018
数日後…カルネヴァル侯爵邸へ、貴族院よりの使者が重要な手紙を携えてやってきた。
飾り立てた馬に跨り、古めかしい正装をした使者が恭しく家令に用件を告げる。
侯爵が不在なため対応をしたのはディアンジュだったが、使者の容姿や爵位が眼鏡にかなわなかったのだろう…邸の中へも通さずに早々にお引き取り願っていた。
昼食を終えた時に、その話はシエールの耳にも入った。
リジアンによると、婚約が無事に成立したという知らせだったという。
出来るものならば…あんな自分勝手で子供染みた考えの持ち主と婚約など、不調和で終わってくれればいいと思っていたのに。
貴族院からわざわざ使者が来たということからも、王命という力が働いているのだろう…許してもらえそうにもない。
そもそも貴族の婚約などこんなものだと言われれば、シエールに言えることはなにもなかった。
「せめて…身勝手でも、頭が悪くても、寡黙でさえあってくれれば良かったのに。」
そう独り言を言うと、シエールは胸のもやもやと共に小さくため息をついた。
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それから一週間が過ぎる頃、婚約が成立した挨拶として、再びハイルヘルン伯爵とヴォルビリスがカルネヴァル侯爵邸へと訪れた。
今回は正式な対面だと言うことで、シエールとリジアンも本邸の居間へと控えている。
「やあ、ディアンジュ殿!先日訪れた時よりも、侯爵邸の女主人が板についていらっしゃる。」
両手をひろげ大げさに再開を喜ぶポーズを見せる、ハインヘルン伯爵。
声と身振り手振りが大きく、あまり物事を深く考えてないように感じる。
「まあ、ハイルヘルン伯爵。お言葉は嬉しいのですけれども、これも旦那様がいてこそですのよ?」
ディアンジュは口元を隠しながら、ころころとした声で答える。
この二人の距離は、微妙だ。
ハイルヘルン伯爵の方は今にもディアンジュへと抱き着きそうな勢いだが、ディアンジュは好ましそうな対応をしつつ一定の距離を保っている。
シエールはディアンジュがリジアンへ向ける視線と、その距離を知っているだけに不自然さを感じていた。
「そして…そのカルネヴァル侯爵はいずこへ?」
ハイルヘルン伯爵が不思議そうに、周囲をきょろきょろと見回している。
ディアンジュが一瞬だけ、表情をこわばらせた。
「旦那様は領地の方が忙しく、この場に立ち会えないことを非常に残念に申しておりましたわ。そして私を信頼し、この重大な役目を託していただきましたの。」
いかに自分が信頼されているか、いかに自分が愛されているか…ディアンジュは言葉の端々にのせ、主張していた。
「それは残念だ…せっかく家同士が結びつくのだ、侯爵とも色々話しておきたかったのだが。」
ハイルヘルン伯爵は自分側の主張をそれとなく、ダズールに伝えておきたかったのだろう。
ディアンジュは、綺麗に整った微笑みを浮かべて感情の入らない同意の返事をした。
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「お初にお目にかかります、ハイルヘルン伯爵。シエール=カルネヴァルと申します。」
大きな窓から日差しが入る居間で皆が席についた後、シエールは初対面のハイルヘルン伯爵へと挨拶をした。
「ふぅん、君が…ねぇ?」
ハイルヘルン伯爵は挨拶を返すそぶりもみせずに、じろじろを無遠慮な視線をシエールへと浴びる。
シエールを通して、何かを見つめているのだろう。
それは顔の傷なのか、それともあの凄惨な事故の様子なのか…。
「さすがに顔の傷は令嬢として致命的だな…これでは他に婚約の話も来るまい。王も酷いことをする…ヴォルビリスはこの年齢の貴族の中では『陽光の中の白鳥』と呼ばれるほど見目が整い美しい子供。それなのに婚約者がこれでは…さすがに政略としても悪い噂が立つというもの。」
ハイルヘルン伯爵は腕を組み、大いに困った様子で溜息をついた。
「それ以前に!」
目を見開いたハイルヘルン伯爵は、大げさに語って見せる。
「今の社交界は、この子の事でもちきりだ。この子の能力次第で侯爵という高位貴族に属する者が、爵位を返上しなければならないと言うじゃないか。カルネヴァルが廃すれば、青の系譜は大きく後退することになる。まあその為に次期侯爵を見据えて我がハイルヘルンへと婚約の話がきたのだろうが…。噂では今回の王命は、この子がカルネヴァルの正当な後継者ではないことを王が見抜き課せられた処罰ではないかと囁かれている。大体の貴族は加護が発現するからな…この子はカルネヴァル侯爵と平民の間に生まれた子だという者もいるぞ?どちらにしてもこの子が16歳になるまでの間だ。没落へ向け一刻、また一刻とカルネヴァルは底の見えない沼へと沈んで行っているのだ。」
ハイルヘルン伯爵は抑揚や身振りを付け、社交界での噂をさも事実のように語っていた。
そしてカルネヴァル侯爵の没落は決定したようなもの、そのカルネヴァルの娘を自分の息子へ嫁がせ自分こそが次期侯爵になるのだと胸を張っていた。
シエールはあまりの酷い言われように、表情を取り繕うこともできず、全身が震えるのを必死に堪えていた。
ハイルヘルン伯爵の考えはわかった、社交界が自分をどのように噂しているのかも。
しかし問題はそこではない、許せるはずがない…自分がお父様の不義の子だと言われているのだ。
シエールは膝に置いた手を、強く握りしめていた。
胸を反らし、英雄譚の様に語るハインヘルン伯爵。
そのハイルヘルン伯爵の言葉を否定してくれたのは、意外な人物だった。
「残念ながら、この子がカルネヴァルの正当な後継者であることは間違いありませんわ。良くも悪くも、旦那様と元奥様にとても似ていますもの…じきに加護を発現するでしょう。その時にこの縁談を継続したいと言い出すのはどちらかしら?それでも…爵位を継ぐのは、この子とは限りませんけど。」
ディアンジュは少し瞳を細め、冷ややかな視線でハイルヘルン伯爵へと告げていた。
そして最後の言葉で、優しくプリムヴェールへと微笑みかける。
ハイルヘルン伯爵の思惑とは別に、ディアンジュにも思い描く未来がある。
「それこそ、ありえない冗談だ。そんなことノヴァーリス公爵が黙っているはずがない…君は碧眼翁を甘く見すぎている!」
ハイルヘルン伯爵はディアンジュに対して、皮肉な笑みを浮かべる。
カルネヴァルの…紫の系譜が一滴も入ってない娘が侯爵を継ぐ、そんな馬鹿げた夢物語をこの女主人は本気で信じているのだろうかと正気を疑うほどに。
「あらそれは…旦那様次第だと思いますわ。」
ディアンジュは口元を隠し、含み笑いを堪えながらハイルヘルン伯爵へと言葉を返す。
カルネヴァルを救うのは自分だ…とばかりに話していたのに、碧眼翁に対してそこまで警戒するなんて。
所詮は伯爵…自分のように侯爵家の人間となった者とは考え方が違うのだ。
そしてダズールはそう遠くないうちに、自分を愛し、プリムヴェールを愛するだろう。
そうなれば侯爵家を誰が継ぐのかなんて、まだわからないではないか…ディアンジュはそんな風に考えていた。
この話し合いは…爵位に囚われ欲を出した豚と、真実を知ろうとしない愚かな女狸の腹の探り合いとなった。
リジアンはその様子を、ほとんど表情には出さずに愉快な気持ちで眺めていた。
真実はそこにはない。
もしシエールが加護を発現した場合、目の前でカルネヴァルを陥れようとしているハイルヘルン伯爵を許しはしないだろう。
王命は取り下げられ、婚約解消となるはずだ。
そしてシエールが加護を発現しなかった場合、その場合は爵位返上の約束だ。
シエールを廃嫡したところで、プリムヴェールが爵位を継ぐなどとは論外だった。
言葉に傷つけられ、怒りに身を震わせなくても良いのだと…シエールに知らせてやりたい。
リジアンはただこの場で一人、耐え忍んでいるシエールを、遠くから見守ることしかできなかった。




