017
朝目が覚めて、身支度をするためにベッドから足を降ろす。
最近になって生活のリズムが安定してきたと感じる。
心配していたトレミエの嫌がらせは、リジアンの牽制が効いたのか、今のところ収まっている。
ただトレミエのシエールを観察するような視線が、絡まるように次々と追いかけてきて少し憂鬱だった。
躱しても追いかけてくるその違和感のある視線を、シエールは放っておいた。
これぐらいは我慢しなければ…落ちかけた気持ちを奮い立たせて、洗面へと向かっていった。
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「…えっ?」
聞き返した声に、リジアンは表情を変えずに先程と同じ言葉を繰り返す。
「本日の午後、御婚約者になられるハイルヘルン伯爵御令息ヴォルビリス様との、顔合わせがございます。」
聞き返したところで、内容が変わってくれることはなかった。
シエールは落胆した気持ちで、リジアンの言葉を噛みしめる。
婚約…高位の貴族であるからこそ、親や国が決めた婚約など普通である。
しかし、あの王陛下が取り決めた縁談…良い話であるはずがない。
不穏な予感を抱えながら、シエールは味のしない朝食を口の中へと放り込んだ。
◇◆◇
身支度が整い、別棟から木々を縫い、開けた中庭へと足を運ぶ。
明るい日差しに照らされた、眩しく輝く緑の草花に目を細めて懐かしむ。
幼い自分とお母様がここで散策していたことが、遠い昔のように思える。
中庭の片隅にある白いテーブルのセットの側でシエールはお相手である、ヴォルビリスを待っていた。
反対側本邸の方の入り口から、華やかな声で歩きながら話す数人の姿が見える。
近付いてくるとそれは、ディアンジュとはじめて見る女の子…多分この子がプリムヴェールなのだろう。
陽の光に透ける見事なストロベリーブロンドに赤みの強いアンバーの瞳。
顔から笑顔がこぼれ落ちる様な、感情表現豊かな女の子だった。
頭に飾ってある花の髪飾りを褒めてほしいようで、事あるごとにちらちらと男の子の方へ視線が向いている。
そしてその反対側に、美しい容姿をし、綺麗に髪を切りそろえられた金髪の男の子がいた。
歳はシエールよりも、少し上かもしれない。
系譜と同じ青い瞳を持つその男の子は、自分に自信があるのだろう、手を後ろに組み大人であるディアンジュとの会話を楽しんでいるようにも見えた。
こちらに気がついたディアンジュは、真っすぐにリジアンへと向かって来た。
直立した身体同志が触れ合うか否かの間合いで、ディアンジュは流すような視線をリジアンへと送る。
「リジアン、お勤めご苦労様。貴方にはいつも感謝しているわ。」
そう言うとリジアンの胸へ、そっと手を添える。
リジアンは片眉を上げながら大きく一歩引き、自分の胸に手を添え軽くお辞儀をした。
シエールはその一部始終を、眺めていた。
すぐにでも別棟へ引き返したい…そんなことに捕らわれていたシエールは、自分の元へプリムヴェールが来ていることに気付くのが少し遅れてしまった。
「お母様…怖い。」
愛らしい容姿をした妹プリムヴェールは、シエールを覗き込んでそう言った。
婚約者との対面が屋外だということを聞いて、いまだ顔に傷が残るシエールは日差しを避けるためにボンネットを深めに着用していた。
顔半分に傷による痣の跡と、生々しい傷を少しでも隠せればと思っていたのだが…。
初対面である無遠慮な妹は、シエールの考えなどおかまいなく、思ったことを口にする素直な性格の持ち主だった。
プリムヴェールの声を受け、ヴォルビリスはシエールの顔をまじまじと見る。
「私はヴォルビリス=ハイルヘルンだ。」
日々リジアンによって、マナーを学んでいるシエールは、いきなりの挨拶に内心戸惑っていた。
貴族とは…友人や親しい間柄でなければ、けっして下位の者から話しかけてはならない。
それなのに伯爵家の次男が、侯爵家の令嬢へ挨拶をしてきたのだ。
「(私と貴方がいつ、親しい間柄となったというの?)」
婚約するから許されるのか…それとも爵位ではなく、シエールの現状をみて見下しているのか?
当然のようにシエールには良い感情は生まれなかった。
それでも自分の感情を隠し、相手を観察する…これが今後シエールが歩む道、そして生き方となるのだから。
「…シエール=カルネヴァルでございます。」
シエールはリジアンに教わった通りに、ワンピースの裾を摘まんで綺麗に礼をとる。
互いの挨拶が終わり、ディアンジュがその場を取り仕切ろうと手を打とうとした時だった。
家令のコルシックが本邸側から、ディアンジュへ向かい駆け寄ってきた。
「ディアンジュ様、ディアンジュ様!旦那様が、急ぎお呼びでございます。」
ディアンジュは興味の方向が一瞬で、コルシックへと向いた。
「まあ、旦那様が?ハイルヘルン伯爵とのお話は、もう終わったのかしら?」
ダズールが自分を呼んでいると聞き、ディアンジュは少し嬉しそうにコルシックへと声をかけた。
「それが火急の要件が入ったとかで、ハイルヘルン伯爵をディアンジュ様へお任せしたいと…すでに邸をお出になりました。」
コルシックが申し訳なさそうに、ディアンジュへと告げると…ディアンジュの表情は一瞬にして凍り付く。
「まさか…先程顔を見せたばかりだというのに!戻ります、行きますよプリムヴェール!」
勢いのあるディアンジュの言葉に、プリムヴェールは遊び足りないのかヴォルビリスの影へと隠れる。
「プリムヴェール、僕はまだ帰らないから…また戻っておいで?」
きらきらと輝かしいほどの容姿を十分に活かした笑顔でヴォルビリスはディアンジュとプリムヴェールを見送っていた。
二人がいなくなると、中庭は静けさを取り戻した。
様子を伺いながら、リジアンがお茶を淹れてくれる。
ヴォルビリスはリジアンの左耳を見て、貴族ではないことを確認すると…態度を崩し、大きくため息をついた。
「はあ…なんで僕がこんな顔に傷がある子と婚約なんかしないといけないんだよ?表情もかわらない、不気味な子って聞いてたけど、本当だよな。これならプリムヴェールって子との婚約の方がよっぽどましだよ。爵位があるから我慢しなきゃいけないって、お父様に言われたけどさ…そうだ、お前爵位を辞退したらどうだ?そしたらプリムヴェールが爵位を継いで、僕と婚約する。それがいいや!」
シエールは突然そんなことを話しだす、ヴォルビリスを眺めるが…表情を変えず、咎めることもしなかった。
ただシエールの頭の中は、不穏な言葉で溢れている。
「(貴族の子供って、こんなに自分勝手で頭の悪い子ばかりなのかしら?まあ私もその貴族の子なのだけど。でも…だとしたら、お友達なんて必要ないのかもしれない。だって見た目ばかり気にして、中身はてんで馬鹿なんだもの。)」
自然と笑みが浮かんできそうになるが、目の前で自分の容姿を不気味がる者に微笑むこともないだろう。
シエールはそのまま、ヴォルビリスに興味がなさそうに佇んでいた。




