと思われる、たなびく大量の赤いリボンの様な血液の筋が長く、長く残っていた。


頭が熱い、顔が熱い、意識をしていないのに涙が流れているのがわかる。


「(…おかあさま、おかあさまっ!)」


ロヴェリアが動かない…声を掛け、無事を確認したいが動転のあまりまともな声がでない。


「うわぁ…うわわわあぁーーーーーーっ!」


気温の低さから、叫んでいる自分の口元から白い息が見える。

自分の声と動悸に呼吸が追いつかない。

どれだけ声をあげても、見つめる先の不吉な形は絵画のように少したりとも動くことはなかった。


   ・

   ・

   ・


少しずつ周囲に人が集まって、事態が大きく動きはじめた。


「…貴族の馬車が衝突したのか?」


「まさか…誰かあの子供を助けておやり。」


「まてっ!やめておけ…見ろ、王家の馬車だ。下手に動くとこっちの首が飛ぶぞ。」


シエールは叫び声を上げ続け、それでも視線を外すことができない。

痛みに撓む頭の中に、周囲の声を響かせていた。

シエールの背後では、先程の会話の続きが囁かれていた。


「あっちでこの馬車の御者と侍従が、騎士と街の憲兵に王家の馬車の下まで引きずられていった。なにがどうなってるかわからないが、ただ事ではすまないらしいぞ。」


絶望の色なのか…シエールの視界が徐々に暗く冷ややかなものへ変わっていった。

同じくして頭上にあった雲が速度をあげ、黒く重たい色へ変わっていく。


冷たい風と共に一滴の雨粒が落ちてきた。

ゆっくりとその重さを含んだ水滴たちは、徐々にその激しさを増し、この景色を鈍色のカーテンで消し去って行ってしまった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ